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Twitter: 110 Facebook LINEでおくる B! Bookmark 更新通知を受ける きのうの日刊スポーツによると、ロアッソ熊本の本拠地うまかな・よかなスタジアムに震災によると思われる亀裂が見つかったそうで、調査と改修のために当面使用できない見通しと判明しました。 最速でも7月3日のセレッソ大阪戦とのことで、ホーム開催は夏以降となりそうです。 [ニッカン]J2熊本、ホーム開催は最速でも7・3のC大阪戦か http://www.nikkansports.com/soccer/news/1644684.html 熊本地震で被災したJ2熊本の本拠地うまかな・よかなスタジアムでの試合開催が、最速でも7月3日C大阪戦となる見通しであることが9日、分かった。 メインスタンドの一部などに亀裂が生じており、県体育保健課の担当者は「今月中(5月)に点検を始め、少なくとも6月いっぱいはうまス
熊本県などの一連の地震で被害を受けた同県益城(ましき)町で、耐震基準が厳しくなった2000年以降に建てられたと見られる木造家屋の全壊が51棟あることが日本建築学会九州支部の調査でわかった。強い揺れが繰り返されたことで、耐震性能が劣る古い建物だけでなく、比較的新しい建物にも大きな被害が出た実態が見えてきた。 調査は同支部熊本地震災害調査委員会が3~8日、全国の研究者らの応援を得て延べ約200人態勢で実施。益城町で最も被害が出た役場中心の地域にある2641棟全ての損傷程度や、使われている金具や工法から推測される建築年代、構造を調べた。 その結果、阪神大震災を受け建築基準法が厳しくなった00年以降に建てられたと見られる木造家屋51棟が大きく傾いたり倒壊したりして全壊していた。51棟は古い建物も含め被害が多い、町役場南側の県道と秋津川の間に集中していた。調査した東京大の青木謙治講師(木質構造学)は
一連の熊本地震の現地調査を続けていた土木学会の調査団は30日、土砂災害で崩落した阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)について、同じ場所での復旧ではなく北側などに別のルートを確保すべきだとの考えを示した。 熊本市内で開いた記者会見で明らかにした。広瀬典昭・土木学会長は「阿蘇大橋付近は国道や鉄道が集中する交通の要所だが、災害に対して非常に脆弱(ぜいじゃく)」と指摘。政策研究大学院大学の家田仁教授も「(同じ場所に)もう一回、橋を架けても同じような災害リスクにさらされることは明らか」とし、東側に向かうルートとして橋の北側にある県道339号、23号と国道57号を新たに接続させる案を提案した。橋の南側についても、俵山バイパスから白川の上流で国道325号に出る案を示した。 また、橋が架かる黒川や黒川周… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員に
被災地の視察に訪れた石井国土交通大臣は30日夕方、熊本県の蒲島知事と面会したあと、記者団に対し土砂崩れで崩落した「阿蘇大橋」の復旧について、国の直轄事業として行うことを前向きに検討したいという考えを示しました。 このなかで石井大臣は、「被災地を訪れ、改めて広範囲で大きな被害の深刻さを実感した。国としても県や市町村と連携しながら被災地に寄り添った支援を行いたい」と述べました。そして会談のあと石井大臣は記者団に対し、「阿蘇大橋は国の直轄事業として復旧を行うことを前向きに検討したい。また、付近の砂防事業については、国が緊急砂防事業として直轄で行っていく」と述べました。さらに、地震で大きな被害を受けた熊本城について「早期の復旧が重要で、国と県、市で連絡調整の機関を早期に設置し、どのような支援を行えるか検討していきたい」と述べました。
熊本地震の被災地で避難所生活の長期化が懸念される中、ペット連れの被災者が行き場に困っている。一般の避難所では鳴き声や糞尿をめぐるトラブルが絶えないためだ。熊本市は「殺処分ゼロ」をいち早く掲げた動物愛護先進都市。ペット連れの避難者を受け入れる動物病院も登場しているが、疲労がたまる避難所生活での共存の難しさが浮かぶ。 避難所追い出され… 「避難所内で犬がおしっこをしてしまい、周囲から離れた場所へ行ってほしいといわれた。居づらくなってその日に出ました」 熊本市内で被災した無職、牧田万里(ばんり)さん(68)は、そう振り返る。愛犬のマル(10歳、雄)は避難生活でも欠かせない存在だといい、「家族の一員だから一緒にいないと精神的にもたない」と話す。 牧田さんが避難生活を送る熊本市中央区の「竜之介動物病院」は3、4階部分を被災地唯一のペット同行避難所として開放している。これまで約230人が犬や猫など計約
