本岐駅
本岐駅 | |
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ほんき Honki | |
◄恩根 (3.9 km) (3.7 km) 大昭仮乗降場► | |
所在地 | 北海道網走郡津別町字本岐 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 相生線 |
キロ程 | 24.7 km |
電報略号 | ホキ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1925年(大正14年)11月15日[1] |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)4月1日[1] |
備考 | 相生線廃線に伴い廃駅 |
本岐駅(ほんきえき)は、北海道(網走支庁)網走郡津別町字本岐にあった日本国有鉄道(国鉄)相生線の駅(廃駅)である。電報略号はホキ。事務管理コードは▲122605[2]。
歴史
[編集]- 1925年(大正14年)11月15日 - 鉄道省相生線津別駅 - 北見相生駅間開通に伴い開業[1][3]。一般駅[1]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1979年(昭和54年)12月11日 - 貨物取扱い廃止[1]。
- 時期不詳 - 業務委託化[4]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止[1]。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 相生線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
[編集]開業時、当地は飜木禽(ぽんききん)村であったが[3]、「駅名としては字画多きに過ぐるため[5]」として省略され命名されたもので、後年地名も本岐となっている[6]。
「飜木禽(翻木禽、とも)」は現在のポンキキン川のアイヌ語名である「ポンキキン(pon-kikin)」(小さい・キキン川)に字を当てたものである。「キキン(kikin)」は果実の名称であり、エゾノウワミズザクラあるいはナナカマドの果実を指す[6][7][8]。この「キキン」の木(「キキンニ(kikin-ni)」)が川筋に多かったことから付いた、と考えられる名称である[6]。
語頭の「ポン(pon)」(小さい・子なる)は同地の網走川支流のうち、現在の恩根地区にある「オンネキキン(onne-kikin)」(大きい(親なる)・キキン川)[6]と比較し小さい川であったことから、対になるかたちでついたものである[6][7]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ほかに駅舎側に美幌方から分岐した側線を1本有し、ホームはその部分が切欠きホームとなっていた[4]。ホームは線路の西側(北見相生方面に向かって右手側)に存在し、駅舎が接していた。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能駅であった。業務委託駅となっていた。
利用状況
[編集]利用状況の推移については以下の通り。年間の値のみ判明している年度の1日平均は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1928年(昭和3年) | (87.0) | [9] | 1日平均乗降人員174人 | |
1931年(昭和6年) | (39.5) | 1日平均乗降人員79人 | ||
1934年(昭和9年) | (47.5) | 1日平均乗降人員95人 | ||
1945年(昭和20年) | (127.0) | 1日平均乗降人員254人 | ||
1950年(昭和25年) | (177.0) | 1日平均乗降人員354人 | ||
1952年(昭和27年) | 60,704 | (166.3) | [10] | |
1955年(昭和30年) | (211.5) | [9] | 1日平均乗降人員423人 | |
1960年(昭和35年) | (225.0) | 1日平均乗降人員450人 | ||
1965年(昭和40年) | (224.0) | 1日平均乗降人員448人 | ||
1968年(昭和43年) | (192.0) | 1日平均乗降人員384人 | ||
1978年(昭和53年) | 86 | [11] | ||
1981年(昭和56年) | 64 | [4] |
駅周辺
[編集]- 北海道道51号津別陸別線・国道240号
- 津別町立本岐小学校
- 本岐郵便局
- 津別まちバス(旧・津別町営バス)「本岐」停留所
- チミケップ湖 - 駅から西に約12km[4]。
- 鹿鳴の滝
駅跡
[編集]「本岐地区多目的公園」となり、パークゴルフ場や交流センターの建物が建てられている。農業倉庫は残存している。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、923頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、246頁。doi:10.11501/1873236 。2023年4月2日閲覧。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1925-11-11). “鉄道省告示 第219号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3965) .
- ^ a b c d 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)159ページより。
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年。NDLJP:1029473。
- ^ a b c d e “アイヌ語地名リスト ホロナ~モオ P121-130”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2018年12月2日閲覧。
- ^ a b “アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2018年12月2日閲覧。
- ^ “アイヌと自然デジタル図鑑”. アイヌ民族博物館. 2018年5月22日閲覧。
- ^ a b 『津別町史』津別町、1971年、841頁。doi:10.11501/9490640 。2022年6月12日閲覧。
- ^ 『津別町史』津別町、1954年、607頁。doi:10.11501/3017371 。2022年6月12日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、902頁。doi:10.11501/12065814 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 北海道立図書館北方資料デジタルライブラリー 「相生線津別北見相生間開通記念絵葉書」より 本岐停車場と市街 開業時の本岐駅。(5ページ目を手動選択してください)