日本国憲法が揺らいでいる。憲法解釈を大きく変更した安保法が国会で成立し、自民党はさらに改憲を目指す。その根底にあるのが「押しつけ憲法論」だ。だが日本国憲法がこれまで70年間、この国の屋台骨として国民生活を営々と守り続けてきたのも事実である。この連載では戦後70年、日本国憲法が果たしてきた役割、その価値を改めて考えたい。
第1回は日本国憲法がひとりの女性を救った物語である。
栃木県某市。その地域のことをどう表現すればいいのか、戸惑う。ちょっとした幹線道路と小さな道路に区切られた一角に団地が建ち並ぶ。辺りには民家と田んぼしかない。表現の手掛かりになるような特徴がなく、ぬるっと手から滑り落ちそうなところ。そんな地域が、日本憲法史上に特筆される裁判の舞台となった。
裁判の名前を「尊属殺重罰事件」という。日本で初めて最高裁判所が法令違憲の判決を下した事件といわれている。
事件は47年前の1968(昭和43)年10月5日に起きた。父親Xさんと同居していた娘のA(当時29歳)がXさんのクビを絞めて殺した。「尊属殺人」とは親を殺害することである。
事件発生から2日後の10月7日、下野新聞朝刊が事件の一報を伝えた。
《娘が父親を絞め殺す》
とヨコ一段の大きな見だしで、さらにタテに
《熟睡中にヒモで》《娘の恋愛からけんか》
と並ぶ。記事本文は
《五日夜十時半ごろ、○○市○、植木職人Xさん(五三)の二女Aが近所の○さん方に「とうちゃんの首を絞めて殺してしまった」とかけこんできた》
《Aは非常に興奮して、ただ泣きじゃくるばかりで一睡もせずに一夜を明かし、六日の朝食も食べないほどだったが、夕刻になって「昨夜も父親と口論し、夢中で殺してしまった」と自供した》
口論の原因は、Aが働きに出た印刷会社で恋人ができたことだった。
《これを知ったXさんはきちがいのようにねたみ、暴行を働いたため、Aは、二十日前から勤め先を休んでいた》
朝日新聞の栃木県版も同様の内容を記事にしていた。
これだけ読めば親子喧嘩のなれの果て、と思うだろう。だが事件には新聞記事では公にされていない事実があった。
事件から数日後、宇都宮市内で事務所を構える大貫大八弁護士(故人)のところにひとりの依頼人が現れた。殺されたXさんの別居中の妻Yさんだった。依頼内容は娘のAの弁護だった。そこで語られたのは、おどろおどろしい事件の背景だった。
Aは14歳のころに実父のXさんから犯され、それからずっと近親相姦の関係を強要されていたのだ。しかも父親との子どもを5人も出産し、2人は死亡したものの、3人の子どもを育てていた。やがてAさんが外に働きに出て、恋仲の男性ができ、結婚の約束をする。それを知ったXさんが激怒し、あの夜の犯行につながっていく。
大八弁護士の息子でのちに訴訟を引き継ぐ大貫正一弁護士は、Yさんが依頼にきたときの様子をこう語る。
「お母さんは自分の恥を忍んでよく相談にこられたと思いますよ。話を聞いているうちにお母さんも、オヤジも私も涙を流してね」
ただの刑事事件にはならなかった。なぜならAは刑法199条だけでなく同200条でも起訴されたからである。
普通の殺人罪は199条で
《人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上(当時。現在は5年)の懲役に処する。》
と規定されているが、尊属殺はそれとは別に200条で次のように規定されていた(現在はこの規定は削除。詳細は後述)。
《自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス》
最低刑が無期懲役なので、Aの境遇その他を情状酌量して減軽したとしても、刑法の規定から執行猶予がない実刑判決を免れない。
もともと日本の刑法は明治40年、大日本国憲法下で制定されたもので、刑法200条の趣旨は親を尊ぶ家族制度観・封建的制度を反映したものだった。戦後、日本国憲法が成立してから新憲法の理念に適合するよう一部の条文改正がなされたが、刑法200条はそのまま残っていた。
しかし刑法200条が日本国憲法14条の「平等原則」に違反しているのではないか、という議論は当時からすでにあった。憲法14条1項はこうある。
《すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない》
ここでいう「人種」などは例示列挙であり、これ以外の理由でも不平等、差別は許されない。「普通殺」と「尊属殺」を分けて考えて、尊属殺に重い刑罰を科すことは「不平等」ではないのか。最高裁判所はこの問い掛けに対して、1950(昭和25)年、合憲判決を下した。以降、大貫弁護士の調べによると毎年平均して34件の合憲判決が積み上がっていたという。
