若ノ海正照
若ノ海 正照(わかのうみ まさてる、1945年10月25日 - 1995年3月31日)は、岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は松田 秋夫(まつだ あきお)。現役時代の体格は175cm、126kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1973年1月場所)。
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基礎情報 | ||||
四股名 | 若岩手 秋夫 → 松田 秋夫 → 迫龍 秋夫 → 迫竜 秋夫 → 迫龍 秋夫 → 松田 秋夫 → 若ノ海 秋夫 → 松田 秋夫 → 若ノ海 正照 → 若ノ海 秋夫 → 若ノ海 正照 | |||
本名 | 松田 秋夫 | |||
生年月日 | 1945年10月25日 | |||
没年月日 | 1995年3月31日(49歳没) | |||
出身 | 岩手県稗貫郡内川目村(のち大迫町、現在の花巻市) | |||
身長 | 175cm | |||
体重 | 126kg | |||
BMI | 41.14 | |||
所属部屋 | 花籠部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭2枚目 | |||
生涯戦歴 | 489勝486敗16休(100場所) | |||
幕内戦歴 | 144勝171敗15休(22場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1961年5月場所 | |||
入幕 | 1972年7月場所 | |||
引退 | 1978年1月場所 | |||
引退後 | 年寄・大嶽→相撲料理店経営 | |||
備考 | ||||
2013年9月9日現在 |
来歴
編集内川目中学校を卒業後、元前頭3枚目・大ノ海が率いる花籠部屋に入門し、1961年(昭和36年)5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の関脇・藤ノ川、小結・羽黒岩らがいる。出世は遅く、初土俵から約10年、57場所かかって1971年(昭和46年)1月場所で十両昇進。そして、1972年(昭和47年)7月場所での新入幕は初土俵から11年2ヶ月、67場所を要した。
左四つから右上手を引いての寄り、前廻しを取って食い下がるという、地味な相撲を得意とした。その相撲ぶりのせいか、二桁勝利や三賞、金星とは縁がなかった。東前頭3枚目まで番付を上げた1974年(昭和49年)3月場所では、7勝8敗と負け越したが8日目に大関・貴ノ花を上手出し投げで破る殊勲の星を挙げている。
その後、1975年(昭和50年)3月場所で十両に陥落したが、翌年11月場所で再入幕。以降は幕内中位にあったが、1977年(昭和52年)の夏巡業で左足首を脱臼して9月場所を全休したため、再度十両に落ちた。翌場所は東十両7枚目の地位にあって5勝10敗と大きく負け越し、1978年(昭和53年)1月場所では幕下にまで陥落してしまった。そして、この場所の番付発表後に引退し、年寄・大嶽を大鵬親方から借り受けて襲名した。
引退後は大鵬部屋に移籍し、同部屋付きの親方として後進の指導に当たった。その後、巨砲の引退、大嶽襲名に伴い1992年(平成4年)5月に廃業。
廃業後は、東京都江東区で相撲料理店「ちゃんこ若ノ海」を経営するとともに、1992年10月5日から1993年(平成5年)4月3日まで放送されたNHK朝の連続テレビ小説『ひらり』に大相撲コーチ役として準レギュラーで出演した。
1995年(平成7年)3月31日、心不全のため東京都渋谷区内の病院で死去。享年49。
なお、長男・一隆は伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士の勝盛(かちもり)、次男・佳久は大鵬部屋所属の元大相撲力士・若松鵬(わかしょうほう)である。
主な成績・記録
編集- 通算成績:489勝486敗16休 勝率.502
- 幕内成績:144勝171敗15休 勝率.457
- 現役在位:100場所
- 幕内在位:22場所
- 各段優勝
場所別成績
編集一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1961年 (昭和36年) |
x | x | (前相撲) | 東序ノ口34枚目 3–4 |
西序ノ口14枚目 3–4 |
西序ノ口5枚目 4–3 |
1962年 (昭和37年) |
東序二段54枚目 1–6 |
東序二段86枚目 4–3 |
西序二段61枚目 4–3 |
西序二段35枚目 2–5 |
西序二段59枚目 5–2 |
西序二段14枚目 2–5 |
1963年 (昭和38年) |
東序二段37枚目 3–4 |
西序二段58枚目 3–4 |
西序二段75枚目 6–1 |
東三段目96枚目 4–3 |
東三段目70枚目 5–2 |
東三段目34枚目 2–5 |
1964年 (昭和39年) |
東三段目55枚目 2–5 |
西三段目79枚目 5–2 |
西三段目43枚目 3–4 |
西三段目46枚目 4–3 |
東三段目31枚目 5–2 |
東三段目4枚目 3–4 |
1965年 (昭和40年) |
西三段目10枚目 5–2 |
西幕下76枚目 4–3 |
東幕下70枚目 3–4 |
東幕下75枚目 6–1 |
東幕下36枚目 3–3–1 |
西幕下41枚目 4–3 |
1966年 (昭和41年) |
西幕下38枚目 3–4 |
東幕下44枚目 3–4 |
東幕下49枚目 5–2 |
東幕下33枚目 3–4 |
西幕下39枚目 4–3 |
西幕下32枚目 5–2 |
1967年 (昭和42年) |
東幕下20枚目 3–4 |
西幕下23枚目 5–2 |
