在籍者 (学習者)
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学習者における在籍者(ざいせきしゃ)は、学校などに在籍している者のことである。
- 1 在籍者 (学習者)とは
- 2 在籍者 (学習者)の概要
塾生
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以下のとおり。記載名,順は山梔窩塾勤王家一覧表による。 大鳥居理兵衛信臣(大鳥居啓太信臣),神官,従四位,後に文久2年(1862年)2月19日(20日の説も)筑前黒崎にて駕籠の中で自刃。 水田謙次,里正,従五位,久留米藩士池尻岳五郎,古松簡二とともに水戸天狗党の挙兵に加わり,元治元年(1864年)8月13日筑波山で戦死、筑波山では武田耕雲月,藤田小四郎と挙兵。 吉武助左衛門,里正,羽犬塚人馬問屋の山口嘉助の養子となり嘉兵衛となるが後に嘉助に男子が生まれたため山口家を譲り里正となる。助左衛門妻そでは淵上郁太郎と謙三の実姉。文久2年(1862年)2月4日,人馬問屋の助左衛門邸に薩摩藩大久保一蔵(大久保利通)が立寄り真木和泉守保臣,平野国臣,淵上郁太郎が倒幕協力について会談している。 古松簡二,医師, 医師清水潜龍の子,父が生まれた上妻郡福島町古松にちなみ古松を名乗る。文久3年(1863年)脱藩,筑波山義挙に関わり広島で3年入獄,久留米藩難に関わり東京で入獄,入獄先でコレラが発生し囚人の看病を努めるも自身も感染し明治15年(1882年)病死。48歳。 大鳥居固太郎,水田天満宮留守別当職大鳥居啓太信臣の長男で真木保臣の甥,足を患っていた啓太信臣の後継者であったが、後に安政2年(1855年)10月26日,水天宮訪問時に熱病となり11月3日死亡,20歳。。 淵上郁太郎,医師,弟は淵上謙三である,正五位,慶応3年(1867年)2月18日柳川領内にて暗殺。29歳。 角大鳥居照雄,神官,真木保臣脱藩前に淵上郁太郎と長州藩へ入る。三条実美の護衛となる。明治2年(1869年)水田天満宮祀官,明治4年(1871年)12月,大楽源太郎隠匿の罪で入獄,明治6年(1873年)8月12日病死,37歳。 下川根三郎,神官,淵上郁太郎妻政子の実弟,真木保臣脱藩入薩後入洛,三条実美の護衛,七卿落ちに伴う。慶応3年(1867年)11月投獄,明治2年(1869年)解囚後は藩の軍部局員,明治4年(1871年)東京の久留米藩邸で事務,明治9年(1876年)帰郷,明治25年(1892年)病死。 酒井伝次郎,藩士,従五位, 藩老有馬右近の家臣。寺田屋事件に関わり幽囚。解囚後の文久3年(1863年)天誅組で挙兵するも八月十八日の政変で敗れ京都で入獄。元治元年(1864年)2月16日処刑。26歳。 古賀簡二(1835-1882),藩士,正五位,真木保臣脱藩入薩後,文久2年(1862年)6月18日寺田屋騒動に加わる。保臣と共に捕えられ大阪久留米藩邸に幽閉,文久2年(1862年)病死。23歳。医家の二男に生まれ、勤王の志を抱き、水戸天狗党の筑波山挙兵に参加するなど活躍、維新後久留米に帰り、明善堂教官になったが、反政府運動家として捕まり、東京・石川島獄でコレラのため死去。 鶴田陶司,医師,従五位, 寺田屋事件に関わり久留米藩に幽囚,解囚後の文久3年(1863 年)に中山忠光卿を担ぎ,大和(奈良県)での大和義挙・天誅組の乱に挙兵するも敗れ幕府側に捕らわれ,文久4年(1864 年)2月16日処刑される。25歳。 淵上謙三,医師,兄は淵上郁太郎である,従五位,後に忠勇隊。慶応2年(1866年)11月10日大宰府小野加賀邸玄関先で自刃。25歳。 荘山舎人敏功,神官,真木保臣脱藩入薩後入洛,三条実美の護衛,七卿落ちに伴う。文久3年(1863年)10月投獄,慶応2年(1866年)10月の解囚後は藩の監察属,高良大社主典,水田天満宮社司,明治40年(1907年)7月死亡。 中垣健太郎,藩士,従五位, 後に寺田屋事件に関わり幽囚。解囚後の文久3年(1863年)天誅組で挙兵するも八月十八日の政変で敗れ京都で入獄。元治元年(1864年)2月16日処刑,24歳。 荒巻洋三郎,神官,従五位, (半三郎、羊三郎とも)寺田屋事件に関わり幽囚。解囚後の文久3年(1863年)天誅組で挙兵するも八月十八日の政変で敗れ京都で入獄。元治元年(1864年)2月16日処刑,26歳。 原道太,藩士,従四位,元治元年(1864年)7月19日,禁門の変で負傷後, 鷹司邸にて自刃。27歳。 真木菊四郎,神官,従四位,真木保臣の四男,忠勇隊。慶応元年(1865年)2月14日,父真木保臣の意思を継ぎ薩長同盟を目指すも馬関(下関市観音寺付近)にて反対派に暗殺される。23歳。 大鳥居次郎,神官,従六位,大鳥居理兵衛信臣の第2子,理兵衛信臣自刃の後の大鳥居家を守る,明治29年(1896年)3月6日病死。 横枕覚助(1844-1891),里正,正八位,庄屋横枕兎平の子,古松簡二の影響を受けて、藩内農民でつくる殉国隊長などを務め、久留米藩難事件に関わり東京,新潟で入獄,明治7年(1874年)出所後は官途に就く,山梨県北多摩郡長となり、任地先の山梨でコレラにより死亡。 大鳥居菅吉,神官,大鳥居理兵衛の第3子,理兵衛自刃後は七卿落ちに伴い長州に下り王政復古に尽くす。明治4年(1871年)12月,大楽源太郎隠匿の罪で投獄,後に病死,28歳。 宮崎土太郎,大鳥居八兵衛の弟勘兵衛の子,真木保臣の弟大鳥居啓太宜臣の養母お悳の遠戚で久留米南薫町宮崎の養子となる。後に真木保臣の回天運動に関わる。 真木直人外記,従五位,真木保臣の実弟。忠勇隊。兄真木保臣と天王山で戦ったが、天王山と決別し長州に下る。後に浜田県知事(島根県),明治34年(1901年)5月13日死亡。80歳。
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