惇子内親王
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惇子内親王 | |
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続柄 | 後白河天皇第五皇女 |
全名 | 惇子(あつこ/じゅんし) |
称号 | 堀河斎宮 |
身位 | 内親王 |
出生 |
保元3年(1158年) |
死去 |
承安2年5月3日(1172年5月27日)(享年15) |
父親 | 後白河天皇 |
母親 | 坊門局(藤原公能女) |
役職 | 伊勢斎宮 |
惇子内親王(あつこ/じゅんしないしんのう、保元3年(1158年) - 承安2年5月3日(1172年5月27日))は、平安時代末期の皇族。伊勢斎宮。後白河天皇の第5皇女で、母は坊門局(右大臣藤原公能の女)。堀河斎宮と呼ばれた。二条天皇・高倉天皇・以仁王らの異母姉妹。
生涯
[編集]仁安3年(1168年)8月27日内親王宣下を受け、同日伊勢斎宮に卜定される。翌嘉応元年(1169年)5月9日、一本御書所へ初斎院入り、同年9月27日野宮に遷る。同2年(1170年)9月10日、伊勢へ群行。承安元年(1171年)、不予のため母坊門殿が伊勢へ下向したが、翌2年(1172年)5月3日、御悩危急(急病)で斎宮寮頭の館に退下、同日15歳で薨去。隆子女王に続き、在任中に伊勢で薨じた2人目の斎宮となった。三重県多気郡明和町有爾中には、内親王の墓の伝承地がある(明和町指定史跡)[1][2]。
脚注
[編集]- ^ “地域の文化資産:惇子内親王墓”. 三重の歴史・文化散策マップ. 三重県環境生活部文化振興課. 2023年8月6日閲覧。
- ^ “論・寄稿:「文化財」となった伊勢斎王の墓”. 中外日報 (2018年12月5日). 2023年8月6日閲覧。