切り捨てられないその気持ちはわかる。
オレも大事だった死にそうだった子を抱いたことがある。
しかし、その場しのぎで抱くことで、ずっと後にその人やその人の大事な人が傷つくかもしれんぞ。
その人がオレから離れられなくなってしまったら?
オレのパートナーは口ではいいよと言っていたけど、1年耐えた後、本当は無理だったって言われた。
二人で泣いたよ。
そしてもう二度とそんなことはしない。
オレが未熟だから、抱くことしかできなかった。
今ならもっと違う方法が選べる。選べるように成長する。
一日何時間もやるなら20本どころじゃなく見れる
普通はそんなにかからないし、映画より短時間で終わらせることも可能
今はサイトが盛りだくさんで世の中に溢れ過ぎているので、
メジャーなサイトなら見てる人は多いし、ネット内で話し相手を見つけるのも可能
まとめサイトを見たって実生活への変化は何にもならない。
チャットやるんなら実際にあって話ちゃった方がいい。
遠くの人とはすぐ会えない
チャットしたからといって近くの人と話せなくなるわけではない
営業とかならプラスになる
「俺は●年間シイタケを作ってきたが、こんな旨い料理は初めて食べた」だってさ。
アホか、シイタケは余計な風味を添えず、食材の魅力だけで勝負すべき食べ物だろーが。
そんなにバターの風味が好きなら、辛口の塩鮭をバター焼きにしろと言いたい。
挙句の果てに「また作ってくれ」と来たもんだ。
絶対に母が作るほうが美味しく仕上がると思うのだが。
本当、舌が貧しいと思う。
オレもタラシだったときは女を「女」としてしか見ず、相手に本性見せなかったな。
それでは知り合える本性の絶対数が減るから勿体無いぞ。
オレは「ヤる<本性晒せるヤツ」と気づいて口説くのやめた。
あと、死ぬほどセックスが好きなわけじゃなければ、ヤりまくらんほうが世間様に隠すことも、人間関係ややこしくなることも少なくて、生きるのがめんどくさくないよ。今の日本に生きるならね。
火は内側に持ってくれね?
かばんが焼けたからさ。
頼むよ、普通に危ないし。
そんなことなったことないって?
そりゃ、周りの人が被害者にならないように気をつけてくれてるからっしょ。
マジ、頼むよ、火は内側、ね。
a
http://anond.hatelabo.jp/20100322151008
好き嫌いに(後付けの)論理的な理由並べなくてもいい、ってことにそのうち気がつくことを祈ります。
ついでに、何を楽しいと思うかなんて人それぞれなんだから、他人にその理屈を押し付けないようにね。お節介ながら。
(1) 映画などの受動的な娯楽はよほど波長があってないとイライラするので、レンタルで20本とか見る気にはなれません。
(2) 時間あるときにしかゲームやらないので、忙しい時はやらないですよ。
(3) リアルで話題を共有するために何かをやる、そんなのは小学校までですよね。てか、ネットって便利なものがあってね‥‥‥。
(4) ハウトゥー本(笑)なんて結局何冊読んでも何の役にも立たないよ。読むならもっと骨のある本読まないと。
てか余暇時間までそんな自己研鑽(笑)してるから、左脳優位になって自分の好き嫌いにまで理由付けしないと安心できなくなっちゃうんじゃない? もうちょっと右脳使ったほうがいいと思うよ、ゲームとは言わないから(笑)
あぁ、わかる。でも、それは、健常者でも同じ目に合うことはあるよ。
にたようなシチュエーションでにたようなことを言われたことはあるし
過去の増田を見れば、女の人を年をとってるから豚って呼んでいる記事もある。
一般人の、口の悪さと言うか、醜さというか、自分勝手さなんて、ハンデキャップを持った人だけに向いてるわけじゃない。
少なくとも、障害者だからとは思って欲しくない。
人間全般が他人にたいしてはそういう無配慮なことを言う、どうにもならない種族なんだと思って欲しい。
その上でどうするか?という事なんだと思う。
すまない・・・外野からだけど、これって鉄道オタクさんたちのお祭りでしょ?