だが果たしてAのようなケースにおいても、刑法200条を適用し、Aに実刑判決をくだすことは「正義」なのだろうか。
弁護士料は、リュックサック一杯のジャガイモ
大貫弁護士は
「オヤジも私もこらあえらい事件だと思った。これが実刑になったら大変だ。だって、可哀想じゃないか……実刑を逃れるには、200条を憲法違反にして無効にするしかない、と。合憲判決は高く厚く積み上がってましたからね、大きな挑戦でした」
と話す。
当時のことを想い出したのか、私に話をしながら大貫弁護士は涙を流した。弁護士料はYさんがリュックサック一杯につめてきたジャガイモだった。
「貧しいお家だったから、お金なんて取れないですよ。ジャガイモはちゃんと美味しくいただきましたよ」
親子二代に渡る最高裁までの長い道のり、日本憲法史上に輝く裁判は、ジャガイモで始まったのだ。
Aはどのような人物だったのだろうか。XさんとAについて記憶を残す人を地元で見つけた。
「XさんとAさんはてっきり夫婦だと思ってたよ。事件が起きて親子だと知ってびっくりした」
と、その地元の人はいう。2人が暮らしていたのは玄関のドアを開けるとすぐ二間の部屋という狭いアパートだった。暮らしぶりはたいへんだったらしい。
「Xさんの植木職人の腕は良かった。ただ1カ月のうち10日働いて、あとの20日間は酒飲んで暮らすという生活を送ってみたいだね。あのころ植木職人の手間賃はけっこう貰えたから、そういう生活も出来たんだろう」
「貧しかったから、近所の人がよく畑で取れた野菜をあげていた。Aさんもそのお返しで畑の草むしりとか手伝ってたよ」
「Aさんは体格がけっこう良くて、器量よしだった。ああいう悲惨な生活を送っていたとは思えなかったな」
当時の記事では、Aの境遇に同情して、地元で減刑を願う運動が始まりそうという記述があったが、この地元の人は「記憶に無いねえ」と首をひねった。
「ただ裁判の証人で地元の人間が宇都宮裁判所まで何回も行っとったよ。それはみんな同情するよ、人を殺したのはいけないけれど、ああいう父親だし……」
実際、近所の主婦が参考人取調中に、
「Aちゃんは可哀想な人だ。運の悪い星の下に生まれたんだ」
と、突然両目に手をあてて泣くこともあった。
Aが悲惨な環境で育ったように見えない、というのは大貫正一弁護士の印象とも合う。
「暗いところがないんだよね。はっきり喋って、素直な女性という印象でした。あと記憶力が抜群に良かった」
その記憶の良さがのちに裁判に生きた。
先述した通り、刑法200条は1950(昭和25)年の最高裁で合憲判決が出ている。その論旨を紹介しよう。
判決は憲法14条の平等原則があるが、
《このことは法が、(中略)道徳、正義、合目的性等の要請より適当な具体的規定をすることを妨げるものではない。刑法において尊属親に対する殺人、傷害致死等が一般の場合に比して重く罰せられているのは、法が子の親に対する道徳的義務をとくに重要視したものであり、これ道徳の要請にもとずく法による具体的規定に外ならないのである》
として、さらに刑法200条が封建的制度の名残りという批判に対して
《(前略)夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本、古今東西を問わず承認せられているところの人類普遍の道徳原理、すなわち学説上所謂自然法に属するものといわなければならない》
として退けた。「人倫の大本、人類普遍の原理」とは、大きな言葉である。
合憲判決を下すに当たり、最高裁判事同士でも合憲派と違憲派でかなり激しい言葉のやりとりがあったという。
大貫弁護士は一審で、実刑判決を免れるために、①刑法200条は法令違憲、②刑法200条の適用違憲、③傷害致死、④嘱託殺人、⑤正当防衛、⑥心神耗弱、⑦自首などの主張を並べた。
特に本丸は①の200条を法令違憲とする作戦である。大貫弁護士は、事件の「特異性」を強調し、全てをさらけだす作戦に出た。
「『判例は事実によって発展する』と言われています。合憲・違憲の議論はすでに尽くされており、裁判官にどちらを選ばせるか、心を動かすためには事件の『特異性』を強調するしかないと考えました」
具体的には父Xさんの所業を詳述することで、合憲判決の「親子を支配する道徳は人倫の大本」を突き崩そうとしたのである。
事件前の出来事から事件当日のことは、Aの記憶を手掛かりにした。一審の判決文からそこを抜き出してみる。
まずAが印刷場で恋人Gと出会い、結婚を考えるに至る過程が述べられている。
