国英村
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くにふさそん 国英村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年3月28日 |
廃止理由 |
新設合併 国英村、河原町(初代)、八上村、西郷村、散岐村 → 河原町 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 10.8 km2 |
総人口 |
2,196人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 河原町(初代)、八上村、散岐村、大村、郡家町、船岡町 |
国英村役場 | |
所在地 | 鳥取県八頭郡国英村大字山手453番地 |
座標 | 北緯35度23分55秒 東経134度12分46秒 / 北緯35.39861度 東経134.21272度座標: 北緯35度23分55秒 東経134度12分46秒 / 北緯35.39861度 東経134.21272度 |
特記事項 | 座標は現在の国英地区公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
国英村(くにふさそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは八上郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市河原町山手・河原町郷原・河原町三谷・河原町今在家・河原町徳吉・河原町片山・河原町高福・河原町釜口に相当する。千代川中流右岸に位置し、村域の北側で支流の八東川が合流する。
村名は国英神社の社号から命名された[1]。
藩政時代は因幡民談記によると鳥取藩領の八上郡岩田庄(いわたのしょう、石田庄とも)に属する片山村・今在家村・山手村・郷原村・三谷村・徳吉村・高津原村、および散岐郷(さぬきのごう)に属する釜口村があった。後に岩田庄は岩田庄・岩田上庄(いわたかみのしょう)・岩田下庄(いわたしものしょう)に分割され、因伯郷村帳(元治元年、1864年)によると徳吉村・高津原村・福和田村・山手村・郷原村・三谷村が岩田上庄、片山村が岩田下庄、今在家村が岩田庄に属した[1][2]。
沿革
[編集]- 享和3年(1803年) - 高津原村から枝郷の福和田村を分村[3]。
- 1877年(明治10年)5月22日 - 高津原村と福和田村が合併して高福村となる[4]。
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 河原村(後の久長村大字河原村)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[5]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、山手村・郷原村・三谷村・今在家村・徳吉村・片山村・高福村・釜口村が合併して村制施行し、八上郡国英村が発足。旧村名を継承した8大字を編成し、役場を山手村に設置[1][6]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡国英村となる。
- 1924年(大正13年)6月24日 - 役場位置を大字山手453番地に変更[7]。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「国英村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「国英村大字◯◯」と改称[8]。
- 1955年(昭和30年)3月28日 - 河原町(初代)、八上村、西郷村、散岐村と合併し、改めて河原町(2代)が発足。同日国英村廃止[9]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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遠藤多平 | 1889年(明治22年)11月 | 1893年(明治26年)7月 | |
田中吉三郎 | 1893年(明治26年)7月 | 1894年(明治27年)11月 | |
西尾新太郎 | 1894年(明治27年)12月 | 1897年(明治30年)4月 | |
谷口忠五郎 | 1897年(明治30年)7月 | 1899年(明治32年)5月 | |
田中嘉十郎 | 1899年(明治32年)5月 | 1899年(明治32年)8月 | |
有田多一郎 | 1899年(明治32年)9月 | 1901年(明治34年)11月 | |
三木茂太郎 | 1901年(明治34年)11月 | 1908年(明治41年)4月 | |
西尾新太郎 | 1909年(明治42年)6月 | 1913年(大正2年)6月 | |
中川林太郎 | 1913年(大正2年)7月 | 1918年(大正7年)8月 | |
蓮佛熊吉 | 1918年(大正7年)12月 | 1922年(大正11年)12月 | |
有田光次郎 | 1922年(大正11年)12月 | 1932年(昭和7年)3月 | |
有田義光 | 1932年(昭和7年)3月 | 1939年(昭和14年)4月 | |
石田実太郎 | 1939年(昭和14年)5月 | 1943年(昭和18年)5月 | |
梶川弥一郎 | 1943年(昭和18年)5月 | 1946年(昭和21年)11月 | |
蓮佛虎信 | 1947年(昭和22年)4月 | 1950年(昭和25年)3月 | |
上原喜与 | 1950年(昭和25年)4月 | 1955年(昭和30年)3月27日 | 合併後、河原町長に就任 |
参考文献 - [1][2] |
教育
[編集]- 国英村立国英小学校:現在は統合により鳥取市立河原第一小学校。
- 組合立八頭第一中学校:河原町と国英村の組合立として河原町大字長瀬に創設。現在は統合により鳥取市立河原中学校[1]。
交通
[編集]鉄道
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 河原町誌(河原町誌編集委員会、1986年)
- ^ a b 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「高津原村(近世)」「福和田村(近世)」
- ^ 鳥取県史 近代 第1巻 (総説篇)836頁(鳥取県、1969年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「村役場位置変更」『官報』1924年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第135号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 号外第29号』1955年3月25日(鳥取県立公文書館)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「国中村(近代)」