好奇心過剰な人々の集うデイリーポータルZライター陣。食にも冒険心を発揮しがちなメンバー達に、ひとに薦めたいおすすめのお菓子や飲み物を教えてもらいました。 今回は月餅さんのおすすめ、くにひろ屋「洋酒ケーキ」です。 ※Amazonのブラックフライデーセールに合わせた、おいしいお菓子特集です。年に一度の大型セールの会場はこちら! 月餅: 広島のお菓子なんですけど…… ハナウタ: あっ、くにひろ屋! 石川: ハナウタさん、知ってます? ハナウタ: 知ってます。美味しいですよ。 ※ハナウタさんは広島在住 食べる前から、うまいもの食った表情のハナウタさん 月餅: 友達がカープファンで、広島によく遠征行ってて…… べつやく: お土産に買ってきてくれた? 月餅: そう。最初にもらった時に、うますぎてびっくりしちゃって。 ブランデーとラム酒に漬けてあって、食べたらもう「漬けてあるな!」って、めっちゃわかるん
私は広島県広島市内の出身だ。父方、母方どちらの祖父母も被爆しているので、被爆三世に当たる。ほんの小さな頃、その呼び名を聞いたとき「ルパン三世みたいでかっこいい!」と思ったのを覚えている。「原爆」「被曝」が恐ろしいものだという認識はあったのだが、ダークヒーローへの憧れを持っていた私は「恐ろしさ」こそが魅力だったし、その原爆によって闇のパワーを授けられし者って感じがする! このパワーは、普通の人間が忌避するものを透視する能力を目覚めさせるのだ……みたいなことを考え、ウットリしていた。「被害」という発想は、まるでなかった。 「男には簡単な仕事」という連載ではあるが、今回の特集「反戦」に沿って、戦争が人の心にどう複雑に入り込んでいくかについて考えるきっかけとなった祖母の話がしたい。 彼女は豪快な笑い声と笑顔がトレードマーク、とにかく明るい人だった。私がどんな無茶をやっても怒らず、お洒落でお料理上手
自分が子どもの頃、『まんが日本の歴史』といった類の学習漫画を除けば、通っていた小学校の図書館においてある唯一の漫画が『はだしのゲン』(中沢啓治)だった。 子供たちに原爆の悲惨さ、戦争の悲惨さを伝える作品という平和教育の一貫という立ち位置で置かれていたのだと思う。 特に説明する必要のない大メジャー作品であるが、念のため説明すると、戦中戦後の広島で主人公のゲンたちが理不尽なものに対する怒りを抱えながらバイタリティーいっぱいに必死に生きていく姿を描いた、作者・中沢啓治の被ばく体験など自伝的要素が反映された作品である。 1973年に『週刊少年ジャンプ』で連載がスタート、ジャンプでの連載終了後に革新系の雑誌である『市民』、日本共産党系の論壇誌である『文化評論』、日教組(社会党の支持母体の一つであった)の機関紙『教育評論』と掲載誌を移しながら1987年に連載が終了する。ジャンプ以降の連載誌を全て共産党
広島への原爆投下は、79年たった今なお被爆者たちを苦しめる。それでも心に秘めた記憶と向き合い、語り始めた人がいる。次世代にその声をどうつなげていくのか。被爆者の高齢化が確実に進む中、私たちの覚悟が問われている。 次世代に希望、体験伝えて 母と弟失った松坂さん 目がくりっとした弟は、家の中を駆け回っていた。猛火はその乳飲み子と母を容赦なくのみ込んだ。ずっと心に秘めてきた79年前の記憶。92歳になったこの夏、家族を引き裂いたあの日のことを初めて語り始めた女性がいる。 6日朝、その女性の姿は広島市内で開かれた母校の追悼式にあった。松坂緑さん=広島市中区=はつえをつきながら慰霊碑に献花すると、深々と頭を下げた。
どんな理由があろうと、戦争は罪悪です。平和、平和とただ口で唱えるだけでなく、平和のための行動をしよう。 月丘夢路
