年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 05:02 UTC 版)
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年表(ねんぴょう、英: timeline タイムライン)は、(歴史上の)出来事を年の順(「年月日」の順、「日付」の順)に記載した表のこと[1]。
年表というのは、(日本語では)すでに起きたこと(=「歴史上のこと」)を、起きた日付で排列(配列)した表のことである[注釈 1]。
種類・分類
冒頭の条件を満たしていれば年表であるので、年表は多種多様であり、さまざまな種類があり、分類法もいくつもある。
テーマ、つまり何に焦点を当てているかで年表を分類することがある。
- 「歴史」という言葉で指されがちな領域を広く扱っているものを「歴史年表」と呼ぶ。主に政権史(ある地域での権力者や政府の交代・盛衰の歴史)、戦争史、政治史であり、当該域の文化史に関してはほんの部分抽出といったところである。[注釈 2] つまり漠然と「歴史年表」と呼ばれているのは、実は、主として政権・権力者・戦争に焦点を当てた(当ててしまった)年表である。世界史に焦点を当てた表を「世界史年表」と言う。特定の地域にだけ焦点を当てた歴史(たとえば西欧史、中東史、中国史、朝鮮史(韓国史)、日本史など)の年表を記載したものは「西欧史年表」「中東史年表」「中国史年表」「朝鮮史年表」(韓国史年表)「日本史年表」などと呼ばれている。
- そうではない領域に焦点を当てた年表もある。たとえば音楽史年表、科学史年表などがある。
- 個人の人生の中での歴史(出来事)に焦点を当てた年表が、多くの成果を長年に渡って成し遂げた人物に関する書物(伝記など)や(百科事典などの)記事にはしばしば記載される。たとえば業績の多い音楽家や科学者などにはそうした年表が記載される。英語では全く同じように「timeline」と呼ぶが、日本語では(たいてい)「年譜」と呼ぶ(日本語では「表」と「譜」で文字は異なっているが、指している本質、年月日順に配列した表、ということは全く同じである)。「個人史年表」などとも言う。なお、近年の日本では、(著名な業績を挙げた人でなくても)普通の人々が定年後などに自分だけをテーマにした個人史(「自分史」)を(自分や家族などに向けて)書くということを行う人もいるので、そこに「自分史年表」という名の年表を記載する、ということも行われている。
表に用いられている手法で分類することもある。(ほぼ)文字ばかりの表 / 視覚的効果も多用した表、といった線引きである。
- もっぱら文字で表した年表。たとえば、起こった年(月日)と出来事を1つの行にし、それを並べたもの。
- 長い直線を描いて一種の「時間軸」とし、時間軸上の出来事のあった時間に日付と出来事を書くもの。見る人に、ひとつひとつの状態に対応する「時の長さ」を意識させる。
- 図で表す場合、年表の主題と出来事によって、年表の時間軸はどんな時間スケールでも使うことができる。ほとんどの年表は線形スケールを使用している。図上の距離はそこで表される時間に比例している。この時間スケールは、年表中ので出来事に依存している。地球史の年表は何億年もの期間を表すが、アメリカ同時多発テロ事件のタイムラインは数分の間に起きた出来事を表す。地球史年表のような非常に長い期間の年表には、対数スケールの時間軸が用いられる。
- 時間軸と直交する方向に地理的な空間を割り当てて、空間と時間の広がりを踏まえて、地球上の出来事を広く俯瞰できるようにしたもの。
-
サファヴィー朝の歴史年表。縦長の色分けされた帯を、主たる要素として配置している。
-
アレクサンドロス大王の生涯に焦点を当てた年表。その父のピリッポス2世も記載して、両者の人生が重なっていた時期や、アレクサンドロス大王が成果を上げた時期が大王の人生の中ではどのあたりなのか、を見る人に意識させている。
-
ジョゼフ・プリーストリーの『歴史の新図表』(1765年)。縦軸方向には地理的な場所を配置し、見る人の視野を広くさせ、できるだけ世界全体の歴史を、時間・空間ともに俯瞰させよう、という心くばりがある。
教育での利用
年表は、教育的な場面でよく用いられる。歴史上の出来事の前後関係や、各時期の傾向、俯瞰的な概略などを、学習者が掴むのに、年表が手助けとなるからである。
特に図で表した年表の場合、出来事の間隔や(戦争や生涯などの)出来事が起きていた時間の長さ、同時に起きていた出来事などを視覚化することが出来る。
- 歴史の学習での利用
