Moto2
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2012年はイタルトランス・レーシングチームからMoto2クラスに参戦。チームメイトはコルティが務めた。中上は世界戦でのブランクを感じさせない走りを見せ、第2戦スペインGPでは予選で2番手、決勝でも5位に入ると、第9戦イタリアGPでは初めてトップを走行するなど、実力を発揮した。しかしシーズンを通してみると浮き沈みが激しい内容が続き、シリーズランキングは15位(ルーキーライダーとしては2番手)に留まった。 2013年も同チームからMoto2クラスに継続参戦。チームメイトはコルティに代わり、フリアン・シモンが務めることとなった。シーズンオフから好調ぶりを見せ、期待された開幕戦カタールGPでは、序盤からトップを快走。中盤に入りポジションを落とすものの、3位に入り、自身初の表彰台を獲得した。第9戦インディアナポリスGPからは4戦連続で2位表彰台を獲得。優勝こそ挙げられなかったものの、3度のポールポジション・5度の表彰台を獲得するなどシリーズランキング8位と躍進。 2014年はイタルトランス残留が決定していたものの、シーズン終了後に岡田忠之が監督するイデミツ・ホンダ・チーム・アジアへの移籍が決定した。以後、アジア人ライダー育成にとりくむホンダと出光興産から支援を受ける。マシンは中上の希望を取り入れる形でカレックスを使用。開幕戦カタールGPではいきなりエステベ・ラバトとの優勝争いを演じ、最終的に2位でチェッカーを受けるなど移籍初戦から幸先の良いスタートを切ったかに見えたが、レース終了後にマシンの技術違反が発覚し、失格とされた。一転、以後のレースでは優勝争いはおろかトップ10にすら届かない大不振に陥り、この年の最高位は第13戦サンマリノGPの10位。前年の149ポイントに対しこの年は僅か34ポイントしか獲得できず、シリーズランキングは22位に沈んだ。 2015年も同チームからMoto2クラスに継続参戦。第13戦サンマリノGPでは2年ぶりの表彰台となる3位に入り、チームにも初の表彰台をもたらすなど、前年の成績不振からの脱却に成功。シリーズランキングでも再び8位まで挽回した。 2016年も同チームからMoto2クラスに継続参戦。開幕戦カタールGPでは3番手を走行するもジャンプスタート裁定により脱落、第3戦アメリカズGPでは表彰台を争いながら接触される形で転倒、第6戦イタリアGPでもやはり3番手を走行しながらレッドフラッグによりレースが中断、再開の際にこの年のレギュレーションであったクイックリスタートの規則に抵触してしまいグリッド最後尾まで後退するなど、上位に進出しながら噛み合わない内容が続くが、第7戦カタルニアGPで待望の3位表彰台を獲得。勢いを取り戻して迎えた第8戦オランダGPでは、レース序盤から積極的なオーバーテイクを見せ、9周目にトップへ浮上。じりじり後続を引き離し逃げに入る。レース中盤から雨が降り始め、2周を残して赤旗レース終了となり、中上がMoto2クラス初優勝を決めた。日本人選手によるグランプリ優勝は同Moto2の高橋裕紀以来6年ぶりの快挙。その後も後半戦に獲得した2度の表彰台を含め計4度の表彰台に上がるなど有力ライダーへの返り咲きを果たす1年となり、シリーズランキングは自己最高の6位に進出した。 2017年はMoto2クラス6シーズン目となる。第12戦イギリスGPでは4番グリッドからスタートし、序盤先頭争いをしていたアレックス・マルケスとフランコ・モルビデリに2秒以上の差をつけられたものの、ペースを上げ0.7秒まで差を縮めた。さらにマルケスが転倒、中上は一気に差を詰めその周にモルビデリを抜きトップに浮上し、そのまま逃げ切りキャリア2勝目を挙げた。地元の第15戦日本GPでは通算5回目のポールポジションを獲得し、レース中盤までマルケスとトップを争うが、最後は6位でフィニッシュした。この年も4度表彰台に立ち、シリーズランキングは7位。
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Moto2
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「2016年のロードレース世界選手権」の記事における「Moto2」の解説
2015年の日本グランプリでタイトルを獲得したヨハン・ザルコがディフェンディングチャンピオンとしてシーズンに臨む。
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「トライアンフ・モーターサイクル」の記事における「Moto2」の解説
2019年より、ホンダに代わりロードレース世界選手権(MotoGP)のMoto2クラス向けワンメイクエンジンの供給を担当する。Moto2用に供給されるエンジンは2017年型ストリートトリプル用の直列3気筒・765ccエンジンをベースにレース用のチューンアップを施したもの。
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2015年、体格面の適性からMoto2クラスにステップアップし、CEV Moto2ヨーロッパ選手権に参戦(ランキング5位)。世界グランプリ第13戦サンマリノGPにてワイルドカード参戦。 2016年、フォワード・レーシングより世界グランプリMoto2クラスにレギュラー参戦を開始し、ランキング23位。2017年も同体制で参戦し、ランキング15位。 2018年、スカイ・レーシングチーム・VR46へ移籍し、3年目にして才能が開花。第9戦ドイツGPで3位初表彰台、第18戦マレーシアGPで初優勝を挙げ、ロッシと抱擁した。この年は優勝1回・2位2回・3位2回でランキング7位に躍進。
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Moto2
