MF308引退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 18:18 UTC 版)
「無限・MF308」の記事における「MF308引退まで」の解説
1988年に供給開始されたMF308は東名エンジン、尾川自動車ら国内のエンジンチューナの手により各チームにデリバリーされる。メンテナンスとチューンもそれぞれのチューナー毎に行われていた。また無限自身も先行開発のためにチューナーとして参加していた。1988年には「コスワース・ヤマハOX77」、1989年からは「フォード・コスワース・DFVエンジン」(どちらもケン・マツウラレーシングサービスチューン)と争う。国内デビュー後国際F3000へも供給されるが、1996年にワンメイク制が導入され「ジャッドKV」(供給はザイテック)が採用されたことを受け撤退。 全日本F3000では1991年と1993年にケン・マツウラレーシングサービスのDFVにチャンピオンエンジンの座を奪われる。 1996年、全日本F3000選手権が全日本選手権フォーミュラ・ニッポンと改称。この年からケン・マツウラレーシングサービスがMF308のデリバリーを開始する。 1998年からは事実上のワンメイクとなる。 2005年、シリンダーブロックの鋳型の消耗が激しく、今後長期に渡る供給が困難になる可能性があることを理由にフォーミュラ・ニッポンへの供給を終了。全日本F3000〜フォーミュラ・ニッポンの通算成績は172戦161勝。 なおこの間、無限自身や各チューナーにより絶え間ない改良が加えられており、基本性能に関わる部分は無限が開発・テストを行ない、その他はチューナー毎に改良していた。中にはボアを88mmにしてショートストローク化したものも存在し、最終戦まで使用されている。最終的に最高出力は約500PS、最大トルク約42kg·mまで高められた。他にお蔵入りとなったものとして、規則で禁止された可変管長給気システムやバタフライ式スロットル等も試されている。無限がF1活動を行っていた時期にはMF308を使っての先行開発も行われている。
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