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私論とfinalventに関するcastleのブックマーク (137)

  • 雑感 - finalventの日記

    愛というのは、よくわからんものだと思う。 よく、議論をするとき、定義を明確にしろ、おまえはどういう定義で言っているのかと詰問する人がいるが、学問ではなく、人間が考える大切なことは生活経験の直感に支えられているのであって、定義はできない。愛を定義してから、愛を議論するというのはただの愚か者だろう。 愛について、エロスとアガペーといった、いわゆるターミノロジー的な話もあるが、きわめて率直に言えば、戯れ言だろう。 人は、愛を暗黙的に知っている。それが起点になる。では、どのように知るかというと、単純に魅惑・魅了の意識だろう。これが自我の臨界を暗示するので、いろいろとやっかいなことになるし、それもまた暗黙の所与だろう。人は、うっすらと、愛のなかで死ねると理解しているし、愛のなかでしか死ねないと知っている。 愛が難しいのは、それがどうも必然的に失敗するような、なにか存在論的な仕組みを持っていることだ。

    雑感 - finalventの日記
    castle
    castle 2010/04/03
    「(愛は)どうも必然的に失敗するような、なにか存在論的な仕組みを持っている」「この問題の解法は、当為としての愛の側にある。この糞な世界をあなたの意志で愛しなさいというところにしかどうも解はないようだ」
  • [書評]IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実(村上宣寛): 極東ブログ

    知能とは何か。それは人種間で差があるのか。この問題について、米国ではチャールズ・マリー(Charles Murray)氏の1994年の共著「Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life」(参照)および2008年の単著の「Real Education: Four ity」(参照)が社会的な話題になった。私はどちらも読んでいないが、その話題については米国の社会的話題として報道などから知識を得てずっと気になっている。関心事の焦点は、人種間の差異というより、知能を社会的に論じるというのはどういうことのなかという点だ。 マリー氏のこれらの著作は日では翻訳されそうにない。米国社会の問題だということもあるし、その

    castle
    castle 2010/03/16
    「一般知能g:多元的に見える各種の知的能力の行使の基礎に、知能そのものを特徴付ける因子gがあるという考えかた」「特殊知能sは課題ごとに異なる特殊な因子」「知能研究者スピアマンはgとsが実在すると仮定」
  • 曇・ログイン - finalventの日記

    夜半に雨は過ぎたのだろうか。昨晩の天気予報では朝は雨のはずであった。昨日は、ふとした偶然で浅田真央のスケートを見た。けっこう感動した。その後、数名を見たが、それほどどうとも思わなかった。キム・ヨナは見なかった。が、その後、気になって、夜の番組で見た。キム・ヨナの一位は妥当なところだろうと思ったが、点差は疑問に思えたし、個人的には浅田真央にまた感動した。私の関心はラフマニノフがうまく表現さているかということだが、けっこうよかったのではないだろうか。あれはロシア人も感動したのではないか。

    曇・ログイン - finalventの日記
    castle
    castle 2010/03/02
    「浅田真央のスケートを見た~ラフマニノフがうまく表現さている」米欄「天才浅田真央(と日本勢)を封じ込めるルール変更を繰り返した結果、男性トップスケーターを越える点数を出してしまったのには呆れました」
  • 曇り - finalventの日記

    ああ、冬に舞い戻り感。朝ぼーっと考えていることは多い。なんかついったに書いてしまったけど、「唯物論的には生命はオートマトンとして規定してよいはずだが、そのinitial stateを想定するとID論と見なされるのだろうか?」。生命というのは、現代科学的には聖霊でもないから(生気論排除)、機械仕掛けのロボットなんだが、であれば、それをcharacterize可能というか、それが科学になるのだが、そこがむずかしい。で、「生命がオートマトンではないなら、それはなんだろう、という問は、すでに科学ではないように思える」となる。生命のモデル化をなんとなく科学は避けているのは、広義のダーウィニズムに依存しているのだけど、これは適者生存ということで、世界側がオートマトンになる。「ダーウィニズムの自然選択は、自然の内部にオートマトンが措定されるだけでは?」と。ほいで、「これらを回避するには、生命そのものが生

