自分で言及。id:tsugo-tsugo 殆ど男子校の機械工学科は、さわやかなイケメンが多くて(ただし就職前に限る)いい意味で体育会系のノリがあって(てゆーか男くさいわ)、個人的に女子のみなさんにお勧めです。うんうん、お勧めですよ特に機械工学科。身内びいきみたいですけど。経験上、なぜかこの学科だけはスポーツやってる人が多くて、からっとしたすれてない人が多いし。昔、技術営業をしていて同僚と「かっこいいお客さんとかいる?」って話になって(何このスイーツ馬鹿話)、でもあんまりいないんです、残念ながら。いるにはいたんですけど、「こーさわやかでー、回路設計とかすっごく詳しくてー丁寧に教えてくれて、超素敵な人いますよ*1」と言ったら、お前の男の趣味はおかしいと批判されるし。ふつう、自分の好みにさわやかイケメンと回路設計は足し算しないものらしい。そのへん、大学だと仕事に疲れてないし、体育会系のノリで研究
いつからだろうか。あまりなんも考えずに書くのもなんだが、誰かを好きになるというのを自分はきちんと抑制するようになった。抑制というのではない。断念というのだろうか。もっと無防備に書くと、誰かを好きになることで、その人を自分に巻き込ませたくない。自分が関わらなければその人は普通に幸せに生きているだろうに、俺なんかどうでもいいじゃんと私は自分に語る。 若いときのきつい失恋の教訓というか呪いかもしれない。彼女は私といることで自分の人生がダメになっていくように思えて去っていった。 もちろん、そうして去られた自分というのはみじめなものだ。漫画みたいだが、いつか見返してやるみたいな気概というのも一つのソリューションかもしれないが、私にはそれはできなかったし、自分はただダメになっていくのを感じた。 が、より暴露的に言うなら、私は私を去った人間を、去らせていたかもしれない。私は私の人生に押し掛かる奇妙な存在
男は女を見るが、女は女を見る 萌え理論Blog - 女性の非モテが不可視なのはモタざるものではないから 恋愛市場において、男性は買い手であり女性は売り手である。 この基本テーゼを踏まえれば、「据え膳喰わねば男の恥」という下位テーゼもすんなり理解できよう。本来、男性は女性を所有するために、有形無形の財を与える必要があるのだが、今ならキャンペーン中につき、なんと無料で体験版がプレイできます、というわけなのだ。もちろん、それが後で高くつく場合もあるだろう。対して、女は相手を選ぶ。「誰とでも寝る女」とは、自らの安売りにほかならない。 一般に、男より女の方が恋愛における嗜好の幅が広い。もちろん、イケメンに越したことはないが、容姿は男が女に対して求めるほど強くない。このことは、男の(お笑い)芸人は女に人気があるが、女の芸人は男に(恋愛対象としての)人気がないことからも伺える。ただし、一定の年齢以上の女
栗先生⇒30代半ばの女性に彼氏がいない根本的な原因-モテゼミ いろんなサイトで30代女性の悩みを見ていると、彼女らは根本的に「遅い」のが原因ってのがあるんじゃないかと思いますね。決断が遅い、返信が遅い、出会いが必要だということに気づくのが遅い、プライオリティを一時的に男優先にできない、などなど。 結果論というか、機能論的には。とか気取るわけでないが、そうなんだろうけど。遅い原因というのがあるのでしょう。 なにかと。 男も女も三十越えて、世の中の趨勢というか、周りの人々を見て、ああいう人たちには自分はなれないなでもああいう人たちと互して生きていかなくちゃな、めんどくさい、みたいに生きてくると、結局、生きる技術というのは自分を隠すということになる。 自分を隠すというのは、自己愛と自己過小評価(なげやり)を一緒に抱え込むという問題になる。内面はかなりつらい。(逆にいうと、愛というのはそのつらさの
承前⇒finalventの日記 - 男には女のことはわからない きっかけ⇒watapocoの日記 - 男の人が怖くなってきた… 女って、男にとってそんなにも分からない生き物だったのか。 私の会ったあの人達は、そんなにも深い断絶を感じつつ、私と接してくれていたのか。 男にとって、女が一番わからないのは、というか、わかるわからないの関係性が成立した時、その愛だの恋だの理由が実はわからない。もちろん、男はとりあえず馬鹿でないと生きていけない(ちんこを立たせるなんてのはその最たるもの)。だから、この女はオレに惚れているなと思う。言う馬鹿もいる。女もそれでいいじゃんと思っている。でも、男は内心、これはけっこう多くの男が、本当はそんなこと微塵も信じていない。愛や恋の理由を不可解、そして、それがこの世に魂をつなぎ止める策略かのような(誇張ですてば)そんなふうに不可解に感じている。 男の心のなかには死にた
人というのは自己愛からあまり免れない。本当は、この世界でその自己愛を鏡像のように確信したいという欲望を持っている。知的な人は知的みたいなことをほざいて、頭がいいと見られたい。そんなもの。 だから、恋愛というより、ボクだけが内緒で知っているこんな素敵なボクちんをわかってくれるのはどこの誰?みたいな、ケロロになった王子様的なことをしている(これが現実ではけっこう他人から見ると不毛な努力マッシグラ)。でも、ケロロはケロン人。蛙は飼える(ちゃんと管理しよう)。 じゃ、自己愛を捨てちゃえば、いわゆるモテ状態になるのか? なるよ。ヤクザの女の落とし方というのを薄めてマニュアル化すると効果的。 あるいは、己を知り敵を知れば百戦危うからずで、落とすべき相手(女)もケロン人だと思えばいい。つまり、女のほうでも、ワタシだけが内緒で知っている素敵なワタシをわかってくれる白馬の王子様などこどこ?と思っている。もち
というか、ただ他人事として語られる(文学とか)というもの。 なので、語ることに不可避に矛盾がつきまとう。 例えば、私が恋愛に語る……じょじょジョーダンでしょみたいな。でも、ちょっと語る。 恋愛というのは、この世ではうまくいかない、ということを本質としている。どうせダメなのに成就しないのに、どおしてどおしてボクたちは出会ってしまったのだろ♪みたいな意識を二人だけの対の意識性(幻想性)に起こす。 で、その、この世ではうまくいかないという確信が、世界を棄却してしまう。周りじゅうを傷つけても会いたかったあの気持ちをなんと言うの♪ということを引き起こす。世界が間違っていて恋愛が正しいという確信をその二人の意識のなかに起こす。 と同時にその確信にある種の先験的な敗北感も意識させる。玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする〜〜パチっ、ってことで、恋愛がダメなら生きている意味なんかないのだ
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