永禄11年(1568年)9月、織田信長は足利義昭を奉じて上洛し、義昭を室町幕府の第15代将軍に擁立した。しかし、幕府は伊勢貞孝の暗殺(伊勢氏の政所支配の終了)や永禄の変によって有名無実と化していた。そのため永禄12年(1569年)1月14日、信長は義昭と将軍権力や幕府のあり方について再確認するため、殿中御掟9か条を義昭に示した。内容は以下の通り。 不断可被召仕輩、御部屋集、定詰衆同朋以下、可為如前々事 公家衆、御供衆、申次御用次第可参勤事 惣番衆、面々可有祗候事 各召仕者、御縁へ罷上儀、為当番衆可罷下旨、堅可申付、若於用捨之輩者、可為越度事 公事篇内奏御停事之事 奉行衆被訪意見上者、不可有是非之御沙汰事 公事可被聞召式目、可為如前々事 閣申次之当番衆、毎事別人不可有披露事 諸門跡、坊官、山門集、従医陰輩以下、猥不可有祗候、付、御足軽、猿楽随召可参事 — 仁和寺文書 御用係や警備係、雑用係な