    曇り - finalventの日記
    castle
    castle 2010/02/26
    「生命がオートマトンではないなら」「生命のモデル化を科学は避けているのは、広義のダーウィニズムに依存しているのだけど、これは適者生存という事で世界側がオートマトンになる」「生命そのものが生存バイアス」
  • finalvent on Twitter: "郵貯を民営化したら国債のダムが決壊しちゃうのかな。っていうか、札刷ってるのと同じじゃなかろーか。リフレ万歳。"

    castle
    castle 2009/10/29
    「郵貯を民営化したら国債のダムが決壊しちゃうのかな。っていうか、札刷ってるのと同じじゃなかろーか。リフレ万歳」
  • 競馬オヤジが日本郵政の棟梁になって反発喰らっているけれども (追記あり) - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    池田信夫氏とかもぎゃんぎゃん騒いでいるのな。それだけ、齊藤さんの政治的な立ち位置が臭すぎて、論述者がむせ返るほど残念な人事だったということなのだろうか。 「民から官へ」の逆転が始まった http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/139e435496b4fa7cd15914687ae80789 ファイナル爺も腐し気味。こちらはfinalvent流の貸し借り論。彼の人事の評論は、だいたい経緯における関係を貸し借りで見る。まさに彼流。 元大蔵事務次官斎藤次郎・日郵政社長 http://finalvent.cocoblog/2009/10/post-eb12.html で、齊藤さんというと、ちと破廉恥な事件後に放逐されて、その後は競馬や微妙グルメ(B級ではない)愛好家として、どっちかというとエスタブリッシュ出身の割に底辺な趣味

    競馬オヤジが日本郵政の棟梁になって反発喰らっているけれども (追記あり) - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    castle
    castle 2009/10/26
    「私も「有能ならとりあえずOK」。民主党にしては比較的マシな人選だった確率の高そう」「さっさと環境に適応したほうが」「米欄:円はやめてドルに変えてってなのはどうよ。あれだけクラッシュしても平気な米国」
  • 毎日社説 社説:臨時国会 初戦で手抜きはするな - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

    加えて、落胆させられるのは政府が提出を予定する法案の品薄ぶりだ。来年度当初予算案の年内編成を優先する首相官邸側の強い意向から、極端に絞り込まれた。 衆院選マニフェストの目玉公約だった子ども手当関連法案やガソリン税の暫定税率を廃止する法案など国民生活に関係する案件の処理が先送りされた。しかも、政治主導の政権運営に不可欠な「国家戦略局」の法制化などの体制強化案も提出しないのはまったく解せない。雇用対策、分権改革など速やかな成果を求められる分野も多いはずだ。 「国家戦略局」はシナリオ通りだが、他はこれはちょっとなというのと、もう少し臨時国会を前倒しでも良かったのではないか。 政権交代に伴い例年より予算編成の作業が遅れているのは事実だ。だからといって、国会をおろそかにしてよい理由になるまい。首相の「故人献金」問題への追及が強まる懸念から「格国会」を避けたとの見方もある。だとすれば、政権の姿勢その

    毎日社説 社説:臨時国会 初戦で手抜きはするな - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記
    castle
    castle 2009/10/18
    「(鳩山政権が自滅せず)奇妙なバランサーとしてしばらく続く可能性もありそうだ。このあたり、疑似天皇制になっている」「実質の指導力がない鳩山さんの内実はゼロなのだが、その空白にどういう権力が発生するか」
  • God Bless You, Mr. Aso, or Father in secret: 極東ブログ

    衆院選が終わった。事前にマスコミが想定したとおり民主党の地滑り的な圧勝となり、政権交代が実現する。自民党は大敗した。国民選択の結果である。それがもたらす成果も国民が享受していくことになる。日国憲法に書かれているように(そう書かれているのを知ってましたか?)、民主主義とはそのような制度だという以上はない。個人的には、二大政党による政権交代を目指し、自民党を割って出た小沢一郎氏を長期にわたり、それなりに共感をもって追ってきたので、達成の日を見ることには感慨がある。が、政治とは所詮妥協の産物であるとはいえ、ここまで大きなを国家を志向する政府の実現を素直に喜ぶこともむずかしい。 私は前回の小泉郵政選挙を支持した。いわゆる小泉改革も、それが小さな政府を志向している面において支持した。その後の自民党政権は、小さな政府志向から逸脱し、しかも年ごとに入れ替わる短期政権でもあり、期待感は失せた。麻生政権が

    castle
    castle 2009/09/02
    「(麻生は)経済をどん底に落とすことを防いだ政治家」「米欄:麻生さん的潔さってのは~。いい人なんですよ。きっと/『失言』とか『顔つき』とか、当時の人には重要でも後世になればあまり意味をなさなくなる」
  • 今日の大手紙社説 - finalventの日記

    二紙が僧正に言及。たいした話ではない。他、特に目立つネタはなし。民主党地滑り勝利を前に絶望感が広がっている感じがしないでもない。まあ、未来はもうちょっと先にあるよ。ファイト!

