湯崎英彦
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湯﨑 英彦 ゆざき ひでひこ | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1965年10月4日(59歳) |
出生地 | 日本 広島県広島市佐伯区 |
出身校 |
東京大学法学部卒業 スタンフォード大学経営大学院修了 |
前職 |
国家公務員(通商産業省) アッカ・ネットワークス代表取締役副社長[注 1] |
現職 | 広島県知事 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
法学士(東京大学・1990年) 経営学修士(スタンフォード大学・1995年) |
親族 | 父・湯崎稔 |
公式サイト | ゆざき英彦のオフィシャルサイト |
第17 - 20代 広島県知事(公選) | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2009年11月29日 - 現職 |
湯﨑 英彦(ゆざき ひでひこ、1965年〈昭和40年〉10月4日 - )は、日本の通産官僚、実業家、経営コンサルタント、政治家。広島県知事(公選第17・18・19・20代)。アッカ・ネットワークス創業者。広島県広島市佐伯区出身。
経歴
[編集]広島県広島市佐伯区生まれ。父は社会学者、広島大学総合科学部の元教授,湯崎稔[1]。
1978年、五日市町立南小学校(現・広島市立五日市南小学校)卒業。1981年、広島大学附属中学校卒業。1985年、広島大学附属高等学校卒業。高校在学時交換留学にて米国カリフォルニア州サクラメントに1年間留学)。
1990年、通商産業省入省。通商産業省機械情報産業局総務課及び自動車課(通商問題担当)、中小企業庁計画部計画課総括係長。1995年、スタンフォード大学経営大学院(MBA)修了(国費留学)。1995年、資源エネルギー庁原子力産業課課長補佐。1997年、通商政策局米州課課長補佐。1998年、イグナイト・グループ(米国シリコンバレーベンチャーキャピタル)出向。2000年、通産省退官。
2000年、株式会社アッカ・ネットワークス設立、同社代表取締役副社長(2005年JASDAQ上場)。2008年、Office Y(アドバイザリー/コンサルティング業務)設立。
2009年、広島県知事選挙に立候補。県議会の自民党最大会派や民主党会派の支援を受けて、投票者数の半数を超える、395,638票を得て初当選した[2]。
2013年、広島県知事選挙に立候補。自民党、公明党、民主党の推薦を受けて選挙に臨み、再選を果たす[3]。
2017年、広島県知事選挙に立候補。自民党、公明党、民進党の推薦を受けて選挙に臨み、3選を果たす[4]。
広島県知事としての取り組み
[編集]- 2009年、知事就任直後に福山市の鞆の浦景観訴訟に関して現地に赴き、現地住民の意見を聞いた。同年11月、鞆の浦埋立て架橋計画見直しを示唆した。
- 2010年10月19日、予定される第3子誕生後に、都道府県知事として初の「育児休暇」を取る意向であることが報じられた[6]。第3子が誕生した同月26日に最初の「育児休暇」を取り、「イクメン」首長のひとりとして注目されたが、大阪府の橋下徹知事から批判されるなど、賛否両論の反応があった[7]。同年11月29日の県知事の定例記者会見で、10月26日から11月25日までの1カ月の間に取得した育児休暇は、計12日間でのべ約20時間であったことを公表し、育児の重要性をPRする上での効果があったとの自己評価を示した。一連の「休暇」取得終了後は、通常の執務体制に戻した[8]。日本放送協会が11月19日から3日間に行った、広島県内に住む無作為抽出の20歳以上の男女を対象にした電話世論調査では、知事の育児休暇について「賛成」が53%。「反対」が22%。「どちらともいえない」が21%[9] 。
- 2010年10月に2011年度以降、県の管理職に年俸制を適用すると発表した。これは全国の都道府県初の試みである。湯崎は官僚と民間企業双方での勤務経験があり、民間の成果主義を県政にも反映させようとしている。
- 2017年7月、横浜市立中川西中学校長の平川理恵と面会し、広島県教育委員会の教育長職を打診。平川は翌2018年4月、同教育長に就任[10]。不登校対策に力を入れ、2019年から県下の小中学校に「スペシャルサポートルーム」(SSR)を設置した[11]。
- 前任の知事藤田雄山は広島市市長の秋葉忠利と非常に関係が険悪で、広島県知事と広島市長のトップ会談は長らく開催されていなかったが、湯﨑は知事就任早々、秋葉と会談し関係改善を図った。秋葉の後任である松井一實市長とも同じ様に県と市の連携を深めていくことで合意している(湯崎は父が原爆の研究者、松井は被爆二世ということもあり、平和活動・核廃絶活動でも協力していくことを確認した)。
