権限の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:27 UTC 版)
12世紀初めまでに王政庁の重要職となり、国璽の管理と国璽を必要とする法令等の作成・発給などの行政事務を行った。また国政に関する国王の助言役でもあった。これらの役割を通じて幅広い行政上の役割を管理するようになり、首相が登場するまでは内閣の主要閣僚の役割を果たしていく。 プランタジネット朝以後、国王の行動範囲が拡大されて国王の滞在地とともに移動してきた王政庁の中で大法官の職務を維持することは次第と困難になり、やがて13世紀には王政庁の文書局部門とともに独立して、ロンドンのウェストミンスターに大法官府(Lord Chancellor's Department)と呼ばれる常設官庁として設置されるに至った。この時代にはその職務柄ゆえに国王の宰相としての職務を行うようになる一方で、大法官府自体は単なる事務官庁と化してしまい、大法官本来の職務の重要性は低下するようになった。 14世紀に入ると、コモン・ローによって救済を得られなかった者から国王に対してなされた直接の請願・訴えを処理する大法官裁判所(英語版)が併置され、衡平法裁判所(Court of equity)としての役割を果たす。更に15世紀半ばにイングランド議会が上下両院に分かれると、上院(貴族院)議長を兼務するようになった。 テューダー朝期には政治的発言力が増し、特にトマス・ウルジーは絶大な権勢を誇った。しかしこの頃から、コモン・ローに精通した法律家が大法官になるケースが増えていき(その第一号はトマス・モアだといわれている)、1625年以後は聖職者の大法官は姿を消す。また、トマス・モア以降は大法官が議会と国王と仲介者とみなされるようになる。 こうして大法官は立法・行政・司法において権限を拡大させていき、イギリス憲政史においても「国王と議会および裁判所を仲介するイギリス憲法に固有の職責」として肯定的に解釈されてきた。
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