年表は歴史の学習で特によく用いられる。それにより、時間とともに変化する感覚が伝わるからである。戦争や社会運動は年表の主題としてよく使われる。また、伝記でも使われる。
- 自然科学での利用
年表は自然科学、特に天文学・生物学・地質学の学習者のために使われる。
- 他
なお教育者や研究者も、他者を教育するためだけでなく、出来事を整理整頓しなおして自分の理解の助けとするために年表を作ることがある。
縦書き横書きと時間軸
英語、ドイツ語、フランス語などの「横書き」が原則の(圧倒的に多い)言語では、結果として縦方向に伸びてゆくように、古い出来事ほど上に、新しい出来事ほど下になるように構成される。
現代の日本語というのは横書きでも縦書きでも書かれるものなので、そういう言語では年表は、横書き時には縦方向に、縦書き時には横方向に伸びるように構成される。日本語では縦書き時には右から左へと書く習慣なので、縦書き時には、古い出来事は右側に、新しい出来事は左側に配置されることが一般的。
ギャラリー
各年代の項目
各年・各年代を表すページへの年代順の一覧。
1900年以降
全体
有史以前 | 〜11千年紀 | 10千年紀 | 9千年紀 | 8千年紀 | 7千年紀 | 6千年紀 | 5千年紀 | 4千年紀 | |||
紀元前 | 3千年紀 | 30世紀 | 29世紀 | 28世紀 | 27世紀 | 26世紀 | 25世紀 | 24世紀 | 23世紀 | 22世紀 | 21世紀 |
2千年紀 | 20世紀 | 19世紀 | 18世紀 | 17世紀 | 16世紀 | 15世紀 | 14世紀 | 13世紀 | 12世紀 | 11世紀 | |
1千年紀 | 10世紀 | 9世紀 | 8世紀 | 7世紀 | 6世紀 | 5世紀 | 4世紀 | 3世紀 | 2世紀 | 1世紀 | |
紀元後 | 1千年紀 | 1世紀 | 2世紀 | 3世紀 | 4世紀 | 5世紀 | 6世紀 | 7世紀 | 8世紀 | 9世紀 | 10世紀 |
2千年紀 | 11世紀 | 12世紀 | 13世紀 | 14世紀 | 15世紀 | 16世紀 | 17世紀 | 18世紀 | 19世紀 | 20世紀 | |
3千年紀 | 21世紀 | 22世紀 | 23世紀 | 24世紀 | 25世紀 | 26世紀 | 27世紀 | 28世紀 | 29世紀 | 30世紀 | |
4千年紀以降 |
脚注
注釈
- ^ それに対して、まだ起きていないこと、未来の予定などを日付順に記載した表は、(日本語の場合は)「予定表」や「スケジュール表」などと呼ぶ傾向がある。英語では、過去のことを扱う場合でも、未来のことを扱う場合でも、ともかく、時(time)が、線(line)的に並んでいれば、おかまいなしに「timeline」と呼ぶ傾向が、近年強まっている。実は日本語の「年表」という用語にも、「過去でなければならない」という意味の漢字や語根は含まれていない。ただ(時を表すための字である)「年」と(表形式だという意味の字)「表」の組み合わせである。
- ^ 本当は「歴史」と言っても、音楽史もあれば、科学史もあるし、庶民の(権力闘争とは縁遠い)普通の生活の歴史などもあるのだが、なぜか「歴史」と言うと、なぜか「権力史」になりがちで、政治権力や権力者のことばかりに焦点を当てて他を無視しがちである。たとえば100万人で構成された古代国家があった場合でも、権力者やその取り巻きになっているのはわずか数千人程度で、残りの大多数は権力とはほぼ無縁の、平凡な人々である。ごく一部の例外的な人間の権力闘争にばかり焦点が当てられ、残りの大多数の人々の生活や人生の実態に関する記述がないがしろにされてしまっている。このあたりの問題点は、アカデミックな世界でも、ここ数十年、頻繁に指摘されるようになってきている。
出典
関連項目
- 年表一覧
- ChronoZoom - 宇宙の始まりから現在までの歴史(ビッグヒストリー)の年表を視覚化するオープンソースプロジェクト。
- 編年
- タイムコード
- 日付 - 日付の一覧 - 旧暦の日付の一覧
- 年(一覧) - 十年紀(一覧) - 世紀(一覧) - 千年紀(一覧)
- 暦 - 暦法 - 紀年法
外部リンク
年表(祭日の変遷など)