私、加藤賢崇の母である、加藤春江(1929〜2009)が、16歳のとき、1945年8月6日に、広島市で被爆したときの体験を、1987年ごろに振り返った、手書きのノートを残したものが数冊ありました。 母の自宅は当時、爆心地から数十メートルの、本通りという商店街の中にありました。(おそらく、現在はうずしおというお好み焼き屋のあるあたり) しかし、母は原爆投下の瞬間は、そこから3キロほど離れた「被服廠」という軍服などを作る頑丈なレンガ造りの建物の中で学徒動員で働いていたため、命だけは助かりましたが、3キロ離れていても、こんなことになるのか、と手記を読むと驚きます。(ちなみに、この「被服廠」の建物は、現在も広島市の県立工業高校、皆実高校、という学校の横に残っていて保存されています。) 母が亡くなった後で、2011年頃からテキストに起こしたものを少しづつネットで公開していたのですが、読みやすさを考え
広島駅裏の小高い二葉山に銀色の塔がそびえている。釈迦を祭った仏舎利塔で、ドーム状の異質なシルエットは山陽新幹線の車窓からも見える。 しかし、その名前が平和塔だということはどれだけ知られているだろう。被爆地広島の聖地平和記念公園と原爆ドームからは数キロ離れ、観光客が訪れる様子もない。 実は戦後間もない頃、爆心地付近にも平和塔があった。わずか4年で取り壊されたが、その後も復興と平和の象徴として再建が目指されていた。 広島出身の都市社会学者仙波希望さん(36)は、ほとんど顧みられてこなかった平和塔の歴史に着目してきた。 79年目の8月6日を前に、その成果は『ありふれた<平和都市>の解体 広島をめぐる空間論的探求』(以文社)として世に放たれた。平和塔とは一体何だったのか。そして仙波さんが地元を「ありふれた」都市と表現した意味とは。 『ありふれた<平和都市>の解体』の書影(仙波希望さん提供) 「あの
戦後79年の今夏、漫画「はだしのゲン」を基にした講談を語ってきた講談師の神田香織さん(69)が、広島への原爆投下から終戦までを題材にした「総集編―ふまれても麦のように生きろ!ゲン」を18年ぶりに口演する。きっかけは昨年、広島市の子ども向け教材「ひろしま平和ノート」から、ゲンの漫画が削除されたこと。「私自身の生き方を否定されたよう。正当な理由がないのなら元に戻して」。8月2日、思いを込めて高座に上がる。(ライター・神野栄子) 香織さんは1986年以降、広島に原爆が投下された8月6日の惨状のくだりを講談にした「本編」の口演を続けている。一方、投下から終戦までの「総集編」は、被爆して差別されるアマチュア画家の政二(せいじ)をゲンが世話をする話が中心。2005年に故郷の福島で初演したが、「原爆投下に焦点を当てた本編のリクエストが多かった」と、06年以降は演じてこなかった。
8月の平和記念式典に広島市がイスラエルを招待したことについて、日本に駐在するパレスチナ自治政府の代表部が非難しています。広島市は、パレスチナ自治区ガザで戦闘を続けるイスラエルを平和記念式典に招待して…
伊集院光さんが2024年4月15日放送のTBSラジオ『伊集院光の深夜の馬鹿力』の中でPerfumeとはじめて共演した際の模様を紹介。2005年ごろ、元広島カープの鉄人・衣笠祥雄さんに「この子たち、来そうなんだよ。伊集院くんも聞いてみて」とPerfumeについて教わった話をしていました。 (伊集院光)芸能界に長くいて。その上に、ゲストを迎えるラジオ番組とかも結構、やってきたから。まあまあ、そこそこ有名な人には相当、会わせてもらった。で、その中で本当に貴重な……今、亡くなってしまったけれども、この人の話を聞けてよかったなっていう人とか。「えっ、伊集院さん、あの人に会ってるんですか!」みたいなことはまあまあ、あるんだけど。「会ってないな」っていう人もいるのね。 たとえば、宇多田ヒカルさんとか、1回も会ったことがないし。その中で、「意外に」っていうのはなんだけど。会っていてもおかしくないでしょうに
