1975年の相撲
1975年の相撲(1975ねんのすもう)は、1975年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
編集できごと
編集- 1月、入場料(平均36%)値上げ、懸賞金2万5000円にアップ。1月場所番付で、大関が貴ノ花1人となったため、西横綱輪島が〈横綱大関〉と番付に書かれる。十両隆ノ里俊英が白星と黒星を一日交代にするいわゆる〈ヌケヌケ〉の星をあげる。場所後、魁傑將晃が大関に昇進。
- 2月、日大の石川孝志が花籠部屋に入門(アマ横綱の入門は初めて)。
- 3月、6日の新弟子検査に74人申し込み、73人合格。1940年夏の89人に次ぐ記録。3月場所千秋楽の当日切符売りに3000人が行列し、NHKテレビ視聴率は爆発的高率。3月下旬発売の相撲雑誌が即日完売となる。二所ノ関(元大関佐賀ノ花)が死去、年寄湊川(元前頭筆頭十勝岩)が部屋を継承。
- 5月、佐渡ヶ嶽部屋落成。故二所ノ関親方に勲四等瑞宝章、協会葬。入場税改正に伴い入場料値下げ。8日目に昭和天皇、皇后観戦(同日の麒麟児富士櫻戦は名勝負として名高い)。元小結龍虎引退。
- 7月、呼出、若者頭、世話人、床山の停年を55歳から60歳に延長。
- 9月、押尾川の乱勃発。これにより天龍源一郎が廃業。
- 10月、押尾川部屋が騒動の末二所ノ関部屋から分家独立。朝日山(元前頭2枚目二瀬川)死去。元小結若二瀬の北陣が朝日山部屋継承。
- 11月、九州場所で魁傑が大関から陥落。元関脇福の花引退、年寄関ノ戸襲名。場所後に三重ノ海五郎が大関に昇進。
- 12月、財団法人日本相撲協会設立50周年記念式典が東京会館ローズの間で開催。
本場所
編集- 一月場所(蔵前国技館・12日~26日)
- 三月場所(大阪府立体育館・9日~23日)
- 五月場所(蔵前国技館・11日~25日)
- 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(13勝2敗,4回目)
- 殊勲賞-金剛、敢闘賞-麒麟児、技能賞-旭國
- 十両優勝 : 双津竜順一(11勝4敗)
- 七月場所(愛知県体育館・6日~20日)
- 九月場所(蔵前国技館・14日~28日)
- 幕内最高優勝 : 貴ノ花健士(12勝3敗,2回目)
- 殊勲賞-麒麟児、敢闘賞-鷲羽山、技能賞-旭國
- 十両優勝 : 青葉山弘年(13勝2敗)
- 十一月場所(九電記念体育館・9日~23日)
- 幕内最高優勝 : 三重ノ海五郎(13勝2敗,初)
- 殊勲賞-三重ノ海、敢闘賞-青葉山、技能賞-三重ノ海
- 十両優勝 : 双津竜順一(12勝3敗)
- 年間最優秀力士賞:三重ノ海五郎(62勝28敗)
- 年間最多勝:北の湖敏満(71勝19敗)
誕生
編集- 1月31日 - 光昭(幕内呼出、所属:鳴戸部屋→田子ノ浦部屋)
- 2月4日 - 2代木村要之助(幕内格行司、所属:東関部屋→八角部屋)[1]
- 2月25日 - 床鳴(一等床山、所属:鳴戸部屋→田子ノ浦部屋)
- 3月4日 - 若光翔大平(最高位:前頭14枚目、所属:松ヶ根部屋)[2]
- 4月8日 - 壽山勝昭(最高位:十両2枚目、所属:押尾川部屋)[3]
- 7月5日 - 追風海英飛人(最高位:関脇、所属:友綱部屋→追手風部屋)[4]
- 8月22日 - 春日錦孝嘉(最高位:前頭5枚目、所属:春日野部屋、+ 2020年【令和2年】)[5]
- 9月1日 - 泉州山喜裕(最高位:十両筆頭、所属:高砂部屋)[6]
- 9月4日 - 国東始(最高位:十両4枚目、所属:玉ノ井部屋)[7]
- 9月7日 - 彩豪一義(最高位:十両5枚目、所属:中村部屋、+ 2019年【平成31年】)[8]
- 10月24日 - 魁道康弘(最高位:十両4枚目、所属:友綱部屋)[9]
- 12月28日 - 玉ノ国光国(最高位:十両7枚目、所属:片男波部屋)[10]
- 12月30日 - 3代木村光之助(十両格行司、所属:花籠部屋→峰崎部屋→高田川部屋)
死去
編集その他
編集出典
編集- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、43頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 252頁
- ^ 壽山 勝昭 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 249頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 256頁
- ^ 泉州山 喜裕 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 功弐東 竜 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 「角界ニュース」『相撲』2019年6月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
- ^ 魁道 康弘 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 玉光国 喜太郎 日本相撲協会公式サイト(2021年8月4日閲覧)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 94頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 85頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 120頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 67頁
参考文献
編集- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p76