JRだってある程度わかってる。
ちゃんと、名前を決められる時代に生きてい権利を持ってるんだから、行使すればいいよ思うよ。
歴代、いろんなものの名前なんて、結構その時代の人が決めてるんだから。
最終的にJRがどう思うかだけど、別段 起源がどうあれ、一般の人も納得できるいいわけ、というか解釈があるなら、ま、許されるんじゃない。
Show us evidences
大切な相手から求められたときに、モラルなんていう聞こえのいい言葉で拒否出来るほど薄情な性格だったら良かったんだけどね。
「他人」だって切り捨てられないような大事な友達ができたら、君にもその気もちがわかると思うよ。
誘われたんで
受付が自動化しておらず
窓口にお姉さんがいた。
そしたら男の子がお姉さんに
こんなこと言い出した。
やっと予定が合ったの~。
超ウレシイの~。」
お姉さんはさすがプロ。
「ごゆっくりどうぞ~」とにっこり。
私は苦笑。
どうせ誰にも読まれないとは思うけど書く。若干わけわからない文章になってると思うけど、文句とかあれば書いてくれ。
あと自分は九州の人間だ。東北関係ないくせに偉そうなことな事言うんじゃねえとか思われそうだな。すまない。
だから「ミクっぽいから『はつね』にしようぜ」って気持ちもわかる。
あかつきに数枚のプレートが載るってことも大きい事だけど、列車名はもっと大きい。
おそらく、十数年にわたってその列車名が使われることになる。だから「ミクっぽい色」なんて短絡的な理由はあまり感心しない。
「はつかり」じゃ借金増えそうで不吉じゃね? "痛いニュース(ノ∀`):初音ミクカラーの新幹線を「はつね」に!…ネットで投票呼びかける活動始まる" http://is.gd/aSmjz
ですよねー RT @nerunerune: @nojiri_h この冬景気の時代に冬を知らせる名前「はつかり」よりも春を告げる名前「はつね」の方がしっくりくるしいいっすよね(´・ω・`) #E5_mikumiku
確かに、「はつね」は春を告げる明るい印象であると思う。
しかし、それだけで「はつね」がしっくり来るとは思えない。(少なくとも私は。)
「はつかり」はヨンサントオ、サンロクトオ以前から存在する列車である。(現在、「はつかり」として運行される列車は残っていないが…)
東北の方にはコチラのほうが馴染みがあるのではないか。 その点を考えると「はつかり」もしっくり来ると思う。
また、「はつかり」(初雁)は秋を知らせる名前じゃないのかな? 冬を知らせるってのは全く見つからなかったんだけど。
はつ‐かり【初×雁】
秋になって最初に北方から渡ってきた雁。はつかりがね。《季 秋》
ここまでさんざん否定したけど、「はつね」が悪いとは思っていない。
はつね 【初音】
鳥の、その季節に初めて鳴く声。特に、鶯(うぐいす)についていう。[季]春。《この里の通りすがりの—かな/山口青邨》
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/156908/m0u/%E3%81%AF%E3%81%A4%E3%81%AD/
といった意味もあるわけだし。
で、言いたいのは「ミクに似てるだけでそんな名前を応募するんじゃねーぞ」と。
こう言っては悪いけど、ミクとかの文化はこの年代だけに過ぎないのじゃないかな。(今後どうなるかは断定できないけど。)
それだけで名付けるのは痛い行為としか言えないような気がする。
別に日本に米軍いなかったとしてもアメリカと戦争しようとする国は現れないだろ。ほとんどの国はまず勝てないし、中国だってあれだけ米国債持って貿易もたくさんしながらアメリカを攻撃するメリットない。
私の兄は精神障害者である。3、4年ほど前に発症、障害者手帳を交付され、精神障害者となった。
病名は統合失調症。幻覚を見て幻聴を聞いて、異常なほどまでにあらぬ心配をする病気。
兄の場合、3年前がピークであった(恐らく急性期がその頃だったのだと思う)。
それから徐々にであるが、兄にだけ見えていた世界が見えなくなり、普通の人に戻りつつある。
ただ、心配をし過ぎる点のみが、家族の私にも異様に映る。それ以外は何もおかしな点はない。
兄が今現在に至るまで、精神的な支えとしていたのが、サイクリングである。
兄は昔から運動が好きだ。精神病院から退院し、しばらくはデイケアに通っていたが、兄には時間が余っていた。
それまで趣味と言える趣味を持たず、強いて挙げるならば勉強が趣味だと公言していた兄。
父はこれを良くない傾向と考え、勉強をして家に閉じ篭らずに、外に出て運動をするようにと言いつけた。
そうして兄はサイクリングを始め、昨年には大会でそこそこいい成績を残せるまでになった。
また、それと同じくらいの時期に就職が決まった。昨年は良いことが重なったので、良かったなと暢気に思っていた。
私も、家族も、そして兄も。
今年に入って間もない頃、兄に新聞社から取材のお願いが来た。
精神障害者がサイクリングを通じて元気になったという美談を書きたいんだと。
(美談、などとは言っていなかったらしいが、美談が書きたいとしか私には思えない、ので美談と書く)
兄は、匿名且つ顔を出さなければ、という条件付で引き受けた。
しかし、2回目の取材の際、顔も名前も出して欲しい、それが君のためになるから、と記者2人に諭され、兄は断ることが出来なかった。
いつまでもそのことを気にして、食事も出来ない有様。兄の様子がおかしいことに父が気づき、その理由を聞き出すと、
父はすぐに新聞社に電話した。結局顔も名前も出ないことになったけれど、記者はこのことを最後まで疑問に思っていたようだった。
顔や名前を出すことがためになるのだと、本当にそう考えているらしかった。
兄は障害者ではあるが、毎日真面目に仕事をこなし、精度も悪くないので、サポートしている人たちからの評判もいいらしい。
少なくとも、サポーターの人は兄を心配性だけれども普通の人と認識しているようだ。
そのように一定の評価を得ていることもあり、兄は彼らの飲み会に誘われた。
健常者多数に障害者1名の奇妙な飲み会は、楽しいものだったそうだ。兄以外の人間にとっては。
施設の幹部も交えての飲み会は、主に施設で働く障害者への愚痴で構成されていた。
勿論、彼らは兄のことは何も言わない。聞き分けの良い、真面目な、そして割と健常者に近い障害者だと認めているから。
それは、兄にとってはとても名誉なことなのかもしれない。しかし、兄は、こんなにも不愉快になった飲み会は今までになかったと語っていた。
不愉快になるばかりの会だったと。
誰も自分だけでは解決できない問題を抱え、そうなりたくてなったわけではないのに、
皆、ひたすら真面目に働いているのに、サポーターは障害者を儲けるための道具にしか考えていない。
帰宅し、苛立たしげに酒を飲みなおしながら、兄は語った。
障害者って何なのだろうな。社会に疎まれ、利用され、そして庇護されることでしか生きられないのだろうか。
その疑問の答えは恐らくイエス、なのだと思う。腹が立つし、納得は出来ない。