    今日の大手紙社説 - finalventの日記
    castle
    castle 2009/08/29
    「今回のバーナンキの対応がいわゆる量的緩和だったのか(信用緩和ではあった)。つまり日本のリフレ派の基調(クルーグマン提起)にあっているのかが、微妙に判断しづらい」「今回の金融危機は依然中国問題が根幹」
  • どんどこしょ: 極東ブログ

    10月10日と言えば……、言えば? まあ、いろいろある。体育の日ではない。いつから体育の日がフロートするようになったか私は忘れた。が、体育の日の由来は知っている。1964年の東京オリンピックがこの日に始まったからだ。あの日のこともよく覚えているが、ご安心あれ、その話を書くわけではない。また10月10日は双十節でもある。つまり国慶節。違うんじゃないのと思う人もいるかもしれないが、その話も書かない。 とか言ってウィキペディアのこの日を見ていくと、へぇな話は多い。「1954年 - 光文社が新書判の「カッパブックス」の刊行を開始、第一冊は伊藤整『文学入門』」というのもある。57年生まれの私なのにこのを知っている。ロングセラーだったのだろう。そういえば高校の時の先生がふと伊藤整の「変容」(参照)を読んでおけと言ったのを思い出した。あのころの先生は今の私より若い。彼はその後大学の先生になり偉くなった

    castle
    castle 2009/08/29
    「世界にカネは余っているのだ。どこに余っているかというと、まずアジアの中央銀行だ~ずばり、中国と日本でしょ」「日本と中国の外貨準備高を基金にすれば、ポールソン砲なんかいくつも作れるというのだ」
  • まあそういうことなんだけど - finalventの日記

    風呂無駄さんとかがレトリックで書くと、このネタは洒落で済まない、ある意味危険な話になるかもなんだけど。 なんで増田に書くんだよだけど考えてみると増田に書いておくのが無難かも。 増田⇒http://anond.hatelabo.jp/20090815022933 で、結局、これは全体では所得の再配分メカニズムになるわけね。 銀行のマイナス金利でもいいじゃん、という話もあるけど。 で、と。 いずれでも、インフレに持ち込むあるいは、ブラックスワンがやってくるか、なんだけど、なんで日はこんなデフレ命なのか考えてみるに、もしかして、あれかな、団塊世代の大半が死んだころその資産を国家に吸収できるからさぁみたいな推定がどっかにあるんじゃないかな。 いや、陰謀論とかじゃないですよ、ただの夢想。 日の場合、昭和30年代に東京にやってきて、兎小屋立てた家族も、それはそれなりに資産になってしまって、国土をな

    castle
    castle 2009/08/15
    「なんで日本はこんなデフレ命なのか考えてみるに、団塊世代の大半が死んだころその資産を国家に吸収できるから」「国土をならす邪魔になっているから、さっさと国民を適度なビンボにして死んだら国家に吸収させる」
  • 共感するところそうでないところ - finalventの日記

    先生⇒浜田寿美男について - を償うにをもってせよ 私は『めぞん一刻』は好きなのだが『うる星やつら』は全然面白くなくて、『めぞん一刻』が終わってから高橋留美子はほとんど関心の外になった。『らんま1/2』というのを連載しているのは知っていたが、そういえばまだやっているのかなあと思って調べたらとっくに終わって『犬夜叉』というのに変わってさらにそれも終わっていると知り、自分がそっち方面に疎いことに愕然とした。 押井守というのがなんで人気があるのかもよく分からない。 私は「うる星やつら」のファンで、今でもけっこう好きだし、平野文萌えでもあるが、他は先生と同じ。 「うる星やつら」が面白いのは、私の上の世代、つまり団塊世代の批判・解毒になっていることかな。格的にふざた野郎(すまん女性だが)が出てきたと思って、笑った。なにが面白いかというと、改めて思うと、どいつもこいつも今でいうところのメ

    共感するところそうでないところ - finalventの日記
    castle
    castle 2009/08/13
    「うる星やつらが面白いのは団塊世代の批判・解毒になっている~なにが面白いかというと、どいつもこいつも今でいうところのメンヘラー。あたるとラムだけがこの狂った世界でまともであるということの象徴だった」
  • 蝉の声 - finalventの日記

