久長村
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ひさながそん 久長村 | |
---|---|
廃止日 | 1893年12月1日 |
廃止理由 |
新設合併 久長村、三保村 → 河原村 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八上郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
961人 ([1]、1891年) |
隣接自治体 |
三保村、国英村、曳田村 高草郡砂見村 |
久長村役場 | |
所在地 |
鳥取県八上郡久長村大字河原村 (久長村三保村組合役塲) |
座標 | 北緯35度24分10秒 東経134度12分08秒 / 北緯35.40271度 東経134.20213度座標: 北緯35度24分10秒 東経134度12分08秒 / 北緯35.40271度 東経134.20213度 |
特記事項 | 座標は現在の河原町総合支所位置 |
ウィキプロジェクト |
久長村(ひさながそん)は、鳥取県八上郡にあった自治体である。
概要
[編集]現在の鳥取市河原町河原・河原町渡一木(わたりひとつぎ)・河原町谷一木(たにひとつぎ)・河原町長瀬、および河原町鮎ヶ丘(元は長瀬の小字であった[2])に相当する。千代川と支流の八東川合流付近に位置した。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡岩田下庄(いわたしものしょう)に属する河原村・渡一木村・谷一木村・長瀬村があった[3]。
隣接する三保村とは共同で組合役場を設置していたが、人情的に差異なく2村のままでは後来の利益にならないとの理由から、村発足から約4年で合併した[4]。
沿革
[編集]- 享和3年(1803年) - 谷一木村から枝郷の河原村を分村[5]。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 島根県の管轄になる。
- 1880年(明治13年)12月 - 八上智頭八東郡役所を河原村に設置[6]。
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 連合戸長役場を河原村に設置。
- 1886年(明治19年)12月27日 - 郡役所位置を郡家村(後の賀茂村大字郡家)に変更[6][7]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、河原村・渡一木村・谷一木村・長瀬村が合併して村制施行し、八上郡久長村が発足。旧村名を継承した4大字を編成。三保村との組合役場を河原村に設置[3][8]。
- 1893年(明治26年)12月1日 - 三保村と合併して河原村が発足。同日久長村廃止[3]。
行政
[編集]戸長
[編集]組合役場
[編集]組合役場庁舎は八上智頭八東郡役所の一隅を借りて年間12円の借用料を支払っていたが、1892年(明治25年)に役場を新築した[1]。
組合村長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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川辺清六 | 1889年(明治22年)12月 | 1893年(明治26年)11月30日 | 合併後、河原村長に就任 |
参考文献 - [3] |
脚注
[編集]- ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「久長村(近代)」
- ^ 「鳥取県告示第508号・字の区域の新設等(河原町大字長瀬)」『鳥取県公報 第6793号』1996年7月19日(鳥取県立公文書館)
- ^ a b c d e f 河原町誌(河原町誌編集委員会、1986年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「河原村(近代)」
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「河原村(近世)」
- ^ a b 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ 「郡役所移転」『官報』1887年3月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 鳥取県職員録 明治22年9月調(鳥取県、1889年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)