《被告人(=A)が印刷所に入所して二年余を経過した昭和四十三年四月、同印刷所にG(=Aの恋人)が印刷工として入所し、被告人と同じ職場で働くこととなったが、Gは、被告人の誠実で明るく振舞う態度に並々ならぬ好意をもち、進んで被告人の仕事を手伝ったりしたことから、被告人もまたGの人柄に愛情を覚えて、帰宅の途を共にするなどして語り合う機会を重ねた末、昭和四十三年八月下旬頃、被告人よりその心中を打ち明けたことから忽ち、相思の仲となり、被告人と父Xとの前記不倫の関係を知らないGは、真面目に被告人との結婚を望み、その決意を固めて、熱心に、反対する両親を説得してこれを動かそうと努めるとともに、被告人においても早急にその父親の承諾を得てくれるよう催促した》
《このようにしてGの真情を知るに至った被告人は、ここに初めて暗澹たる生活に光明を見出し、内心、父の子をなした身をためらいながらも、Gの愛情を頼みとして、父Xのため一方的に強いられたことに始まった父との不倫の関係を断ち切って、現在の忌むべき境遇から脱却するためにも、この際父XにGとの間柄を打ち明けて、その了解のもとに円満にGとの結婚を成就したいと熱望するに至った》
しかしAの願いは受け入れられず、父Xによって半ば軟禁状態に置かれてしまう。
そして事件が起きる。
枕もとにあった股引きの紐を右手につかみ……
《被告人は昭和四十三年十月五日午後九時三十分過ぎ頃、当時の邸宅であった○○住宅六畳の間において就寝中、被告人の傍らに就寝していたXが、突然目をさまして寝床から起き出し、茶ダンスにあった焼酎をコップに二、三杯たてつづけに飲んだうえ、寝床の上に仰向けになったまま被告人に対し、大声で「俺は赤ん坊のときに親に捨てられ、十七歳のとき上京して苦労した。そんな苦労をして育てたのに、お前は十何年も俺をもてあそんできて、この売女」といわれのない暴言を吐いて被告人をののしった》
《被告人も目をさまして「小さい時のことは私の責任ではないでしょう。(後略)」と反駁した。すると、Xは益々怒り出し、「男と出ていくのなら出て行け、どこまでものろってやる」「ばいた女、出てくんなら出てけ、どこまでも追ってゆくからな、俺は頭にきているんだ、三人の子供位は始末してやる。おめえはどこまでものろい殺してやる」などと怒号し、半身を起こして突然Xの左脇に座っている被告人の両肩を、両手でつかもうとする姿勢で被告人に襲いかかってきた。
被告人はこれを見てとっさに、前記九月二十五日以来被告人がなめてきたいくたの苦悩を想起し、Xがこのように執拗に被告人を自己の支配下に留めてその獣欲の犠牲とし、あくまで被告人の幸福を踏みにじって省みない態度に憤激し、同人の在る限り同人との忌まわしい関係を絶つことも世間並みの結婚をする自由を得ることもとうてい不可能であると思い、この窮地から脱出して父Xより前記の自由を得るためには、もはやXを殺害するよりほか、すべはないものと考え、とっさに両手で被告人の肩にしがみついてきたXの両腕をほどいて、同人の上半身を仰向けに押し倒したうえ、寝床の上に中腰で起き上がったまま左手でXの左側からその上体を押え、枕元にあった同人の股引きの紐を右手につかみ、これを同人の頭の下にまわして、その頭部にひとまわりするように紐を巻きつけたうえ、その両端を左右の手に別別に持って同人の前頸部付近で交差させ、自己の左足の膝でXの左胸部付近を押えて、紐の両端を持った前記両手を強く引き絞って同人の首を締めつけ、よって同人をしてその場で窒息死するに至らして、これを殺害した》
大貫弁護士は一審の審理に手応えを感じていた。
「3人の裁判官が証人尋問で非常に親身になって聞いてくれたんですよね。これでなんとかいけるんじゃないかみたいな感覚がありました」
一審判決は刑法200条は違憲無効、過剰防衛により刑の執行を免除する、というものだった。弁護側の100点満点の判決が出た。
だがすぐ控訴され、二審の東京高裁では逆に刑法200条は合憲、懲役3年6月の実刑判決という逆転有罪の判決が出た。
裁判では一審の判決を高裁が保守的な観点から逆の判決を出すことはよくある。最高裁まで行くのは最初から予想していた展開だ。
「高裁の判決はそんなものだろう、最高裁は弁護士出身の判事もいるから、戦えると思ってた。自信はなかったけれどね」
しかし審理の過程で大貫弁護士は「いけるのではないか」という感触を持つ。
ひとつは最高裁が審理の場を裁判官が5人で審議する小法廷から、15人全員で審議する大法廷に切り替えたこと。小法廷から大法廷への切り替えというのは、最高裁が大きな憲法判断を下す際に必ず行われる。従来通りの合憲判決なら、そのまま小法廷で審議すればいいはずだ。