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1030年 - 源頼義は下総の乱を鎮定のため懐島郷(鶴嶺八幡宮のある場所)に源氏の守護神石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願をする。(別に宇佐八幡宮勧請説もある)。 1191年 - 鶴嶺八幡大菩薩の隣りに伊予の三島の神を祀る佐塚明神社が建立される。 1281年 - 蒙古退散の祈祷をし、6月閏30日の晦日に勝利したのを記念して「晦日祭」を始め、これが八幡宮と佐塚明神の例祭となった、と現在の鶴嶺八幡宮は説明している。民俗学者の永田衡吉は水無月の祓と考察している。鶴嶺八幡宮の説明は1876年以前には6月29日に行われていたという史実と合わない。(1876年の項参照) 1838年または1840年 - 寒川神社の御輿の紛失事件。 1841年 - この年に幕府の昌平黌地理局の編纂した「新編相模国風土記稿」に佐塚明神が6月29日に浜で禊(みそぎ)を行っているという記述がある。 1841年 - 南湖の御旅所神主の鈴木家は指貫風の烏帽子の着用を許可される。 1868年 - 太政官達は権現、天王、八幡大菩薩などの仏教的神号を禁じた。「佐塚明神」は「佐塚大神」(さづかのおおかみ)、「鶴嶺八幡大菩薩」は「鶴嶺八幡」となる。 1871年 - 太政官布告「官社以下定額・神官職制等規則」が制定された。 1873年 - 前々年の太政官布告によって村社となった鶴嶺八幡宮は、国幣中社となった寒川神社の摂社となる。 1876年 - 旧暦の6月29日に行われていた「みそぎ」の神事を新暦の7月15日とし、名称も「浜降祭」へと変更。県令野村靖宛の申請書には農繁期を避ける旨が記されている。この年まで寒川神社は6月30日、鶴嶺八幡宮(佐塚大神)は6月29日に浜降祭を行っていた。 1877年 - 鶴嶺八幡宮は寒川神社の摂社から解放され、浜降祭を単独で行うようになる。(場所は同一か不明) 1878年 - 浜降祭参加記録2社。寒川神社と鶴嶺八幡宮のみか不明。これ以前の参加社数記録無し。 1879年 - 浜降祭参加記録5社。 1881年 - 浜降祭参加記録8社。 1883年 - 浜降祭参加記録6社。 1899年 - 南湖の海岸沿いに大きな結核療養所の南湖院ができる。神道には「病原菌」という概念はなく、「ケガレ」として認識されているので、付近で「ミソギ」が行われた可能性は低い。後年に「ミソギ」の場所がもし移動したとしてもこの付近は避けられた筈である。 1901年 - 不景気のため浜降祭中止。 1904年 - 浜降祭は奉幣のみ行った。 1906年12月 - 内務省は神社合祀令によって一村一社運動を起こし、明治末から大正初期にかけていわゆる神社整理を推進する。少なくともこの時期までに佐塚大神(旧、佐塚大明神)は鶴嶺八幡宮(旧、鶴嶺八幡大菩薩)に合祀され、旧佐塚大明神の浜降りの行事は鶴嶺八幡の主催となる。その時期は1873年(前記当該年参照)かそれ以前である可能性もある。 1915年 - 浜降祭参加記録11社。 1923年 - 鶴嶺八幡宮は改めて浜降祭に再参加するようになる。 1923年9月1日 - 関東大震災で土地が隆起し、柳島は島でなくなる。相模川の河口は一つになり、「相模川河口」の概念が変わる。寒川神社がかつて「みそぎ」を行っていたと推定されている「相模川河口」の概念はこれにより曖昧となる。近接して「中島」という地名もあり、複数回の過去の大地震による「河口」の概念の改変の可能性が認められる。また「千ノ川」は河口を失い、今の浜見平団地付近は沼地と化した。このため「ミソギ」の場所が移動したとしてもこの付近は避けられた可能性が高い。なお、千ノ川は再整備されて現在では相模川河口付近で相模川に合流するように作られている。 1959年 - 浜降祭参加記録23社。 1960年 - 浜降祭参加記録26社。 1965年 - 浜降祭参加記録13社。 1997年 - 祭日を海の日(当時は7月20日)に変更。寒川神社においては以後も旧祭日であった7月15日に浜降古式祭が行われている。 2004年 - 祝日の改正に伴って海の日が7月の第3月曜日に変更されたため、神事も7月第3月曜日へ変更する。 2016年 - 浜降祭参加記録34社 2020年 - 開催が予定されていた東京オリンピック・パラリンピック競技大会の期間と重なるため6月14日日曜日に日程を変更して開催する予定だったが、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う緊急事態宣言発令をうけて中止となった。
※この「年表(祭日の変遷など)」の解説は、「浜降祭」の解説の一部です。
「年表(祭日の変遷など)」を含む「浜降祭」の記事については、「浜降祭」の概要を参照ください。
「年表」の例文・使い方・用例・文例
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