坂田 亮太郎 日経ビジネス副編集長 東京工業大学大学院修了後、98年日経BP入社。「日経バイオテク」「日経ビジネス」を経て2009年から中国赴任。北京支局長、上海支局長を経て2014年4月から日経ビジネスに復帰 この著者の記事を見る
坂田 亮太郎 日経ビジネス副編集長 東京工業大学大学院修了後、98年日経BP入社。「日経バイオテク」「日経ビジネス」を経て2009年から中国赴任。北京支局長、上海支局長を経て2014年4月から日経ビジネスに復帰 この著者の記事を見る
現代東京の風俗街と聞いて、誰もが思いつく筆頭エリアといえば、歌舞伎町と吉原だろうか。渋谷や池袋、五反田、上野、錦糸町なども盛んで、つくづく東京は歓楽都市だと思うのだが、18~19世紀の中頃、つまり江戸後期の風俗産業の活気は、いまの比ではなかったらしい。 本書『江戸の下半身事情』によれば、政府公認の遊郭が建ち並ぶ吉原には200軒以上の妓楼がひしめき、岡場所といわれる非公認の売春街が50箇所近くあった時期もある。他に夜鷹といわれる違法営業の個人売春、飯盛女という女郎がいる宿場など、犬も歩けば遊里に迷い込んでしまうほどに盛ん。 江戸の人々は、性体験も早かった。よく言えば性にオープンということなのだろうか。しかし本書によれば、それは当時の社会事情と深く関わっていることがわかる。当時の結婚適齢期は15~16歳。10歳前後で吉原に売られ、禿(かむろ。遊女の身の回りの世話をする少女)として育てられた女の
昨年の夏、朝日新聞の北京オリンピック一年前特集で、「よーし、信じるこの街を」という大きな見出しを目にしたとき、「おやっ」と思った。「北京便り」と題する不定期連載コラムで、今年に入ってからも「信じる」という言葉を何度か使っていた。筆者は作家の重松清さんである。 文脈ごとに「信じたい」内容は違っているものの、どうしてそこまで? この人は何を信じたいんだろう? そんな違和感を覚えた。 せめて「見守る」、「応援したい」くらいならわかるけど。所詮外国で開かれるオリンピック。心配しても仕方がないのに、筆者の思い込みの強さが意外に感じられたからだ。 未だに解決のつかない毒ギョウザ事件に始まり、チベット騒乱、聖火リレーの大混乱と、嫌中感情とは本来無縁の多くの読者も中国にはうんざりしていた頃だと思う。連日集中的に繰り広げられた当時の日本のマスコミによる中国「毒」報道の過剰さにも問題があったかもしれない。しか
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