鍋島直澄
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2023年9月) |
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 元和元年11月12日(1616年1月1日) |
死没 | 寛文9年3月5日(1669年4月5日) |
別名 | 千熊丸(幼名)、義峯(号)、正献院殿義峯宗眼(法名) |
官位 | 従五位下・甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光、家綱 |
藩 | 肥前蓮池藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 | 父:鍋島勝茂、母:高源院 |
兄弟 |
市姫、元茂、鶴、満千代、忠直、直澄、 宝乗院、直弘、神代常利室、直朝、 永春院殿、卿公、鍋島元茂養女、 神代直長、超誉 |
妻 | 松平忠明の娘・牟利姫、安樹院(伊香賀氏) |
子 | 直守、直之、於千代、之治、之映、直称、之徳、松平好房正室 |
鍋島 直澄(なべしま なおずみ)は、江戸時代前期の大名。肥前国蓮池藩初代藩主。官位は従五位下、甲斐守。
略歴
[編集]兄の忠直の死後、その未亡人を娶った経緯から、鍋島宗家の家督相続の候補者に推されたが、継ぐことはできなかった。寛永19年(1642年)、肥前国蓮池藩に5万2000石を与えられ初代藩主となった(立藩年次については異説あり)。
寛文5年(1665年)に塩田吉浦館へ隠居し、家督を次男の直之に譲る。寛文9年(1669年)3月5日、病のため塩田吉浦館で没した。
遺命により遺骨は吉浦至誠山、慶誾寺、潜龍寺(のちの宗眼寺)に分けて納められた。
系譜
[編集]父母
正室
側室
- 安樹院 ー 伊香賀貞知の娘
子女
- 鍋島直守(長男)
- 鍋島直之(次男)生母は恵照院(正室)
- 鍋島之治(三男)
- 鍋島之映(四男)
- 鍋島直称[注釈 2](五男)生母は安樹院(側室)
- 鍋島之徳(六男)
- 於千代、宝善院 ー 鍋島直條正室、鍋島光茂の養女
- 松平好房正室
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]