慶長14年 (つちのととり 己酉)
年(年号) | |
●1590年 (天正18年) | ■家康江戸城に入る |
●1592年 (文禄元年) | ■文禄の役(〜1596) |
●1597年 (慶長2年) | ■慶長の役 |
●1600年 (慶長5年) | ■関が原の戦い |
●1603年 (慶長8年) | ■江戸幕府開府 |
●1604年 (慶長9年) | ■朱印船貿易始まる |
●1607年 (慶長12年) | ■第1回朝鮮通信使来る |
●1609年 (慶長14年) | ■オランダ人に通商許可 |
●1612年 (慶長17年) | ■幕府直轄領に禁教令 |
●1612年 (慶長17年) | ■駿府の銀座を江戸に移す |
●1614年 (慶長19年) | ■大阪冬の陣 |
●1615年 (元和元年) | ■大阪夏の陣 |
●1617年 (元和3年) | ■日光東照宮社殿竣工 |
●1617年 (元和3年) | ■吉原遊郭の開設許可 |
●1624年 (寛永元年) | ■スペイン船の来航禁止 |
●1629年 (寛永6年) | ■女舞・女歌舞伎の禁止 |
・ 天海僧正 | 1536年〜1643年(天文5年〜寛永20年) | 73才 |
・ 本多 正信 | 1538年〜1616年(天文7年〜元和2年) | 71才 |
・ 徳川 家康 | 1542年〜1616年(天文11年〜元和2年) | 67才 |
・ 織田 有楽斎 | 1547年〜1621年(天文16年〜元和7年) | 62才 |
・ 藤堂 高虎 | 1556年〜1630年(弘治2年〜寛永7年) | 53才 |
・ Jan Joosten Van Londensteyn | 1556年〜1623年(弘治2年〜元和9年) | 53才 |
・ 大久保 (彦左衛門)忠教 | 1560年〜1639年(永禄3年〜寛永16年) | 49才 |
・ 中井 正清 | 1565年〜1619年(永禄8年〜元和5年) | 44才 |
・ 柳生 宗矩 | 1571年〜1646年(元亀2年〜正保3年) | 38才 |
・ 沢庵 宗彭 | 1573年〜1645年(天正元年〜正保2年) | 36才 |
・ 徳川 秀忠 | 1579年〜1632年(天正7年〜寛永9年) | 30才 |
・ 春日 局 | 1579年〜1643年(天正7年〜寛永20年) | 30才 |
・ 林 羅山 | 1583年〜1657年(天正11年〜明暦3年) | 26才 |
・ 松平 信綱 | 1596年〜1662年(慶長元年〜寛文2年) | 13才 |
・ 狩野 探幽 | 1602年〜1672年(慶長7年〜寛文12年) | 7才 |
・ 徳川 家光 | 1604年〜1651年(慶長9年〜慶安4年) | 5才 |
・ 由井 正雪 | 1605年〜1651年(慶長10年〜慶安4年) | 4才 |
・ 徳川 和子 | 1607年〜1678年(慶長12年〜延宝6年) | 2才 |
1609年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/15 05:44 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 16世紀 - 17世紀 - 18世紀 |
十年紀: | 1580年代 1590年代 1600年代 1610年代 1620年代 |
年: | 1606年 1607年 1608年 1609年 1610年 1611年 1612年 |
1609年(1609 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
他の紀年法
- 干支 : 己酉
- 日本
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2151年 - 2152年
- イスラム暦 : 1017年 - 1018年
- ユダヤ暦 : 5369年 - 5370年
- ユリウス暦 : 1608年12月22日 - 1609年12月21日
カレンダー
できごと
- 1月 - アムステルダム銀行設立[要出典]。
- 5月6日(慶長14年4月3日) - 島津の琉球出兵。薩摩藩軍が首里城を陥し、琉球国王尚寧を捕らえる。
- 7月10日 - マクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)がカトリック連盟を組織。
- 10月(慶長14年9月) - 大船没収令
- 10月10日(慶長14年9月13日) - 前田利長が高岡城に入り、現在の富山県高岡市が開町される。
- 10月20日(慶長14年9月23日) - 朝廷の大スキャンダル猪熊事件の処分者が決まり、首謀者の猪熊教利が極刑となる。
- グロティウスが『自由海論』を出版し、海洋自由説を主張。
- スペインでのイスラム教徒(モリスコ)追放令。
- オランダ東インド会社が平戸にオランダ商館を設置し、江戸幕府と通商関係を開く。
- 対馬藩と李氏朝鮮の間で己酉約条締結。
誕生
- 1月16日(慶長13年12月11日) - 堀田正盛、江戸幕府老中・下総佐倉藩主(+ 1651年)
- 2月18日 - クラレンドン伯爵(初代)、イギリスの政治家(+ 1674年)
- 2月21日 - ライモンド・モンテクッコリ、ハプスブルク君主国(オーストリア大公国)の軍人(+ 1680年)
- 3月7日(慶長14年2月2日) - 向井元升、本草学者。医師(+ 1677年)
- 3月18日 - フレデリク3世、デンマーク王(+ 1670年)
- 3月22日 - ヤン2世、ポーランド王(+ 1672年)
- 5月10日(慶長14年4月4日) - 池田光政、備前岡山藩主(+ 1682年)
- 7月28日 - ユディト・レイステル[1]、画家(+ 1660年)
- 11月25日 - ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス、イングランド王チャールズ1世の妃(+ 1669年)
- (月日不明) - キャーティプ・チェレビー、オスマン帝国の文人(+ 1657年)
死去
- 3月23日(慶長14年2月18日) - 田中吉政、武将、筑後国柳河藩初代藩主(*1548年)
- 4月16日 - フランシスコ・カブラル、戦国時代のポルトガル人のイエズス会の宣教師(* 1530年)
- 4月22日 - ニェッキ・ソルディ・オルガンティノ、戦国時代、江戸時代のイタリア人のイエズス会の宣教師(* 1560年)
- 6月1日(慶長14年4月29日) - 天野元政、武将、右田毛利家の祖(*1559年)
- 6月4日(慶長14年5月3日) - 京極高次、大名、若狭小浜藩初代藩主(* 1563年)
- 7月15日 - アンニーバレ・カラッチ、バロック期のイタリア人の画家(* 1560年)
- 10月19日 - ヤーコブス・アルミニウス、オランダの神学者(* 1560年)
- 11月13日(慶長14年10月17日) - 猪熊教利、公家(* 1583年)
- 11月15日(慶長14年10月19日) - 石川家成、美濃大垣藩第2代藩主(* 1534年)
脚注
注釈
出典
関連項目
1609年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 06:18 UTC 版)
詳細は「1609年」を参照 マクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)がカトリック連盟を組織。 ポーランド、ロシア大動乱に正式参戦。 スペインとオランダが停戦(八十年戦争、-1621年)。 薩摩藩島津氏による琉球王国侵攻(琉球侵攻)。 1609年頃、ハンス・リッペルハイが2枚の凹レンズを筒に取り付けた装置をオランダ軍に売ろうとし、実用的な望遠鏡をデザインして普及させた。
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「1609年」の例文・使い方・用例・文例
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