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また2010年シーズンには、ロードレース世界選手権第13戦アラゴンGPMoto2クラスのレースに、負傷欠場のウラジミール・イワノフの代役としてグレシーニ・レーシングからスポット参戦。予選8位・決勝14位という成績を残した。この走りが評価され、2011年シーズン、スーパースポーツ世界選手権(WSS)からMoto2にスイッチ。高橋裕紀のチームメイトとして、モリワキ・MD600を駆ってグレシーニ・レーシングよりフル参戦を開始することとなった。 MotoGPカテゴリーとしては125cc時代からおよそ5年ぶりの復帰となったが、ピロは良く順応し、雨の第6戦イギリスGPでは3位に入って初表彰台を獲得。亡きチームメート、マルコ・シモンチェリの追悼レースとなった最終戦バレンシアGPのMoto2クラスで、キャリア初ポールポジション(PP)を獲得し、決勝レースでは、小雨が断続的に降る難しいコンディション。が、好スタートを切ったピッロは6周目にトップ立つと後続を引き離して27周を激走、みごと初優勝を達成、僚友に追悼の1勝を捧げた。シリーズランキングでは、ルーキー勢3番手となる8位に進出した。
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Moto2
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2012年シーズンは、チャンピオンを争ったテロルと共にMoto2クラスにステップアップ。JiRチームからTSR製のプロトマシン・TSR2で参戦。最高位は、第3戦ポルトガルGPの4位で表彰台には上れなかったが、95ポイントで年間ランキング10位となり、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。 2013年シーズン、カム・イオダ・レーシング・チームに移籍、スッターMMX2に乗り、ルーキーシーズンを上回る2回の表彰台(第5戦イタリア、最終戦バレンシア。いずれも3位)、141ポイントで年間ランキング9位となった。 2014年シーズン、エアアジア・ケーターハム・モトレーシング・チームに移籍し、引き続きスッターMMX2を使用したが、多くの人々が、優勢なカレックスのマシンと比較して劣っていると見なしていた。それでも第12戦シルバー・ストーンではポール・ポジション、4回の表彰台(第7戦カタルーニャ、第13戦サン・マリノ、第14戦アラゴン、最終戦バレンシア。いずれも3位)を獲得、146ポイントで年間ランキング6位となった。 2015年シーズン、125ccクラス時代に所属していたアジョ・モータースポーツに復帰、選手権を支配して7回のポール・ポジション、8勝を含む14回の表彰台、352ポイントを獲得(前年チャンピオンエステべ・ラバトの342ポイントを上回る新記録)、自身初のMoto2タイトルを手にした 同じチームでディフェンディング・チャンピオンとして臨んだ2016年シーズンも、7回のポール・ポジション、7勝を含む10回の表彰台、276ポイントを獲得してMoto2タイトルを防衛、Moto2クラス時代において2度タイトルを獲得した初のライダーとなった。
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Moto2
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「アジョ・モータースポーツ」の記事における「Moto2」の解説
2021年シーズンは、活動休止を発表した長島哲太やMotoGPクラスへ参戦することになったホルヘ・マルティンに変わって、ワイン・ガードナーの息子で、マレーシアのチームに在籍していたレミーとMoto3クラスで同チームから参戦したラウル・フェルナンデスを迎えることになった。マシンは前年に続きカレックスで戦う。ラウル・フェルナンデスとレミー・ガードナーの最終戦までの激闘の末ガードナーがタイトルを獲得した。
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「アジョ・モータースポーツ」の記事における「Moto2」の解説
2022年シーズンは、Moto3チャンピオンを獲得したアコスタとマルクVDSレーシングチームに所属していたアウグスト・フェルナンデスが加入。
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「2015年のロードレース世界選手権」の記事における「Moto2」の解説
Moto2ではマルクVDSレーシングチームのエステベ・ラバトがディフェンディングチャンピオンとしてシーズンに臨んだ。ラバトは第14戦のアラゴンGPまでにトップから78ポイント差に付けていたが、左橈骨骨折のため欠場を余儀なくされた。タイトルはシーズン8勝を挙げたヨハン・ザルコが獲得した。彼はフランス人ライダーとして最も成功したライダーとなった。ザルコは352ポイントを獲得したが、前シーズンラバトが獲得した346ポイントを超えて新記録となった。ラバトは負傷のため3戦を欠場し、ポンス・レーシングの新人アレックス・リンスに抜かれランキング3位となった。最終戦でラバトは優勝したが、リンスが2位に入ったため3ポイント上回った。リンスはインディアナポリスGP、オーストラリアGPで勝利を挙げ、一方のラバトは3勝を挙げた。 数少ないカレックス以外のユーザーで、スピードアップを使用したサム・ロウズが1勝を挙げて4位に入った。5位にはスッターからカレックスに乗り換え、フランスGPで1勝を挙げたインターウェッテンのトーマス・ルティが入った。6位は開幕戦カタールGPとヘレスでの2勝を挙げたジョナス・フォルガー、7位はドイツGPで1勝を挙げたザビエル・シメオンが入った。マニファクチャラーズタイトルはカレックスが危なげなく勝ち取った。カレックスは18戦中17戦で勝利し、ロウズがアメリカGPで勝利したことで完全優勝を妨げた。スピードアップが2位に入ったが、カレックスには200ポイント以上の差を付けられた。
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「2017年のロードレース世界選手権」の記事における「Moto2」の解説
前年チャンピオンのヨハン・ザルコはMotoGPにステップアップした。
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