巡業
巡業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/03 21:33 UTC 版)
巡業(じゅんぎょう)とは、 各地を興行してまわること[1]。巡った先々の土地で興行すること[2]。芸能の世界では「営業」[3]、「どさ回り」[4]といった表現も用いられる。
大相撲における巡業
大相撲において巡業とは、本場所のない時期に力士一行が本場所が行われていない地方へ出向き、1日限りの相撲披露を行うことをいう。日本相撲協会は、定款第4条において巡業を本場所と並ぶ筆頭事業として位置付けている。協会内には「巡業部」が設けられ、巡業部長は協会理事をもって充てる[5]。巡業部所属の年寄は勧進元との折衝や会場・宿舎・交通手段の手配、現地に先乗りしての準備等様々な職務をこなす。幕内力士は特段の事情がない限り参加が義務となっている。怪我などでの休場により幕内の参加者に欠員ができた場合は十両から補充する[6]。幕下以下の力士については一部の力士しか参加せず、具体的には、関取の付け人を務める力士、ご当所力士、初切や相撲甚句などの芸ができる力士などは参加するが、これらに該当しない力士や、未成年の幕下以下の力士は参加しない。
現行制度下では年4回、春(3月場所後。主に中部~近畿地方)、夏(7月場所後。主に北海道~東北地方)、秋(9月場所後。主に関東~中部地方)、冬(11月場所後。主に九州・沖縄地方)に行われている。
巡業の最大の目的は、相撲の普及に尽きる[7]。全国を回り、本場所を観戦できない地方のファンに大相撲の魅力を伝えることは、公益法人として協会の重要な責務である。
一日の流れ
開催地によって異なるが、一行は前日夜に開催地に乗り込む。呼出など一部のメンバーは前日の朝から会場に先乗りして土俵作りを行い、夕方には土俵が完成して土俵祭を行うのが通例。当日は午前が稽古、午後が取組を行い、その合間に様々な出し物(髪結い実演、初っ切り、太鼓打ち分け、相撲甚句等)を行う。
稽古の充実は巡業の大きな狙いであり、午前中の大半の時間が充てられる[7]。巡業の稽古では所属部屋では経験できない様々なタイプの力士と手合わせできる。特に若手力士にとっては、上位力士に対してどこまで己の力が通用するのかアピールできる重要な場である。また横綱など上位力士が有望力士を稽古相手に指名し、かわいがる場でもある。多くの力士が一堂に会するため、稽古方式は申し合いが主流である。やる気があれば何番でも土俵を独占できる一方、顔見せに徹し一度も相撲を取らずに終えることも可能であり、稽古の質・量は各力士の判断に委ねられる。過去には稽古熱心な力士に親方が報奨金を出す制度があった[7]。
会場内では稽古時間が限られるため、会場外で即席の土俵を作って稽古する「山稽古」もかつては多くみられた。1995年の巡業改革に伴い大規模な体育館を会場として使用することが定着すると、会場使用の制約等から山稽古は少なくなったが、地方の会場で条件さえ揃えば近年でも行われている[8][9][10][11]。
取組は、本場所とは異なり、結果が番付の昇降に関与しないため、取組編成は柔軟に行われる。同部屋同士の対戦や、人気力士・ご当所力士が横綱・大関と対戦する等、勧進元やファンの要望等に応えることもある。取組の前には、本場所と同様、土俵入り、横綱土俵入りが行われる。会場によっては「優勝者」を決定して表彰することもある。
巡業の歴史
地方巡業の歴史は古く、文禄5年(1596年)発行の「義残後覚」には、同年に関西の職業相撲の団体約10名が九州・筑後国へ巡業に出かけたと記録している。
江戸時代中期に入ると、現在の大相撲の源流とされる勧進相撲の団体が本場所とは別に興行としての相撲を行うようになり、現在の巡業のような形で各地に出かけて行って興行を打ち、生活の糧としていた[7]。現在でも巡業の主催者を勧進元というのは、これに由来している。
年間の場所数が少なかった時代は、長期の巡業を行うこともあり、この巡業での収入が、協会や各部屋にとっても大きな位置を占めていたので、明治から大正・昭和初期にかけての力士の待遇改善の要求(春秋園事件など)には、巡業収入の配分の明朗化がスローガンとして掲げられることが多かった。終戦直後には食料を求めて全国を渡り歩いたとされる[7]。
