1981年の相撲
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1981年の相撲(1981ねんのすもう)は、1981年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、入場料(平均15%)値上げ。幕下以下の退職金、部屋維持費アップ。初場所4日目、高見山は連続出場回数を1368回とし史上単独1位。7日目、大関貴ノ花引退、年寄鳴戸襲名。8日目、当時の皇太子一家観戦。場所後の番付編成会議で千代の富士の大関昇進を決定。放駒(元大関魁傑)独立。2月に放駒部屋落成。
- 初場所千秋楽の平均視聴率は史上最高の52.2%(瞬間最高視聴率65.3%)を記録した。
- 3月、春場所3日目に横綱輪島大士が引退、年寄花籠襲名。花籠親方(元大ノ海)は定年の10日前に廃業。功労金3800万円。5日目、大関増位山引退、年寄小野川襲名。
- 4月、湊親方(元十両8枚目大達)死去、59歳。
- 5月、夏場所初日、昭和天皇観戦。元小結豊山引退、年寄湊襲名。場所後の番付編成会議で福薗、鶴嶺山の十両昇進を決定。史上初の兄弟同時関取。
- 6月、メキシコ公演、アメリカ巡業。7日、尾車(元大関琴ヶ濱)死去、53歳。
- 7月、名古屋場所後の番付編成会議で千代の富士の横綱推挙決定。
- 8月、武蔵川(元横綱三重ノ海)独立。武蔵川部屋落成。
- 9月、東西正横綱が「横綱・大関」を兼務。秋場所8日目、昭和天皇観戦。八角親方(元前頭9枚目緑國)死去、62歳。石井光次郎横審委員長死去、92歳。元関脇荒勢引退、年寄間垣襲名。場所後の番付編成会議で琴風が大関に昇進。
- 11月、元関脇玉ノ富士引退、年寄湊川襲名。北の湖敏満が九州場所休場、幕内連続勝ち越し、連続2桁勝利の記録が途絶えた。
- 12月、元前頭5枚目琴乃富士引退、年寄尾車襲名。年寄鳴戸(元大関貴ノ花)が藤島に名跡変更。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館・11日~25日)
- 三月場所(大阪府立体育館・8日~22日)
- 五月場所(蔵前国技館・10日~24日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(14勝1敗,22回目)
- 殊勲賞-朝汐、敢闘賞-北天佑、技能賞-蔵間
- 十両優勝 : 東洋公大(12勝3敗)
- 七月場所(愛知県体育館・5日~19日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(14勝1敗,2回目)
- 殊勲賞-朝汐、敢闘賞-高見山
- 十両優勝 : 青葉城幸雄(10勝5敗)
- 九月場所(蔵前国技館・13日~27日)
- 十一月場所(福岡国際センター・8日~22日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(12勝3敗,3回目)
- 殊勲賞-朝汐、敢闘賞-隆の里、栃赤城、技能賞佐田の海
- 十両優勝 : 若獅子茂憲(11勝4敗)
- 年間最優秀力士賞:千代の富士貢(65勝13敗12休)
- 年間最多勝:北の湖敏満(69勝15敗6休)
誕生
[編集]- 1月2日 - 総一(十両呼出、所属:二十山部屋→北の湖部屋→山響部屋)
- 3月10日 - 黒海太(最高位:小結、所属:追手風部屋)[1]
- 4月16日 - 豊真将紀行(最高位:小結、所属:錣山部屋、年寄:立田川)[2]
- 5月18日 - 大岩戸義之(最高位:前頭16枚目、所属:八角部屋)[3]
- 5月31日 - 里山浩作(最高位:前頭12枚目、所属:三保ヶ関部屋→尾上部屋、年寄:千賀ノ浦)[4]
- 6月17日 - 琴禮巨樹(最高位:十両5枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋)[5]
- 7月13日 - 木村山守(最高位:前頭7枚目、所属:春日野部屋、+ 2024年【令和6年】)[6][7]
- 7月16日 - 白乃波寿洋(最高位:十両4枚目、所属:三保ヶ関部屋→尾上部屋)[8]
- 8月7日 - 朝赤龍太郎(最高位:関脇、所属:若松部屋→高砂部屋、年寄:高砂)[9]
- 12月21日 - 磋牙司洋之(最高位:前頭9枚目、所属:入間川部屋)[10]
死去
[編集]- 4月24日 - 大達信太郎(最高位:十両8枚目、所属:高砂部屋、年寄:湊、* 1921年【大正10年】)
- 5月18日 - 大平山圭四郎(最高位:十両4枚目、所属:春日野部屋、* 1910年【明治43年】)
- 5月21日 - 鯱ノ里一郎(最高位:前頭3枚目、所属:若松部屋、* 1914年【大正3年】)[11]
- 6月7日 - 琴ヶ濵貞雄(最高位:大関、所属:二所ノ関部屋→佐渡ヶ嶽部屋、年寄:尾車、* 1927年【昭和2年】)[12]
- 9月11日 - 緑國政雄(最高位:前頭9枚目、所属:立浪部屋、年寄:八角、* 1919年【大正8年】)[13]
- 9月20日 - 大ノ海久光(最高位:前頭3枚目、所属:二所ノ関部屋、* 1916年【大正5年】)[14]
出典
[編集]- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 258頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 264頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 285頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 267頁
- ^ 琴禮 巨樹 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 271頁
- ^ 「元前頭・木村山の岩友親方が死去、42歳 箕島高から東洋大、幕内在位16場所」『日刊スポーツ』2024年7月6日。2024年7月6日閲覧。
- ^ 白乃波 寿洋 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 257頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 276頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 88頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 126頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 106頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 108頁
参考文献
[編集]- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p83