    若い頃身近に米人がよくいて、蝉の声が聞こえる季節になると、あれって英語でなんていうのと聞いてみた。cicada、locustと、おきまりな答えなのだが、どうもイメージが違う。いや、それを指し示すという点では同じ実体を指すのだろうが、どうもなんか違うな、違う世界を見ているなという感じがする。なんというのか、あれ、おじゃる丸に出てくる電ボ三十郎みたいなイメージで、ああいう透明の大きな羽根をもってばたばたという存在を、cicada、locustと呼んでいるのだろうなと思った。 自分はセミというとなんだろ、とにかく米人たちのイメージのそれではない。なんというのか、もうちょっと奇っ怪なというかしょこたんが頭に飾っていたあれみたいな。 それと蝉の声がどう聞こえるかと聞いてみるのだが、要領を得ない。雑音が波音のように聞いているのかもしれない。米人の脳、みたいなアホーな議論をしたいわけではないが、蝉の声を

    蝉の声 - finalventの日記
    castle
    castle 2009/08/09
    「彼ら(米国人の脳)はそれ(蝉の声)は音として世界に注入されているのか、取り外せるような何かなのではないか。顧みて自分はというと、夏の世界から蝉の声は抜けない~その世界は蝉の声と一体化している」
  • アメリカ人ってすごいな的な話になるのかまあちょっと書いてみるの巻 - finalventの日記

    人にもいろいろあるように、なんてどころじゃないくらいアメリカ人というのはいろいろあって、みんながそれぞれ見えるところで象を撫でるの感だけど、逆にいえばそうして撫でた部分だけは経験の真実なんだろうと思う。まあ、だれもがそんなもの。でも、そのなかで、どこかしらアメリカってそういうことかみたいなものはある。抽象的に言えば、アメリカというのはNew Worldということなんだろうとおもうし、ドボルザーク的な響き。 話がわかりにくくなるけど、アメリカ人というのは世界の田舎者なんだ、そして、そのことを実に痛感している人々なんだという感じが、20代後半になってなんとくなくわかってきた。以前は日人は海外団体ツアーで旗のもとにぞろぞろ歩いていたものでそれを揶揄されたものだけど、トルコとから観光旅行してみたら、それやっているのは米人だった。ああ、同じじゃん、と。 そのあと、一人でギリシアとか周って、観光

    アメリカ人ってすごいな的な話になるのかまあちょっと書いてみるの巻 - finalventの日記
    castle
    castle 2009/03/29
    「お婆ちゃんがギリシア人、父親がアルメニア人とか、まあ、そんな感じ。あれだな。私が文化的なルーツを信州人と見ているのが、世界にぶん、と広がったくらいなんだろう。そのあたり、ユダヤ人とイスラエルの思い」
  • 毎日社説 社説:侍ジャパン この感動をぜひ五輪でも - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

    ただの、べたな、放言。 「侍ジャパン」、この言葉を聞く度に胸糞悪くなりますよ、俺。 「侍ジャパン」という含みの侍、なんてものは、日になかった。あったのは、郎党の武力集団でありその掟、あるいは宮武蔵のような大道芸人。あるいは、江戸時代の官僚、つまりサラリーマン。 そもそも士農工商の士とは侍の意味ではない。

    毎日社説 社説:侍ジャパン この感動をぜひ五輪でも - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記
    castle
    castle 2009/03/29
    「侍ジャパンの侍なんてものは日本になかった。あったのは郎党の武力集団でありその掟、あるいは宮本武蔵のような大道芸人。あるいは江戸時代の官僚、つまりサラリーマン。そもそも士農工商の士は侍の意味ではない」
  • 日経社説 安保理はスーダンで動け : NIKKEI NET(日経ネット) - finalventの日記

    現状の日でしかも通常コマ割りの社説で書くとするとこうなるかという簡素なまとめになっていると思う。という意味で悪くない社説なので、それ以上を求めるというのもあまり意味はないのだろうなと思う。 戦争犯罪と人権というのは、歴史にも問われる問題ではあるが、今というこの現在に問われている問題だし、今そうして歴史を刻みつつ、人権という理念へのチャレンジを人類が受けているのだ、が、なかなかそう思う日人は少ないように見える。 率直にいえば国家という幻想が、人権つまり国家幻想をはずした人間という概念を見せづらく保護しているのだ。 近代的な意味での「人間」は終わったし、その意味で、「ポストヒューマン」が問わうることも原理的に可能だが、私はそれは、端的にいえば、欺瞞だと思う。 私たちは人を愛する。理念ではなく、性欲も含めどうしようもない生の根源力として人を愛せずにはいられないものとして存在し、それは人権を求

    日経社説 安保理はスーダンで動け : NIKKEI NET(日経ネット) - finalventの日記
    castle
    castle 2009/03/11
    「今そうして歴史を刻みつつ、人権という理念へのチャレンジを人類が受けている」「(生の意味とは)その生の根源力とそれを覆う欺瞞の狭間で、自分が今歴史にどう問われているかに、生身の人間として向き合うこと」
  • 朝日社説 米国の住宅救済―危機の病巣を除けるか : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記