最高裁調査官の態度も違った。最高裁調査官とは、判事の下で判例を調べたり、関係者から聞き取り調査をする。ときには判決の下書きを書くこともあり、調査官の心証は判決内容に影響を与えることもある。
「ふつうなら形式的に1回ぐらいしか聞き取りしないのに、何回か話を聞いてくれました。その聞き方も非常に親切でね、あ、これは判例を変更するかもしれないと目の前が明るくなるような気持ちでした」
さらに最高裁では異例とも言える弁論(弁護士が上告趣意を法廷で直接、裁判官に訴えること)の機会も与えられた。大貫正一弁護士はそこで改めて事件の特異性を強調した。
《被害者(=Xさん)は十四歳になったばかりの純真な被告人を、しかも実子である被告人を暴力で犯したばかりか、爾来十五年も夫婦同様の生活を強いて被告人の人生をじゅうりんする野獣に等しい行為に及んでいるのであります。被告人と被害者の間に出生した子からみれば被害者は父であり被告人は母であって、両者は同列の直系尊属であります。又被害者の感情の中には、被告人に対して既に子としての愛情は片りんもなく、妻妾としての情感のみであったのであります。
特に被告人が恋人との結婚の許しを乞うてから以降の被害者の行動の中には、子に対する父親らしい愛情はみじんも見い出すことができず、唯嫉妬に狂乱する夫のというより男の姿のみしか認められないのであります。ここに至っては被害者は父親としての倫理的地位から自らすべり落ち、畜生道に陥った荒れ狂う夫のそして男の行動原理に翻弄されているのであります。
刑法二○○条の合憲論の基本的理由になっている『人倫の大本・人類普遍の道徳原理』に違反したのは一体誰でありましょうか。本件においては被告人は犠牲者であり、被害者こそその道徳原理をふみにじっていることは一点の疑いもないのであります。本件被害者の如き父親をも刑法二○○条は尊属として保護しているのでありましょうか。かかる畜生道にも等しい父であっても、その子は子として服従を強いられるのが人類普遍の道徳原理なのでありましょうか。本件被告人の犯行に対し、刑法二○○条が適用されかつ右規定が憲法十四条に違反しないものであるとすれば、憲法とは何んと無力なものでありましょうか》
弁論は何度も練習し、当日は大いに緊張したという。「畜生道」という強い言葉は上告趣意書になく弁論で付け加えた。後半、「ありましょうか」と3回も畳みかける訴えは印象強く、私は「名演説」の一種だと思う。
果たせるかな、1973(昭和48)年4月4日、最高裁は判例を変更して、刑法200条は憲法14条に違反して無効、と判決した。そして刑法199条のもと情状を酌量して懲役2年6月、執行猶予3年の刑をくだした。弁護側の勝利である。
《刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限つている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならず、したがつて、尊属殺にも刑法一九九条を適用するのほかはない。この見解に反する当審従来の判例はこれを変更する》
違憲判決の論理構成に専門家が「ものいい」
しかし裁判の結末とは別に、最高裁の多数意見の論理構成にはのちに専門家から留保が付けられた。
憲法14条の平等原則の違憲審査基準は2段階で行われる。
(1)取扱いを異にする「区別」の目的に合理性はあるか。
(2)「区別」する目的に合理性があったとしても、その方法・程度に合理性はあるか。
多数意見はまず、
《憲法一四条一項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であつて、同項後段列挙の事項は例示的なものであること、およびこの平等の要請は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべき(後略)》
《そして、刑法二〇〇条は、(中略)同法一九九条の定める普通殺人の所為と同じ類型の行為に対してその刑を加重した、いわゆる加重的身分犯の規定であつて(中略)、このように刑法一九九条のほかに同法二〇〇条をおくことは、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるというべきである。そこで、刑法二〇〇条が憲法の右条項に違反するかどうかが問題となるのであるが、それは右のような差別的取扱いが合理的な根拠に基づくものであるかどうかによつて決せられるわけである》