- 2020年に日鉄日新製鋼呉製鉄所の全面閉鎖のアナウンスメントが親会社の日本製鉄によりなされたことを受け、日鉄日新製鋼の柳川欽也代表取締役社長との面会を行い、「事前に情報提供もなく、決定事項として発表したのは遺憾」と対応を激しく批判した[12][13]。
- 2020年4月21日、新型コロナウイルス感染症の緊急経済対策として県職員が国から受け取る特別定額給付金の10万円を、県の対策事業の財源に活用したい考えを表明した[14]。4月22日、批判を受け「誤解を与える表現だった」として事実上、給付金の活用を撤回した[15]。しかし、財源捻出の選択肢の一つとして、県職員に何らかの協力を要請するか検討する考えを示した[16]。
人物像・エピソード
[編集]- 趣味はスキー、キャンプ、マウンテンバイク、トレッキング[17][18]。
- 座右の銘は「志と覚悟」[17]。
- 高校時代、高校交換留学にてアメリカのカリフォルニア州サクラメントに1年間留学[17]。
- 高校3年生の時には体育祭団長を務めた[17]。
- 学生時代は女性に人気だったようで、女子高の文化祭でライバル進学校の生徒だった"吉川晃司に睨まれた"を自慢にしている[19]。
- 宮崎県の河野俊嗣知事とは高校および大学の1年先輩に当たるが、当時面識があったかは不明。
- 「その時々にやるべきことをやり遂げる」が信念[20]。
- スタンフォード大学時代の同窓生に岡山県の伊原木隆太知事がいる。
- 東京大学法学部、通産省の同期に、東京大学大学院総合文化研究科教授の内山融がいる。
政治資金
[編集]2021年12月、自身の後援会が、2013年と2014年に、東京都の会社役員から、政治資金規正法の上限を実質的に超える年300万円ずつの寄付金を受け取っていたことが分かった[21][22][23]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “証言テープ 161本現存 爆心地の暮らし 60~70年代聞き取り”. 中国新聞社 (2011年5月26日). 2019年3月21日閲覧。
- ^ ザ・選挙 広島県知事選挙 JanJan
- ^ 産経新聞 2013年11月11日
- ^ “広島県知事選、現職の湯崎氏が3選”. 朝日新聞. (2017年11月12日) 2017年11月13日閲覧。
- ^ “湯崎知事 貫禄4選”. 読売新聞. (2021年11月16日) 2021年11月17日閲覧。
- ^ 毎日新聞 2010年10月19日
- ^ 毎日新聞 2010年10月27日 大阪朝刊
- ^ 毎日新聞 2010年11月30日 大阪朝刊
- ^ NHK広島放送局2010年11月27日の広島ローカルニュース Googleキャッシュ
- ^ 池上碧 (2017年12月19日). “広島)新県教育長に平川理恵氏、県議会が可決”. 朝日新聞 2021年9月2日閲覧。
- ^ 上野創 (2021年9月1日). “教室が苦手なら来てみない?学校内のフリースクール好評”. 朝日新聞 2021年9月1日閲覧。
- ^ 呉製鉄所閉鎖、知事に事前連絡なし「簡単に理解できぬ」 朝日新聞デジタル2020年2月8日 10時26分
- ^ 呉製鉄所閉鎖 知事、連携呼びかけ 県、市など緊急対策本部設置 /広島 毎日新聞2020年2月11日
- ^ 広島県知事「県職員は10万円寄付を」発言で議論 新型コロナ /NHK 2020年4月22日
- ^ 広島知事、県職員の給付金10万円活用を撤回 「誤解与える表現だった」 /毎日新聞2020年4月22日
- ^ 「職員の10万円活用」発言、事実上撤回 広島知事 /朝日新聞 2020年4月22日
- ^ a b c d 選挙公報に記載された情報 [出典無効]
- ^ “県知事のプロフィール - 広島県”. 広島県公式ホームページ. 2024年5月29日閲覧。
- ^ 週刊新潮 2010年11月11日号 48頁「吉川晃司に睨まれた」と妙な自慢の「育メン広島県知事」. 新潮社(2010年11月4日発売)
- ^ ビジネス+IT インタビュー 2014年2月6日
- ^ “広島知事の後援会に実質上限超す寄付 13・14年に各300万円”. 中国新聞社. 2021年12月30日閲覧。
- ^ “広島県知事の後援会、法の上限を超える寄付受領か 有力支援者から”. 朝日新聞社. 2021年12月30日閲覧。
- ^ “広島県知事の後援会に上限超え寄付か 支援者から300万円”. 産経新聞社. 2021年12月30日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]公職 | ||
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広島県知事 公選第17 - 20代:2009年 - |
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