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川口義久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川口義久
かわぐち よしひさ
生年月日 1879年1月26日
出生地 日本の旗 日本 神奈川県鎌倉郡瀬谷村
(現・神奈川県横浜市瀬谷区
没年月日 (1945-08-28) 1945年8月28日(66歳没)
出身校 イェール大学大学院
オハイオ州立大学
日本大学卒業
所属政党政友本党→)
立憲政友会
称号 法学博士(イェール大学)

選挙区 (神奈川県第4選挙区→)
神奈川第2選挙区
当選回数 5回
在任期間 1924年 - 1937年3月31日
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川口 義久(かわぐち よしひさ、1879年明治12年)1月26日[1] - 1945年昭和20年)8月28日[2])は、日本の衆議院議員政友本党立憲政友会)、日本大学学長1933年就任[3])。

経歴

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神奈川県鎌倉郡瀬谷村(現在の横浜市瀬谷区)出身。日本大学を卒業後、オハイオ州立大学で学び、修士号を取得。さらにイェール大学大学院で学んで、法学博士の称号を得た。帰国後、日本大学の幹事、講師、学監、理事、教授、学長を歴任した。

また清浦内閣小松謙次郎鉄道大臣の秘書官を務め、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、5回の当選回数を数えた。その他、川口製糸株式会社社長、瀬谷銀行取締役、日華学会評議員なども務めた[4]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、5頁。
  2. ^ 『新訂政治家人名事典』
  3. ^ 沿革と概要”. 日本大学芸術学部 校友会. 2014年9月15日閲覧。
  4. ^ 『代議士詳覧』

参考文献

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  • 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。 
  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十一年三月』衆議院事務局、1936年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。