トークン・RJ02
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コンストラクター | トークン | ||
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デザイナー | レイ・ジェソップ | ||
主要諸元 | |||
シャシー | アルミニウム製モノコック | ||
トレッド |
前:1,575 mm (62.0 in) 後:1,575 mm (62.0 in) | ||
ホイールベース | 2464 mm | ||
エンジン | コスワースDFV 3.0リッター V型8気筒 NA | ||
トランスミッション | ヒューランド DG 300 5速 マニュアル | ||
重量 | 585 kg (1,290 lb) | ||
燃料 | シェル | ||
タイヤ | ファイアストン | ||
主要成績 | |||
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トークン・RJ02 (Token RJ02) は、トークンが1974年にF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。レイ・ジェソップが設計した。
概要
[編集]当初のカラーリングはチーム、スポンサー、ドライバーとイギリスの組み合わせを表すため、ジム・クラークのロータス同様にナショナルカラーの緑と黄色であった。トム・プライスが初めてドライブしたのは4月にシルバーストンで行われたインターナショナル・トロフィーであったが、15周目にギアセレクターのトラブルでリタイアとなった。実際のデビュー戦はベルギーグランプリであった。しかしレース序盤にノーズを損傷し、最終的にリタイアした。
スポンサー契約が難航し、次に参戦したのはイギリスグランプリであった。ここでのカラーリングは白のボディにウィングは赤と変更されていた。ドライバーはデビッド・パーレイに代わったが、予選落ちとなった。ドイツグランプリではイアン・アシュレイがドライブ、1周遅れの14位でフィニッシュした。続くオーストリアグランプリは8周遅れで規定周回数不足となった。スポンサー契約が成立せず予算不足のためこのレースがRJ02の最後のレースとなった。
その後マシンはサフィール・エンジニアリングに売却された。1975年にサフィールはトニー・トリマーを起用してRJ02でレース・オブ・チャンピオンズとインターナショナル・トロフィーに参戦、それぞれ12位と14位でフィニッシュしている。
F1における全成績
[編集]年 | シャシー | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 |
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1974年 | トークン・RJ02 | フォード コスワースDFV 3.0 V8 | F | ARG |
BRA |
RSA |
ESP |
BEL |
MON |
SWE |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
USA |
0 | NC | ||
42 | トム・プライス | Ret | ||||||||||||||||||||
デビッド・パーレイ | DNQ | |||||||||||||||||||||
32 | イアン・アシュレイ | 14 | ||||||||||||||||||||
35 | NC |
外部リンク
[編集]- Token RJ02 STATS F1
- Token RJ02 F1technical.net