《刑法二〇〇条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することをもつて一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる所為を通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて特に強くこれを禁圧しようとするにあるものと解される》
《尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値するものといわなければならない。しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であつて、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値するということができる》
《このような点を考えれば、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない》
《法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもつてただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはできず、したがつてまた、憲法一四条一項に違反するということもできないものと解する》
つまり普通殺と尊属殺を分けて規定して、尊属殺人に重い刑罰を科すこと自体は憲法に違反しない、と判断したわけである。先述の違憲審査基準の(1)はパスしたと判断した。
《しかしながら、刑罰加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合がないとはいえない。すなわち、加重の程度が極端であつて、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならない》
《この観点から刑法二〇〇条をみるに、(中略)、刑種選択の範囲が極めて重い刑に限られていることは明らかである》
《処断刑の下限は懲役三年六月を下ることがなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の場合とは著しい対照をなすものといわなければならない》
《このようにみてくると、尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点(現行刑法上、これは外患誘致罪を除いて最も重いものである。)においてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない》
先の違憲審査基準で(1)のテストはパスするが、(2)のテストに引っかかって違憲、という論理なのである。
これに対して多数意見の中の田中二郎裁判官が補足意見で「ものいい」を付けた。
《私は、(中略)、その結論には賛成であるが、多数意見が刑法二〇〇条を違憲無効であるとした理由には同調することができない》
《すなわち、多数意見は、要するに、刑法二〇〇条において普通殺人と区別して尊属殺人に関する特別の罪を定め、その刑を加重すること自体は、ただちに違憲とはいえないとし、ただ、その刑の加重の程度があまりにも厳しい点において、同条は、憲法一四条一項に違反するというのである。これに対して、私は、普通殺人と区別して尊属殺人に関する規定を設け、尊属殺人なるがゆえに差別的取扱いを認めること自体が、法の下の平等を定めた憲法一四条一項に違反するものと解すべきであると考える》
田中裁判官は(1)でアウトだというのである。
《私も、直系尊属と卑属とが自然的情愛と親密の情によつて結ばれ、子が親を尊敬し尊重することが、子として当然守るべき基本的道徳であることを決して否定するものではなく、このような人情の自然に基づく心情の発露としての自然的・人間的情愛(それは、多数意見のいうような「受けた恩義」に対する「報償」といつたものではない。)が親子を結ぶ絆としていよいよ強められることを強く期待するものであるが、それは、まさしく、個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立つて、個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべき道徳であつて、決して、法律をもつて強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによつて遵守させようとしたりすべきものではない。