西幕下20枚目 3–4 |
西幕下22枚目 4–3 |
西幕下18枚目 3–4 |
西幕下22枚目 5–2 |
1968年 (昭和43年) |
西幕下13枚目 3–4 |
東幕下16枚目 2–5 |
東幕下27枚目 3–4 |
西幕下31枚目 5–2 |
西幕下21枚目 5–2 |
東幕下9枚目 4–3 |
1969年 (昭和44年) |
西幕下6枚目 4–3 |
東幕下4枚目 2–5 |
西幕下14枚目 6–1 |
東幕下4枚目 3–4 |
西幕下6枚目 3–4 |
西幕下9枚目 3–4 |
1970年 (昭和45年) |
東幕下12枚目 5–2 |
西幕下6枚目 3–4 |
西幕下8枚目 4–3 |
東幕下6枚目 3–4 |
東幕下9枚目 4–3 |
西幕下5枚目 5–2 |
1971年 (昭和46年) |
東十両13枚目 2–13 |
西幕下11枚目 4–3 |
西幕下9枚目 4–3 |
東幕下7枚目 5–2 |
東幕下筆頭 5–2 |
西十両11枚目 9–6 |
1972年 (昭和47年) |
東十両6枚目 6–9 |
西十両9枚目 10–5 |
西十両3枚目 優勝 12–3 |
東前頭10枚目 8–7 |
東前頭7枚目 8–7 |
東前頭5枚目 8–7 |
1973年 (昭和48年) |
東前頭2枚目 4–11 |
西前頭9枚目 8–7 |
東前頭8枚目 7–8 |
東前頭10枚目 8–7 |
西前頭7枚目 9–6 |
西前頭3枚目 5–10 |
1974年 (昭和49年) |
西前頭5枚目 8–7 |
東前頭3枚目 7–8 |
西前頭4枚目 6–9 |
西前頭8枚目 8–7 |
西前頭5枚目 8–7 |
東前頭3枚目 4–11 |
1975年 (昭和50年) |
西前頭10枚目 2–13 |
西十両4枚目 6–9 |
西十両9枚目 8–7 |
東十両6枚目 8–7 |
西十両4枚目 9–6 |
東十両筆頭 5–10 |
1976年 (昭和51年) |
西十両5枚目 8–7 |
西十両2枚目 9–6 |
西十両筆頭 5–10 |
西十両6枚目 8–7 |
東十両4枚目 10–5 |
西前頭11枚目 7–8 |
1977年 (昭和52年) |
東前頭13枚目 9–6 |
西前頭5枚目 6–9 |
西前頭8枚目 8–7 |
東前頭5枚目 6–9 |
東前頭9枚目 休場 0–0–15 |
東十両7枚目 5–10 |
1978年 (昭和53年) |
東幕下筆頭 引退 0–0–0 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
編集力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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青葉城 | 3 | 3 | 青葉山 | 0 | 1 | 朝登 | 0 | 2 | 旭國 | 3 | 5 |
安達 | 1 | 1 | 岩下 | 0 | 1 | 巌虎 | 1 | 2 | 大潮 | 3 | 5 |
大錦 | 4 | 3 | 大登 | 0 | 1 | 大鷲 | 5 | 2 | 魁輝 | 1 | 3 |
金城 | 1 | 3 | 北瀬海 | 3 | 7 | 北の湖 | 0 | 6 | 北の富士 | 0 | 1 |
麒麟児 | 0 | 2 | 蔵間 | 0 | 2 | 黒姫山 | 3 | 6 | 高鉄山 | 1 | 2 |
琴風 | 1 | 2 | 琴ヶ嶽 | 1 | 1 | 琴櫻 | 0 | 1 | 琴乃富士 | 2 | 1 |
金剛 | 4 | 4 | 白田山 | 2 | 1 | 大旺 | 2 | 2 | 大受 | 4 | 3 |
大竜川 | 4 | 1 | 隆ノ里 | 3 | 1 | 貴ノ花 | 1 | 3 | 高見山 | 1 | 3 |
玉輝山 | 0 | 1 | 玉ノ富士 | 0 | 1 | 千代櫻 | 3 | 0 | 天龍 | 6 | 2 |
時葉山 | 3 | 3 | 栃赤城 | 0 | 1 | 栃東 | 5 | 5 | 羽黒岩 | 8 | 5 |
長谷川 | 1 | 5 | 播竜山 | 3 | 1 | 福の花 | 6 | 1 | 富士櫻 | 2 | 10 |
藤ノ川 | 0 | 1 | 二子岳 | 3 | 5 | 双津竜 | 2 | 1 | 前の山 | 2 | 2 |
牧本 | 1 | 0 | 増位山 | 2 | 10 | 舛田山 | 2 | 1 | 三重ノ海 | 4 | 2 |
陸奥嵐 | 4 | 5 | 豊山 | 3 | 8 | 吉王山 | 4 | 1 | 吉の谷 | 3 | 1 |
琉王 | 5 | 6 | 凌駕 | 1 | 0 | 若獅子 | 6 | 2 | 若三杉 | 1 | 2 |
若二瀬 | 2 | 0 | 鷲羽山 | 4 | 1 |
改名歴
編集- 若岩手 秋夫(わかいわて あきお)1961年7月場所-1964年1月場所
- 松田 秋夫(まつだ -)1964年3月場所-1966年3月場所
- 迫龍 秋夫(はざまりゅう -)1966年5月場所-1968年5月場所
- 迫竜 秋夫(はざまりゅう -)1968年7月場所-1969年11月場所
- 迫龍 秋夫(はざまりゅう -)1970年1月場所-1970年5月場所
- 松田 秋夫(まつだ -)1970年7月場所-1970年11月場所
- 若ノ海 秋夫(わかのうみ -)1971年1月場所
- 松田 秋夫(まつだ -)1971年3月場所
- 若ノ海 正照(わかのうみ まさてる)1971年5月場所
- 若ノ海 秋夫(- あきお)1971年7月場所
- 若ノ海 正照(- まさてる)1971年9月場所-1978年1月場所
年寄変遷
編集- 大嶽 正照(おおだけ まさてる)1978年1月-1978年3月
- 大嶽 秋夫(おおだけ あきお)1978年3月-1992年5月(廃業)