結成まで(- 2003年)
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「12012」の記事における「結成まで(- 2003年)」の解説
宮脇渉と須賀勇介は大阪を中心に「Lubis Cadir」として活動し、塩谷朋之は「Mist of Rouge」に所属して活動していた。川内亨と酒井洋明は愛媛を中心に活動しており、それぞれ「ネジレ」と「KiLLa]に所属。(当時は宮脇は狂弥、須賀は憂介、塩谷は朋、酒井はAcul、川内は亨という名前で活動)。2003年に「Lubis Cadir」と「Mist of Rouge」が解散し、宮脇は新たなバンドを結成することを決意した。宮脇は、まず酒井を誘い、続いて「Lubis Cadia」と同じ事務所(Matina)に属していた「Mist of Rouge」のメンバーに声を掛けた。この時点で、酒井と須賀と塩谷のメンバー入りが決まる。その後、宮脇は四国で活動する川内を大阪に招いた。宮脇は、この4人を選抜した理由として「自分のイメージする各パートの人物であったから」と答えている。 2003年5月1日、新たなバンドを結成し、バンドのコンセプトを「人間の内面における狂気」と定める。そして、バンドコンセプトの「狂気」と「凶器」をかけて、ロサンゼルス市警の暗号で「犯人凶器所持」を意味する12012をバンド名とした。この命名は須賀の発案で、その中には12012の他にも数種類の暗号があったとのこと。また、バンド名を数字にしたのは「どのカテゴリにも属さない“無色”なイメージにしたかったため」とも話している。
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結成まで(1963年 - 1972年)
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「スティクス (バンド)」の記事における「結成まで(1963年 - 1972年)」の解説
1963年、シカゴでチャック(ベース)とジョン(ドラム)のパノッツォ兄弟が中心となってバンド活動を開始する。その後デニス・デ・ヤング(ボーカル、キーボード)が加入してバンド名が「ザ・トレイドウンズ」となる。 当初はローカル・バンドに過ぎなかったが、1968年にジョン・クルリュウスキ(G)が加入し、バンド名を「トレイドウインズ4」と改名してプロ活動を目指し始める。 1970年にジェイムス・ヤング(ギター)が加入。その半年後に製作したデモ・テープが、RCA傘下「ウッデンニッケル・レコード」の代表を務めるビル・トラウトに認められて契約。後にバンド名を「スティクス」と改名した。
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結成まで (1977年 - 1982年)
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「ナイト・レンジャー」の記事における「結成まで (1977年 - 1982年)」の解説
1977年、サンフランシスコ・ベイエリアでファンク・ロック・バンド「ルビコン」が結成され、ジャック・ブレイズとブラッド・ギルスが参加、後にツアー・メンバーとしてケリー・ケイギーも加わる。 ルビコン解散後に3人は、よりロック色を濃くした「ステレオ」を結成する。その後、更なるサウンド強化を目指し、サミー・ヘイガーのバンドや「モントローズ」のメンバーだったアラン・フィッツジェラルド、その友人だったジェフ・ワトソンを加え「レンジャー」を結成。しかし同名のカントリー・バンドがいたため、「ナイト・レンジャー」と改名。 1982年、ブラッド・ギルスが事故で急死したランディ・ローズの代役として、オジー・オズボーン・バンドに参加のため一時離脱 (来日公演も果たしている)。 1982年、レコード契約を結んだのを機にブラッドが復帰し、1stアルバム『ドーン・パトロール』でデビュー。
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