尊属殺人の規定が存するがゆえに「孝」の徳行が守られ、この規定が存しないがゆえに「孝」の徳行がすたれるというような考え方は、とうてい、納得することができない。尊属殺人に関する規定は、上述の見地からいつて、単に立法政策の当否の問題に止まるものではなく、憲法を貫く民主主義の根本理念に牴触し、直接には憲法一四条一項に違反するものといわなければならないのである》
田中裁判官の意見に、小川信雄、坂本吉勝裁判官も同調を表明している。
まったくの余談だが、唯一の反対意見で合憲論を唱えた下田武三裁判官は外務官僚出身で、のちにプロ野球コミッショナーに就任しているが、わずか1年で退任している。下田氏のリベラルな姿勢が一部球団オーナーの不興をかったと噂されている。人というのは分からない。
判決の読み上げを、大貫正一弁護士は父・大八弁護士の遺影を入れた胸ポケットに手を当てながら聞いていた。大八弁護士は昭和46年に病気でこの世を去っていた。それは親子二代に渡る執念が実った瞬間だった。
実は正一氏は大八氏の実子ではない。正一氏は義務教育を卒業すると日雇いの仕事をしながら農業高校を卒業し、中央大学法学部の二部に入学した(のちに昼間部に転部)。子どものころから苦労した人生だった。弁護士になり、勤めた先の大貫大八弁護士に子どもがおらず、見初められて養子になった。そういう己の苦労が、弱い人の立場でジャガイモだけの弁護士料だけで最高裁まで争う姿勢につながったのではないか。私の問いに大貫弁護士は「さあ、それはどうでしょうね」と柔らかい笑みでかわすだけだったが。
「私ごと忘れてしまいなさい」
Aはその後、別の男性と結婚した。毎年正月になると年賀状を送ってきていたが、大貫弁護士が
「もうそういうことはやめなさい。いつまでも私に年賀状を送ると、あなたも辛い事件のことをいつまでも覚えていることになる。私ごと忘れてしまいなさい」
と言ってから、音信が途絶えた。今は生死も含めてどこでどうしているのかわからないという。私はあれだけ時間と労力を掛けた裁判を、依頼者のために「自分まるごと忘れろ」という大貫弁護士の姿勢に人としての優しさを見る。
大貫正一弁護士は
「この裁判に関われたことだけでも、自分が弁護士をやっていた価値があったと思える」
と言う。「ひとりの女性を救えたんですものね」という私の相づちにかぶりをふった。
「それだけじゃなく、刑法200条が違憲無効になったからだよ。そのおかげであの条文に苦しめられた人たちも救えた」
違憲無効とされた刑法200条はその後運用されなくなったものの、刑法から正式に削除されるには1995年の刑法改正まで待たねばならなかった。
明治憲法から日本国憲法に改正されて、もっとも価値が転換したもののひとつに、「家父長制度」からの解放がある。憲法24条1項において《婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本》と規定しているのは、そのひとつの象徴である。
本判決も、「家父長制度」の残滓ともいえる尊属殺重罰規定を違憲無効にすることによって、たとえ親子であっても一個の人格として同等であることを宣言した。田中補足意見が親子の情愛について
《個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立つて、個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべき道徳であつて、決して、法律をもつて強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによつて遵守させようとしたりすべきものではない》
というくだりに大きく頷く人も多いだろう。今判決は結果において妥当であり、刑法200条が削除された今でも、憲法の教科書、重要判例集に記載されている。
日本国憲法と「旧家族観」を巡る争いは平成の時代になってもまだ続いている。2013年9月、最高裁は嫡出でない子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1と定めた民法900条4号ただし書を憲法14条の平等原則に反するとして違憲無効にした。これは1995(平成7)年の最高裁が下した合憲判決を判例変更したものだ。「人と人は平等」というのは当たり前の観念だが、ではどういうことなのかと具体的に踏み込んでいくと、それはそのときの社会意識を反映して、揺れ動いていることに気づかされる。今後は同性婚も憲法の俎上に上がっていくことになるだろう。
大貫正一弁護士は現在は弁護士業の一線を退いている。毎週、ケアセンターで碁敵に会うのが楽しみという。
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