鍋島忠直
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鍋島忠直の墓(高伝寺) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶長18年(1613年) |
死没 | 寛永12年1月28日(1635年2月20日) |
改名 | 翁助(幼名)、忠直 |
戒名 | 興国院殿敬英賢崇大居士 |
墓所 |
佐賀県佐賀市の高伝寺 東京都港区元麻布の賢崇寺 |
官位 | 従五位下肥前守[1] |
藩 | 肥前佐賀藩世嗣 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 | 鍋島勝茂、菊姫 |
兄弟 |
市姫、元茂、鶴、満千代、忠直、直澄、 宝乗院、直弘、神代常利室、直朝、 永春院殿、卿公、鍋島元茂、神代直長、 超誉ら |
妻 | 牟利 |
子 | 光茂、女子 |
鍋島 忠直(なべしま ただなお)は、江戸時代前期の肥前国佐賀藩の世嗣。官位は従五位下・肥前守。
略歴
[編集]初代藩主・鍋島勝茂の四男として誕生。母は徳川家康の養女(岡部長盛の娘)・菊姫。幼名は翁助。
勝茂の四男であるが、徳川家から迎えた菊姫との間にできた男子であったため、長兄・元茂など3人の兄を差し置いて嫡男として扱われる[2]。元和8年(1622年)、徳川秀忠から偏諱の「忠」の字と松平の氏姓を授けられた。[3]この鍋島家の松平姓および将軍の偏諱拝領は、この時以降幕末まで代々継承される[4](一方、諱の「直」の字は祖父の直茂から取ったものである)。2代藩主の座を約束されていたが、疱瘡にかかり早世する。享年23。法名は興国院殿敬英賢崇大居士。
代わって、忠直の長男・光茂が勝茂から嫡孫継承することとなった。