    「世界的な金融危機の「病巣」である米国の住宅問題について」という表現はご愛敬の部類として、テーマは難しい。社説では触れていないが、結果としてこれで中産階級以下、さらに吸収した移民にも住宅が行き渡ることになり10年スパンでみれば米国は移民をまた強力な経済大国となるのだろう。

    朝日社説 米国の住宅救済―危機の病巣を除けるか : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記
    castle
    castle 2009/02/21
    「結果としてこれで中産階級以下、さらに吸収した移民にも住宅が行き渡ることになり10年スパンでみれば米国は移民をまた強力な経済大国となるのだろう」
  • [書評]ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン): 極東ブログ

    邦訳書のタイトル「ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン)」(参照)からもテーマはわかりやすいだろう。2007年、米国や欧州の膨大な数の養蜂のミツバチが消失した。 養蜂の箱のなかに死骸があふれ出したわけではない。ミツバチたちはある日箱を飛び立ち、戻らなくなった。それが比較的短期間に起きた。あたかもミツバチが蒸発でもしたかのように忽然と消えたに等しい印象を与える。 が、死骸がまったく見当たらないというのでもない。箱のなかで死ぬ個体もある。この現象は蜂群崩壊症候群(CCD:Colony Collapse Disorder)と呼ばれている。 CCDは実に奇っ怪な現象で、シャマラン監督「ハプニング」(参照)の冒頭でもエピソードとして使われている。 ミツバチが全米各地で姿を消している。 こんなことが起きる原因は? 誰も? ハチの異変に興味ない? 見えない力が働いている。 何らかの攻撃のよ

    castle
    castle 2009/01/30
    「秋葉原で通り魔事件が起きると、それを現代日本の社会問題という意味付けを求めずにはいられないといった短絡的な思考のテンプレートにも似ている~未知の問題に精神の異常を来しているのは我々の方かもしれない」
  • 快晴 - finalventの日記

    正月も終わったが、なかなかたるい感じから抜けられない。富士山は普通の姿に戻っている。帰省ラッシュで空気が汚れたか(なわけないが)。 夢はこまごまと見たが忘れた。このところ夢は思い出せない。意識がだいぶ意識の側にシフトしてきている。 キバを見た。またまたあれだ愛する者を守るために戦うが出てきたかとも思ったが、たぶん、あと二回で転換はあるのだろうと思う。すでに脚破綻という声も見かけたけど、いや、なかなかいいんじゃないかな。555のときは王の出が遅すぎた。というか、クウガからアギト、そして555からキバへというとき、種族と王と愛のための戦いのテーマは醜いすれすれを滑空している。今回はさらに刀まで出てきた。ハウルの時もそうだったが、戦争が日人の若い人の無意識にじわっと定着していくのだろう。知らなかったが、私は貝になりたいがリメークされたようだ。見たくもないといえばそれも言い過ぎなのだろう。私自

    快晴 - finalventの日記
    castle
    castle 2009/01/14
    「種族と王と愛のための戦いのテーマは醜いすれすれを滑空している」「無意味に殺された人々は死んだということだ」「民族の心のなかに憎しみを継続することは民族という幻想を怪物にしそして再び悲劇を生み出す」
  • 沖縄と神道 - finalventの日記

    あまり詳しい話もするのもなんだけど、というか、そういう私が詳しい話を知っているわけでもないけど、中山には八幡信仰がある。これは、一般的にはれいの為朝伝説とされているのだけど、実態は逆のようで、むしろ、八幡信仰の派生から為朝伝説でてきたのではないかな。いずれにせよ、この時代の琉球の神道を調べると興味深いというか、この時代に神道が入っている。もちろん、だから、ヤマトと同じだということではなく、ついでだからちょろっというと、この神道は浄土教とセットになっている。ついでにいうと、ヤマト側の天皇家も、伝説的には祖神になるはずの伊勢信仰を実質明治時代まではもっていなかったようだ。これは逆に江戸期における伊勢信仰の状態にも見合っている(というか、天皇家=山城国小領主は泉涌寺の檀家だし)。

    沖縄と神道 - finalventの日記
    castle
    castle 2009/01/14
    「(中山の八幡信仰は)八幡信仰の派生から為朝伝説がでてきたのでは」「ヤマト側の天皇家も、伝説的には祖神になるはずの伊勢信仰を実質明治時代まではもっていなかった」「天皇家=山城国小領主は泉涌寺の檀家」