江戸時代から1957年(昭和32年)までは、各部屋や一門別に巡業を行い、巡業用の一門別巡業番付が作成されることも多かった。その後、協会が巡業を一括管理して行うようになり、一門の別を超えて合同で巡業を行うようになった。開催数の多い時代には、力士を2班に分けて同日に別々の場所で巡業を行うこともあった。
地方巡業は、各地の興行の希望者(「勧進元」)が協会に巡業開催の契約金を支払い、興行権を譲り受ける形で長年行われてきた(売り興行)。1995年(平成7年)、当時の境川理事長の下で「巡業改革」が行われ、勧進元主催から協会の自主興行(買い興行)に変更された。ところが地方巡業は改革前の1992年(平成4年)の年間94日間をピークに減少を続け、ついに2005年(平成17年)には1958年以降最少の15日間までに落ち込んだ。そのため、北の湖理事長の下で再び勧進元形態に戻すことになった。2006年(平成18年)に再開された海外巡業についても、地方巡業の増加対策と並ぶ巡業改革の一環となっている。
地方巡業における各地の相撲ファンとの接触は、相撲の全国の普及に力を発揮している。かつては横綱初代若乃花や大鵬のように巡業で現地の有望な青年を入門させ、そのまま巡業に帯同させて、帰京後に新弟子検査を受けさせ、初土俵を踏ませたケースも多くあり、夏休み終了後の9月場所の初土俵力士にはそういうケースが目立っていた。
2011年(平成23年)の巡業は、大相撲八百長問題を受けてすべて中止された[12][13]。新型コロナウイルスの感染拡大によって、2020年(令和2年)、2021年(令和3年)は巡業がすべて中止となり、2022年(令和4年)の夏巡業で3年ぶりに復活した[14]。
その他の巡業
プロレスでは、日本のプロレス興行を事実上創設した力道山が大相撲出身だったこともあり、力道山をトップに据えた日本プロレスでは地方を周り興行を行う巡業スタイルが踏襲され、以後多くの団体がそれを真似ている(プロレス#巡業も参照)。
歌舞伎でも、地方での興行(特に全国公立文化施設協会の主催するもの)に対し「巡業」の言葉が使われることがある[15]。
脚注
- ^ コトバンクー巡業
- ^ Weblio辞書ー巡業
- ^ "営業"って何? 芸能界ならではの「仕事」の取り方についてnarrow
- ^ ルーツでなるほど慣用句辞典-どさ回りimidas
- ^ 職務分掌日本相撲協会
- ^ 横綱照ノ富士ら幕内力士4人が12月3日からの冬巡業を休場 十両から碧山ら7人補充 日刊スポーツ 2023年11月30日18時53分 (2023年12月1日閲覧)
- ^ a b c d e 「普及の礎 巡業復活」読売新聞2023年11月8日付朝刊スポーツ面
- ^ 照ノ富士 満開の桜の下で“山稽古”「気持ち良かった」スポニチ2015年4月13日付
- ^ 山稽古って何? 夏巡業の風物詩 白鵬VS豪栄道なども産経新聞2015年8月30日付
- ^ 【絆トーク】野原に円書き相撲を取る山稽古もいまや形骸化サンスポ2017年4月20日付
- ^ 稽古イッツ・ア・相撲ワールド
- ^ 地方巡業中止、広がる落胆と怒り 大相撲八百長問題朝日新聞デジタル2011年2月22日付
- ^ 本場所、全容解明まで中止 巡業は年内見送り日本経済新聞2011年2月6日付
- ^ 「大相撲の地方巡業、3年ぶり開催」読売新聞2022年8月5日付朝刊スポーツ面
- ^ 2023年度(公社)全国公立文化施設協会主催「松竹大歌舞伎」巡業公演(全国各地)について - チケットWeb松竹
外部リンク
- 巡業部より日本相撲協会
関連項目
巡業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:25 UTC 版)
