『力の科学』 (1918年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 05:38 UTC 版)
「ベンジャミン・キッド」の記事における「『力の科学』 (1918年)」の解説
最晩年の6年間、キッドが『力の科学 (The Science of Power)』の執筆にとり組んでいたとき、彼が世界的紛争と呼んだような状況が現実になろうとしていた。このため、かつてキッドが示していた人類社会の進化に関する楽天的展望は、消失してしまった。彼は、ダーウィニズムにも、帝国主義にも背を向けた。かつての西洋文明の賞賛は、「激しい糾弾 (a searing indictment)」へと転じた。 『力の科学』 (1918年) は、かつてのキッドの著作と同様の成功を収めた。キッドは過去を振り返り、キリスト教的利他主義の継続こそが、「諸国民の間の恒久的善意の理想 (the ideal of permanent goodwill among nations)」であり、仲裁が戦争にとって変わらなければならないとした。しかし、第一次世界大戦に先んじた時期に、キッドは、ドイツの著作家エルンスト・ヘッケルが『宇宙の謎 (Die Welträtsel)』で例示したような「異教的大退化 (great pagan retrogression)」、敵を愛せと教えるキリスト教的利他主義を否定するような退化を見ていた。 キッドの未来への希望は、女性の影響力にかかっていた。彼が「Woman is the Psychic Centre of Power in the Social Integration」と題した章で女性を賞賛したことは、フェミニストたちにアピールした。キッドは、女性を「反=異教的、すなわち利己的なところがなく、人種の利益に献身する (anti-pagan, i.e. unselfish, and devoted to the interests of the race)」存在であり、すべて「キリスト教的利他主義に沿う (in accordance with Christian altruism)」ものだと考えていた。
※この「『力の科学』 (1918年)」の解説は、「ベンジャミン・キッド」の解説の一部です。
「『力の科学』 (1918年)」を含む「ベンジャミン・キッド」の記事については、「ベンジャミン・キッド」の概要を参照ください。
- 『力の科学』のページへのリンク