1984年以降 - WrestleMania時代
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「WWE」の記事における「1984年以降 - WrestleMania時代」の解説
1983年末、ビンス・マクマホンはWWFの全米進出によるプロレス界の統一に着手、当時AWAに在籍していたハルク・ホーガンを筆頭に、NWAからもロディ・パイパーやポール・オーンドーフなど各地の有力選手を次々と引き抜いた。テレビ局からNWAの試合を放送していた枠の放送権を買い取ると、同年12月27日、いきなりNWAの本部が置かれていたセントルイスで興行を行った。以降も次々と他団体へのM&Aや同様のケーブルテレビ番組を利用した中継等により事業を大幅に拡大。この一連の侵略行為は旧来のプロモーターから同名の有名SF小説に準えて「1984」と呼ばれた。 1985年には歌手のシンディ・ローパーやホーガンと共に、ロッキー3にも出演したアクションスターミスター・TをMTVのプロレス特番に出演させ注目を集めると、同年3月19日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWrestleManiaを開催。ローパーの他にも元ニューヨーク・ヤンキース監督のビリー・マーチンや元ボクシング世界王者のモハメド・アリ、ショー・ピアニストのリベラーチェらを招き、ホーガンやミスター・Tをメインで戦わせたこのイベントは約2万人の観客を集め、プロレスイベントとしては異例の400万ドルの興行収益をあげた。全米がホーガンを中心としたプロレス・ブームに沸き、この現象はマスコミから「レスリング・ルネッサンス」と称された。さらに2年後のWrestleMania IIIではメインにホーガンvsアンドレ戦を組んでデトロイトのシルバードームに9万3173人の観衆を集め、全米マット界での圧倒的な人気を証明してみせた。 ホーガンがプロレスの現場から離れがちになった1988年から1992年頃はランディ・サベージやアルティメット・ウォリアー、シッド・ジャスティスやジ・アンダーテイカーらが団体の主役の座を担った。また旧NWAから誕生したWCW (World Championship Wrestling) の絶対王者、リック・フレアーの電撃移籍といった事件もあった。 この頃、会社全体でのステロイド剤流通への関与、それに伴うレスラーたちのステロイド剤使用疑惑が発覚、FBIによる捜査が行われるまでの事件に発展して裁判は数年続き、被告としてビンスが出廷する事態となったが最終的には証拠不十分により、無罪判決に落ち着いた。だがこの事件の影響は大きく、団体に溢れていたスーパーヘビー級の「筋肉マン」タイプの選手たちは一気にフェードアウトしていく。代わって主役の座を手にしたのは技巧派で体型もナチュラルな"ヒットマン" ブレット・ハートだった。 1993年には「MONDAY NIGHT RAW」(後に「RAW IS WAR」「RAW」と改称)の放送を開始。ディーゼル、レイザー・ラモン、ショーン・マイケルズらが台頭してブレットなどと共にニュー・ジェネレーションと呼ばれた。一方、ホーガン、サベージなどかつての団体のスター選手たちの多くはWCWへと移籍してWCWは徐々にWWFに対抗するほどの人気を獲得していった。
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