熊本県を震源とするマグニチュード6.5の地震発生から、10日が経過した。16日の「本震」の後も強い余震が続き、被害が広がっている。 そんな中、いち早く支援をスタートしていたのが福岡市だ。高島宗一郎・福岡市長は、自らのFacebookやブログを軸に次々と最新情報を更新、FB投稿のシェアは2万1000件に迫り、市内外から注目が集まっている。 「こちらからハッキリお願いしてからの行動を」 最初に地震が発生した4月14日。発生からわずか51分後、高島市長は自らのFBページで「福岡市では21時40分に災害対策本部を設置しました」と報告。消防庁の要請で福岡市の緊急消防援助隊を派遣することなどを説明し、その後も刻々と変わる状況を翌0時30分まで続報として書き込んだ。 併せて市民には「お隣の熊本ですから市民の皆さんの中にも大切な親族や友人がいらっしゃる方も多いと思いますが、福岡市をあげて全力で熊本県をサポ
避難所で下痢やおう吐の症状を訴える人が相次いでいる熊本県南阿蘇村で、23日夜、医療支援を行っている医師などが記者会見し、症状を訴えた人はこれまでに少なくとも22人いたことを明らかにしました。村はノロウイルスによる集団感染の可能性があるとみて対策を進めています。 それによりますと、避難所になっている村立南阿蘇中学校の体育館で、今月20日以降、避難者のなかから下痢やおう吐などの症状を訴える人が相次いだということです。 人数について、村はこれまで28人と発表していましたが、診療記録などを詳しく確認した結果、症状を訴えた人は23日朝までの時点で、少なくとも22人だったと説明しました。 患者には2歳の子どもや87歳のお年寄りも含まれ、このうち14人が入院したということです。このうち1人からノロウイルスが検出されたということで、村はノロウイルスの集団感染の可能性があるとみて調べています。 この体育館に
熊本刑務所(熊本市中央区)が施設の一部を開放し、地震で被災した近隣住民約150人を受け入れている。法務省によると、刑務所が災害時に住民の避難場所になるのは初めて。同省幹部は「水や食料が十分にあり、避難者がいる限りケアを続けたい」と話している。 法務省によると、熊本県益城町で震度7を観測した翌日の15日夜に職員用の武道場を開放。周辺は住宅が密集し、当初はそこまで多くなかったが、16日未明の地震後に地域の人が一気に訪れ、一時は約250人が身を寄せた。福岡や山口、広島から職員が応援に入り支援に当たっている。 刑務所自体は、外塀にひびが入ったり、作業場の蛍光灯が落ちたりしたものの、人的被害や受刑者の混乱はなかった。刑務所は災害救助法の適用外のため非常食を多く蓄えていたほか、水は井戸水を使っていたため、避難者が食料や水に困ることはなかった。中には、会員制交流サイト(
「ASOMILK(アソミルク)」のブランド名で低温殺菌牛乳を製造・出荷している熊本県阿蘇市三久保の阿部牧場では、未明に「本震」が起きた16日から、1日約6トンの生乳を搾っては捨てた。断水で、生乳を集めるパイプや製造装置などを洗う水が確保できないためだ。停電で搾乳機も使えないが、毎日搾乳しないと乳牛は乳房炎を起こすので、自家発電機を使い搾乳を続けている。阿部寛樹社長(39)は「ミルクは一滴も捨てたくないが、泣く泣く廃棄している。電源の燃料確保など不安もある」と話す。 県畜産課によると、県内の酪農家は2015年2月現在、631戸。飼養頭数約4万5千頭は北海道、栃木に次ぎ全国3位。生乳生産量(14年度)は24万7千トンで、西日本1位だ。 生乳は通常、酪農家から専門業者が乳業工場に運び、牛乳や乳製品になって消費者に渡る。だが、阿蘇地方では道路が通れなくなったり、ガソリンが不足したりしていて、酪農家