二葉山平和塔の落成式昭和四十一(一九六六)年八月五日の夕刻、国鉄広島駅の真北に位置する二葉山(広島市東区 標高百三十九メートル)山頂は厳粛な雰囲気に包まれていた。二十一回目の原爆記念日を翌日に控えたこの日、広島市外から瀬戸内海までを見下ろすこの場所で、巨大な仏舎利塔「二葉山平和塔(ピース・パゴダ)」が、ついに落成式を迎えようとしていた。仏舎利塔は高さ二十五メートル、基底部の直径二十メートル。コンクリート製の白い基壇の上に建つ覆鉢型のドーム部と尖塔は全面ステンレス張りで、夕日を浴びて銀色の光を放っていた。基壇の上のドーム中央部には、スリランカから寄進された高さ一・四メートルの釈迦牟尼ブッダ座像が鎮座していた。 午後六時に開始された落成式典では、日本山妙法寺大僧伽の藤井日達(一八八五〜一九八五)山主が導師となり、同宗派の僧侶二百名と地元関係者二百名が参加して、仏舎利の奉安式が挙行された。 藤井
日本は欧米に比べてアーカイブ施設の設立が遅れている。とくに女性史関係の資料を保存する施設がとぼしい。1980年代から始まった〝女性史ブーム〟を牽引した研究者や活動家たちが相次いで亡くなる昨今、貴重な資料が散逸することも多く、アーカイブの設立が望まれる。その例として、地域の女性史研究会の資料を未来に向けて保存・継承するための私たちのグループの実践と、女性史研究者・表現者の資料室二つを紹介したい。(敬称略、ノンフィクション作家、女性史研究者=江刺昭子) ▽ようやく寄贈にこぎ着けた休眠資料 1988年から私が代表を務めている神奈川県の女性史研究グループ「史(ふみ)の会」は、これまでに研究誌6冊と、県にゆかりの女性356人のミニ評伝集『時代を拓いた女たちⅠ、Ⅱ、Ⅲ集』を刊行した。評伝集は地域で多様な活動をした女性たちの遺族や関係者に取材し、資料を集めて執筆した。著名な人ばかりではないので資料収集は
ホームページを https://sagori.fem.jp に移行しました。(2024.12.23) 11月訪問者数:15人 10月訪問者数:65人 9月訪問者数:23人 8月訪問者数:67人 7月訪問者数:35人 6月訪問者数:29人 5月訪問者数:34人 4月訪問者数:17人 3月訪問者数:18人 <3月9日(土)> 当ホームページをリニューアルいたします。しばらくこのままになります。お楽しみに! 【サゴリ春休み】 3月27日~4月4日 2月訪問者数:27人 <2月13日(木)> 加納実紀代の遺志を継ぐサゴリを活用した 新たな作品制作に取り組むアーティストを募集! 主催:小田原のどかさん(彫刻家・評論家)・山本浩貴さん(アーティスト・文化研究者) 協力:加納実紀代資料室サゴリ ――サゴリはもうすぐ2年目に入ります。小田原さんの尽力でこのような企画が始まりました。たくさんの方の応募を期待
広島県安芸高田市甲田町出身で、里山里海の原風景を描き続けた画家平野清さん(1980年に64歳で死去)の作品展が、吉田町の市民文化センターで開かれている。古里を拠点に全国を旅した孤高の画人で、自然の息遣いや暮らしの営みを油絵に込めた。平野さんに師事した地元の同門会が画集発刊25周年を記念して企画した。17日まで。無料。
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