日本のプロレス団体でツアー展開をする場合は、相撲の地方興行やサーカスと同様、巡業の形態を取ることがある。メジャーと呼ばれる大規模団体が開催する興行数は年間100試合前後と他の格闘技と比べて圧倒的に多く、スタッフはリングや周辺機材を積んだトラックで別移動するが、プロレスラーは集団でバスなどを用いて移動して同一のホテルなどに宿泊する。 競技性を売りとするUWF系の団体では、コンディション調整に時間を割くため、興行数は年間数試合から数十試合程度となっている他、対戦するプロレスラー同士が会わないよう、別のホテルに宿泊させて競技性の保持に務めた。 集客数は、試合の会場とする場所にもよるが、スタジアムなどの大会場では数万人規模、地方の体育館やイベントホール、屋外グラウンドなどの会場では数千人から少なくとも千人程度までの集客を見込んで興行を打つことが一般的である。 興行の際の会場使用料に関しても、主要アリーナや公共の体育館は入場料を徴収するアマチュアスポーツ大会使用時よりも高額(入場料を徴収するアマチュアスポーツ大会使用時の使用料より3から10倍程度)に設定されている。使用料自体も、開催曜日(土曜・休日は平日よりも高額となる会場もある)、使用時間帯(定額制の会場もある。時間帯制の会場は時間が遅くなるほど高額になる)、最高入場料(特別リングサイド料金)、観客席の使用の有無などで会場によって異なっており、設営から撤収までの時間で使用料が決まる。会場使用料には基本使用料の他にも、時間外使用料、冷暖房料金、照明料金、テレビ中継を行った際の設備料金などの付帯料金やパイプ椅子など会場設備を損傷させた場合の弁償料などが加わる。使用料の支払は基本的に前払い(前払いの場合は支払期限があり、期限を過ぎれば予約は自動的にキャンセルとなる)であるが、予定よりも伸びた場合の時間外使用料や会場設備を損傷した場合に生じる損害賠償は、後日会場側から団体に請求される。大日本プロレスは損害賠償のリスクを回避するため、会場によってマッチメイクを決めている。国際プロレスはジプシー・ジョーが参戦したシリーズでは損害賠償に悩まされていた他、新日本プロレスは観客が暴動を起こしたために使用料をはるかに超える損害賠償を請求されたり、使用禁止を言い渡されたことがある。全日本女子プロレスは、急遽後払いに変更した会場使用料を滞納したために会場の管理者から告訴されたことがある。 会場や興行の規模によっては、使用申込後に他のスポーツイベントや行事などとの日程を調整する利用調整会議への出席が義務付けられている会場や使用申込後に団体の信用度などの事前審査を行う会場もあり、会場の事前審査によっては使用不可となる場合もある他、使用料の滞納などで使用禁止となる場合がある。一旦使用料を支払えば、開催中止の場合でも使用料を返還しない会場が殆どであり、その場合は巡業の収支にも大きく影響する。 海外ではプロレスラーの現地集合、現地解散の方式を取ることが大半で個別行動が基本。新人や若手レスラーは、移動経費の節約のため、自動車や先輩選手の自家用飛行機に相乗りで移動することもある。それが故に、大剛鉄之助やジョニー・バレンタインが事故でプロレスラー生命を絶たれたり、アドリアン・アドニスが移動中の交通事故で死去したケースもある。日本でもJWP時代のデビル雅美やFMW時代の大仁田厚は自家用車に後輩を乗せて移動していた。
※この「巡業」の解説は、「プロレス」の解説の一部です。
「巡業」を含む「プロレス」の記事については、「プロレス」の概要を参照ください。
巡業
「巡業」の例文・使い方・用例・文例
- 巡業中で
- そのサーカス団は国中を巡業した。
- 彼らは全国を回る地方巡業中だ。
- 巡業中の一座.
- 地方巡業.
- その芝居は地方を巡業中である.
- 巡業する.
- 巡業中の役者連.
- 一座を率いて巡業に出る.
- 谷の音の一行は目下東北地方巡業中なり
- 彼は巡業してショーを行った
- 彼らは巡業で行った全ての試合に負けた
- 曲芸師・道化役者・調教された動物の巡業団による演技
- 巡業中の楽団や劇団が公演を行うために行う一時的滞在
- アクロバット飛行やパラシュート降下などで全国を巡業するパイロット
- 全国を巡業して公演をする役者
- 巡業する劇団の演劇
- 地方巡業をしている劇団
- 座長芝居という,巡業を中心とする演劇
- 船客にショーを見せて巡業する汽船
品詞の分類
- >> 「巡業」を含む用語の索引
- 巡業のページへのリンク