熊本地震で大きな被害が出た熊本県益城(ましき)町に、避難者が次々と集まっている。広い駐車場を備えた施設が2カ所あり、余震が続く中、建物内に入るのを敬遠した人たちが車中泊するためだ。町が指定する避難所ではなかったが、「避難所」として扱われるようになった。だが、物資は届かず、避難者の疲労は募る。 益城町は熊本市の東隣にあり、20人が死亡するなど、大きな被害が出た。 多くの人が集まっている施設の一つは、益城町福富の大型展示場「熊本産業展示場」(グランメッセ熊本)。2200台分の駐車場があり、夜は避難者らの車で埋め尽くされる。自衛隊の給水が始まれば、長蛇の列ができる。 町地域防災計画で指定された避難所のうち使われているのは9カ所だが、地震発生後、大きな駐車場があるこの展示場と、熊本空港に近い「阿蘇熊本空港ホテルエミナース」の2カ所に車がどんどん集まり、町は避難所として扱うようになった。町の人口は約
熊本出身の親族からのメッセージです。 (彼はここ数年は関東にいますが、熊本で生まれ、熊本で育ちました) ぜひ、読んでいただければと思います。 ―― 私の故郷、 熊本は大きな傷を負いました。 今も多くの人が被災しています。 家族、親戚、友人も 被災しています。 避難所は物資が足りず、 悲惨な状況です。 母が言っていました。 テレビに出る映像は、 全て良い避難所。 ごく一部の物資が 届いているところの映像だと。 ほとんどの避難所は 物資が届いていなく 飲み水がなく、 小さなお子さんはオムツもなく、 みんな苦労している。 熊本には水がないんです。 熊本は水道水を 全て地下水でまかなっていて、 関東のように、 水を買う習慣がありません。 だから、 常に水道水を飲んでいるので、 全く家に水がないです。 熊本の自慢の地下水は 今、泥水になっています。 私の母校の後輩たちは 生き埋めになり、 2人の若い
相次ぐ地震を受けて、自閉症やてんかんの患者や家族でつくる団体は、避難所で自閉症の人が不安を感じないよう間仕切りを設けたり、てんかんの人が急に薬の服用をやめたりしないよう、避難生活で注意する点をまとめたハンドブックなどを公表しました。 てんかんの患者や家族などでつくる「日本てんかん協会」は、患者が薬の服用を急に止めると、発作がお起きるおそれがあるとして、被災地の患者に対して、薬が残っているかどうかを確認したうえで、必要に応じて医療機関を受診し、薬の服用をやめないよう呼びかけています。受診の際は、かかりつけの医師を優先し、受診が難しい場合は、診療科を問わず、近くの医療機関に相談してほしいとしています。
熊本県益城町平田の無職内村宗春さん(83)は、倒壊した家の下敷きとなり、死亡した。孫娘の愛美さん(24)らが、家のはりなどに挟まれた宗春さんに声をかけると「大丈夫、大丈夫」としっかりした声が返ってきたが、だんだん声が小さくなっていったという。 自宅は木造2階建てで築100年以上だったが、14日の地震ではさほど揺れず、宗春さんも「あとは余震だけだから大丈夫だろう」と話していたという。 益城町平田の西村洋介さん(38)は自宅居間で80代の祖父母と寝ていたときに激しい揺れに遭遇。天井が落下し、生き埋めになった。西村さんは、はうようにして脱出したが、祖父母は6時間後、心肺停止状態で見つかった。 14日夜は祖父母と一緒に近くの公民館で一夜を明かしたが、15日夜になって停電が解消されたため自宅に戻ったという。「余震も落ち着き、ほとんど寝たきりの祖父には慣れた家のベッドの方がいいと考えた。家に戻っていな
(CNN) イスラエルの工業デザイナーが地震で建物が崩壊してがれきの下敷きになっても壊れないという耐震強化デスクを開発した。地震の多い国の学校などに普及させ、防災対策に役立てて欲しいと訴えている。 この机は同国で工業デザインを学んだアーサー・ブラッターさんが、2010年のハイチ地震で倒壊した学校の写真を見て衝撃を受け、がれきの下敷きになった人たちの命を救いたいという思いから開発に着手した。 これに賛同した恩師のアイド・ブルーノさんも協力して、安価で軽量の耐震強化デスクを考案した。机は子ども2人が下に入れる大きさで、子どもでも持ち上げられる軽さと、上部からの1トンまでの圧力に耐えられる耐久性を兼ね備えている。 机の表面は全体に衝撃を行き渡らせる設計になっており、建物が崩壊して上からがれきが落ちてきても、構造が保たれるという。 既にイスラエル軍の耐久検査を済ませ、次は構造工学で有名なイタリアの
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