支藩とは? わかりやすく解説

支藩 (しはん)


支藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 09:03 UTC 版)

支藩(しはん)は、江戸時代主家の一族が、弟や庶子など、家督相続の権利の無い者に所領を分与する(分知)などして新たに成立させた藩のことである。このほか有力家臣の所領も支藩という場合がある。




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支藩(郡山新田藩)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/25 14:20 UTC 版)

郡山藩」の記事における「支藩(郡山新田藩)」の解説

郡山新田藩こおりやましんでんはん)は、本多家時代1639年 - 1679年)の郡山藩の支藩である。本多政勝長男本多勝行は、政勝の姫路藩時代にその支藩姫路新田藩藩主であったが、寛永16年1639年)に政勝の郡山への移封にともない新たに郡山において旧領と同じ4万石分知された。これが郡山新田藩起こりである。勝行の早世後、その所領義兄の政長が3万石、政信が1万石をそれぞれ分与された。 寛文11年1671年)に本藩の政勝が死去すると、政長が本藩の家督継いで郡山藩主となるが、幕府の裁定により、郡山藩所領15万石のうち9万石新田領と合わせて12万石)を政長が、残り6万石を勝行の弟の政利が相続した延宝7年1679年)、政利は播磨国明石藩移封され、廃藩となった。 政信が分与された1万石の所領も、延宝7年1679年)に、子の政貞(忠英)が播磨国山崎藩移封され、廃藩となった

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