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第百五号哨戒艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
発注 F・シーヒャウ社[1]
起工
進水
就役 1931年7月[1]
退役
その後 1942年8月に日本海軍が鹵獲
1944年11月29日に戦没
除籍 1945年1月10日
性能諸元
排水量 904グロストン[2]
全長 57.9m(190フィート[2]
全幅 9.75m(32フィート)[2]
吃水 6.7m(22フィート)[2]
機関 蒸気エンジン 2軸[2]

第百五号哨戒艇[3](だいひゃくごごうしょうかいてい、旧字体:第百五號哨戒艇)は、大日本帝国海軍鹵獲艦艇の一つである哨戒艇。元はアメリカあるいはフィリピン巡視船アラヤット」 (Arayat) 。

概要

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1941年昭和16年)12月27日キャビテ沖のマニラ湾で日本軍の空襲により沈没。1942年(昭和17年)8月以降に浮揚、マニラの第百三海軍工作部が修理し哨戒艇とした。主にマニラを中心に哨戒、護衛任務に従事した。1944年(昭和19年)11月29日多号作戦に参加中に魚雷艇の攻撃により戦没した。

艇歴

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第百五号哨戒艇長

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  1. 平石廉 大尉/少佐:1943年9月1日[13] - 1944年7月1日[14]
  2. 香坂峯三 大尉:1944年7月1日[14] - 1944年12月30日[15]

前身について

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第百五号哨戒艇は、日本海軍艦艇の中でも謎が多い艦艇の1隻である。そもそも日本の資料では、前身である「アラヤット」に関する情報が一定ではない。命名時には米軍の巡邏艇[3][16]としているが、それ以上は不明である。

中には「米西戦争中に自沈し、後に引き揚げられてアメリカ海軍で使用された、1888年明治21年)建造[4]スペイン砲艦」というものがある[17]。艦艇史研究家の田村俊夫によれば、このスペイン砲艦は排水量243トンで、1910年(明治43年)に除籍されて売却されている[18]

また田村が引き続き調査したところ、『戦利船利用』では「アラヤット」は「フィリピンの巡邏船で排水量は1200トン」[18][19]、『佐世保鎮守府戦時日誌』機密第一〇一七〇五番電には「『アラヤット』号一〇〇〇頓」とあり[20][21]、『戦前船舶』第31号内の記載には、「アラヤット」は「所有者はフィリピン政府、建造年は1931年(昭和6年)、建造所はドイツのシーショウ社で建造番号1253、903グロストン」という記録が残っていたという[21]

一方、海外のサイト『CombinedFleet.com』では、「アラヤット」は1931年に自由都市ダンツィヒF・シーヒャウ有限会社 (F. Schichau GmbH) で建造。同年7月にアメリカ陸軍省島国事務局によってフィリピン諸島税関巡視船として購入され、フィリピン政府商船役員によって運用されていたとされる[1]

脚注

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  1. ^ a b c CombinedFleet.com 1.
  2. ^ a b c d e CombinedFleet.com 2.
  3. ^ a b c 昭和18年9月1日付 海軍逹 第204号。「昭和18年9月~12月 達(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070119700 
  4. ^ a b c d e f 写真日本海軍全艦艇史 別冊 1994, p. 30.
  5. ^ 昭和18年9月1日付 海軍内令 第1780号。「昭和18年9~10月 内令 4巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070180400 
  6. ^ 昭和18年9月1日付 海軍内令 第1817号。「昭和18年9~10月 内令 4巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070180400 
  7. ^ 日本海軍編制事典 2003, p. 384.
  8. ^ 『第三南遣艦隊戦時日誌』、昭和18年9月1日-9月30日。
  9. ^ 『第三南遣艦隊戦時日誌』
  10. ^ 『第三南遣艦隊戦時日誌』、昭和18年10月1日-10月31日。
  11. ^ 神祥丸(栗林商船、2,880トン)、神悦丸(栗林商船、2,212トン)、第四十五号駆潜艇第五十三号駆潜艇、第百五号哨戒艇
  12. ^ 昭和20年1月10日付 海軍内令 第29号。
  13. ^ 昭和18年9月1日付 海軍辞令公報(部内限) 第1203号。
  14. ^ a b 昭和19年7月8日付 海軍辞令公報 甲(部内限) 第1529号。
  15. ^ 昭和20年1月6日付 秘海軍辞令公報 甲 第1685号。
  16. ^ 写真日本海軍全艦艇史 別冊 1994, pp. 30, 55.
  17. ^ 日本海軍護衛艦艇史 1996, p. 105- このような記述に続いて「外洋航行可能であれば明治時代の老朽船も使用せざるをえなかったほど護衛艦の不足は深刻だったといえよう」と続いている。
  18. ^ a b 「第一〇五号哨戒艇」の前身について 2005, p. 171.
  19. ^ 写真日本海軍全艦艇史 別冊 1994, p. 55.
  20. ^ 『佐世保鎮守府戦時日誌』
  21. ^ a b 「第一〇五号哨戒艇」の前身「アラヤット」について 2007, p. 174.

参考文献

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関連項目

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