コンテンツにスキップ

池端清一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池端 清一
いけはた せいいち
生年月日 (1929-08-20) 1929年8月20日
出生地 日本の旗 日本 北海道釧路市
没年月日 (2007-02-28) 2007年2月28日(77歳没)
死没地 日本の旗 日本 北海道札幌市
出身校 早稲田大学法学部卒業
前職 北海道教職員組合書記長
所属政党日本社会党→)
社会民主党→)
旧民主党→)
民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
室蘭市名誉市民
法学士(早稲田大学)

内閣 村山改造内閣
在任期間 1995年8月8日[1] - 1996年1月11日[2]

選挙区旧北海道4区→)
比例北海道ブロック
当選回数 7回
在任期間 1976年12月6日 - 1979年9月7日
1980年6月23日 - 2000年6月2日
テンプレートを表示

池端 清一(いけはた せいいち、1929年昭和4年〉8月20日 - 2007年平成19年〉2月28日)は、日本政治家

国土庁長官(第27代)兼研究・学園都市担当大臣兼土地対策担当大臣兼阪神・淡路復興対策担当大臣村山改造内閣)、衆議院懲罰委員長、同災害対策特別委員長衆議院議員(7期)、社会民主党国会対策委員長(初代)などを歴任[1][3]

来歴・人物

[編集]

北海道釧路市生まれ。旧制弘前高校を経て、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後は北海道日高支庁管内の学校教員に奉職し、北海道教職員組合書記長も務めた。

1976年第34回衆議院議員総選挙日本社会党公認で旧北海道4区から出馬し、初当選。しかし、1979年第35回衆議院議員総選挙では落選。1980年ハプニング解散による第36回衆議院議員総選挙で返り咲いた。同年、総理府に設置された北海道開発審議会で委員を務める。

1993年衆議院災害対策特別委員長に就任。在任中には雲仙普賢岳噴火や北海道南西沖地震が発生した。

1995年村山改造内閣国土庁長官阪神・淡路復興対策担当大臣に任命され、初入閣した。1996年、日本社会党から党名を変更して結成された社会民主党に参加し、同党国会対策委員長に就任する。しかし、すぐに離党し、旧民主党結党に参加。同年の第41回衆議院議員総選挙には比例北海道ブロック単独で出馬し、7選。なお同じく旧社会党の所属議員であった金田誠一中沢健次も比例北海道ブロックから旧民主党公認で出馬し、当選。

1999年衆議院懲罰委員長に就任。同年9月の民主党代表選挙では、横路孝弘の推薦人に名を連ねる。

2000年第42回衆議院議員総選挙には、急性白血病である妻の看病を理由に出馬せず、政界を引退した。引退後、中選挙区時代のライバルであった鳩山由紀夫の後援会長に就任。同年勲一等瑞宝章受章、2002年、室蘭市名誉市民[3]

2007年2月28日、心筋梗塞のため死去、77歳[4]。妻の死後は一人暮らしをし、平日に支援者の多い室蘭、週末に札幌市で生活しており、札幌の自宅マンションを訪れた清掃業者が池端の返事がないため管理人から家族に連絡、救急隊員がかけつけるも既に亡くなっていた。死没日をもって従三位に叙される[5]

政策

[編集]

エピソード

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『官報 平成7年特別号外第24号1頁 人事異動 内閣』(プレスリリース)国立印刷局、1995年8月9日。 
  2. ^ 『官報 平成8年特別号外第2号1頁 人事異動 内閣』(プレスリリース)国立印刷局、1996年1月12日。 
  3. ^ a b 名誉市民”. 室蘭市. 2024年6月20日閲覧。
  4. ^ “元国土庁長官の池端清一さん死去”. 朝日新聞. (2007年2月28日). オリジナルの2007年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070304084349/http://www.asahi.com/obituaries/update/0228/003.html 2023年1月2日閲覧。 
  5. ^ 『官報』第4548号11頁 平成19年3月23日号
  6. ^ 第140回国会 法務委員会請願328号
公職
先代
小沢潔
日本の旗 国土庁長官
第27代:1995年 - 1996年
次代
鈴木和美
議会
先代
山花貞夫
日本の旗 衆議院懲罰委員長
1999年 - 2000年
次代
西村眞悟
先代
森井忠良
日本の旗 衆議院災害対策特別委員長
1993年 - 1994年
次代
日野市朗
党職
先代
結成
社会民主党国会対策委員長
初代 : 1996年
次代
秋葉忠利