かいらく‐しゅぎ〔クワイラク‐〕【快楽主義】
快楽主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/20 14:56 UTC 版)
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快楽主義(かいらくしゅぎ、英: hedonism)は、感覚的な快楽を幸福と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす倫理学上の立場であり幸福主義の一種である。
心理的快楽主義
人間は自分が快いと思うように行為する、という人間観である。(心理的利己主義参照)
倫理的快楽主義
人間は快楽を産出する行為をなすべきである、という規範である。
そのなすべき行為のために考慮する快楽が自分自身のものだけであるかという利己主義、当該行為に関わる人々すべてのものであるかという功利主義で区別される。
エピクロス
エピクロスとエピクロス派は最も有名な古代の快楽主義者である。エピクロスは哲学的思索の内にこそ最高の快楽が含まれると考え、身体の健康や精神の平静を奨励した。倫理的利己主義の一種。
功利主義
快楽主義を主張し社会の原理として提唱したのがベンサムの功利主義である。彼は、快楽を強度、持続性、確実性、遠近性など七つの尺度で計算できるとし、その総計を社会全体において最大化する(最大多数の最大幸福)行為を善悪の基準とみなした。
J.S.ミルはベンサムの快楽主義を修正し、快楽にも質の差(高卑)があり単純には計算できないとする質的快楽主義を主張した。
快楽主義への批判
快楽主義のパラドクス
行為に結果として付随するはずの快楽そのものを目的として得ようと努力すればするほどかえって快楽を得るのは難しくなる、という逆説。
例えば、スポーツで最も快い瞬間は脇目もふらずそれに打ち込んでいる時であるが、快楽を気にしすぎていてはスポーツに熱中できず、従って快楽を目指していない時のほうがかえって多量の快楽を得ることが出来る、というもの。
自然主義的誤謬
G.E.ムーアは、善を自然物によって定義する態度を自然主義的誤謬と呼び批判した。快楽主義は「善とは快である」とする倫理学説であるので自然主義的誤謬にあたる。
関連項目
外部リンク
- Hedonism - スタンフォード哲学百科事典「快楽主義」の項目。
- (文献リスト)Hedonism - PhilPapers 「快楽主義」の文献一覧。
快楽主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 07:07 UTC 版)
オンフレは快楽主義の定義として、「人生に対する内省的な態度の一つで、自らの快楽と他者の快楽を、誰にも害を与えることのない範囲で重んじること」としている。「オンフレの哲学的プロジェクトとは、倫理的快楽主義、享楽的功利主義、そして感覚主義的唯物論の一般化された美学をそれぞれ定義し、脳や身体の能力を最大限に発揮する方法を探求すること、そして哲学をアート、政治、その他の日常生活や意思決定に役立つ道具として復活させること、これらである」。 オンフレの著作は「科学、絵画、食事、セックスとエロティシズム、生命倫理、ワイン、書物についての哲学的探究(そしてときにはこれらへの挑戦)である。最近取り組んでいる野心的プロジェクトとして、6巻本の『反-哲学史(Counter-history of Philosophy)』 があり」、現在までに3巻まで出版されている。 オンフレは次のようにも述べる。 支配的な思想においては禁欲こそが理想とされていますが、それとは逆に快楽主義は自らと他者の快楽に最高善を見出します。その際、他者の犠牲を伴うような快楽に耽るようなことはあってはなりません。自己の快楽と他者の快楽のバランスをとるためには、一つのテーマに様々な角度から取り組むことが必要です。つまり、政治的、倫理的、美的、エロス的、生命倫理的、教育的、歴史的に、です。 オンフレの哲学の目的は、「ミクロな革命」あるいは「個人や小さな集団に革命を起こし、快楽主義的、リベルタン的価値観を持って生きる人々を解放すること」なのである。
※この「快楽主義」の解説は、「ミシェル・オンフレ」の解説の一部です。
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