鈴木邦彦 (作曲家)
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鈴木 邦彦 | |
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生誕 | 1938年3月1日(86歳) |
出身地 | 日本・東京府 |
学歴 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
ジャンル | ポップス、歌謡曲、ミュージカル |
職業 | 作曲家、編曲家、ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1960年代 - 現在 |
公式サイト | Bell Music|作曲家鈴木邦彦公式サイト |
鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。妻は元歌手の小野階子(おの しなこ)。
人物
[編集]慶應義塾中等部[1]、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業[2]。学生時代は慶應義塾大学ライトミュージックソサエティに所属。
母が所有していたピアノを独学で習得し[3]、学生時代からジャズ・ピアニストとして活動を始め、のちに「ザ・ヒットパレード」のバックバンドにも参加。中村八大の影響でプロの作曲・編曲家を目指す[3]。
西ドイツ・ドルトムントで開催された1966年世界体操競技選手権に日本代表専属のピアニストとして参加。床運動の規定曲を作曲する。
プロの作曲家としてデビューまもない1968年に『天使の誘惑』が、第10回日本レコード大賞を受賞する。
メーカーから依頼されたことにより、ハンドベルの普及版となるミュージックベルの開発に取り組む[3]。1971年4月、株式会社ベルミュージック並びに日本ミュージックベル協会を設立。
株式会社エンジェルミュージック、株式会社ウエディングベル設立。
作品
[編集]歌謡曲・ポップス
[編集]- 安西マリア
- 『愛のビーナス』(作詞:千家和也)
- 『針のくちづけ』(作詞:千家和也)
- 内山田洋とクール・ファイブ(前川清)
- 江利チエミ
- 奥村チヨ
- 小野階子
- 『別れの美学』『ためらい』(作詞:久仁京介)1971年
- おぼたけし
- ザ・ゴールデン・カップス
- 西城秀樹
- 桜田淳子
- 嶋大輔
- 『純哀物語 (ストーリー)』(作詞:高島俊一)
- 『Forever My Love -さよならのとき-』(作詞:河田未央子)
- ザ・ジャガーズ
- 『ダンシング・ロンリー・ナイト』(作詞:漣健児)
- ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
- シャープ・ホークス
- 『ついておいで』(作詞:尾中美千絵)
- 『若い夜』(作詞:鈴木邦彦)
- 『ロンリー・ラヴ』(作詞:尾中美千絵)
- 『愛の土曜日』(作詞:尾中美千絵)
- 朱里エイコ
- 『時の流れにのこされて』(作詞:山上路夫)1972年
- 『北国行きで』(作詞:山上路夫)1972年
- ザ・ダイナマイツ
- チェリッシュ
- 『古いお寺にただひとり』(作詞:山上路夫)1972年
- トニーズ
- 『アカプルコの娘』 (作詞:なかにし礼)
- ザ・バロネッツ
- 『サロマの秘密』(作詞:若木香)
- 『愛の女神』(作詞:若木香)
- 『ある恋のエピソード』(作詞:比良九郎)
- ザ・ピーナッツ
- 藤圭子
- 黛ジュン
- 美空ひばり
- 森田健作
- 『さらば涙と言おう』(作詞:阿久悠)1971年
- 『友達よ泣くんじゃない』(作詞:阿久悠)1972年
- 『若い涙はみな熱い』(作詞:阿久悠)
- 『青春の旅』(作詞:阿久悠)
- 『涙によろしく』(作詞:阿久悠)
- ザ・リード
- 『悪魔がくれた青いバラ』(作詞:尾中美千絵)
- 『沈黙の海 〜サイレンス・オブ・ザ・シー〜』(作詞:山上路夫)
- 渡辺篤史
- 『海はいつでも』(作詞:山上路夫。テレビドラマ『ゲンコツの海』主題歌)
TV番組テーマ曲
[編集]校歌
[編集]ミュージカル
[編集]- 劇団四季ファミリーミュージカル「モモと時間泥棒」(初演1978年)「人間になりたがった猫」(初演1979年)「むかしむかしゾウがきた」他多数
その他
[編集]出演
[編集]- オールスターものまね王座決定戦(フジテレビ 審査員)
- 鈴木邦彦の音楽アラカルト(アール・エフ・ラジオ日本)
脚注・出典
[編集]- ^ 近田春夫『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』文藝春秋、2021年8月19日 。
- ^ “Bell Music | 作曲家鈴木邦彦プロフィール”. www.bellmusic.co.jp. 2021年11月27日閲覧。
- ^ a b c 鈴木邦彦 ミュージックベルを語る学びの場.com 2008年3月4日
- ^ 『温泉万歳』 p22 熱海市観光課