北陸鉄道浅野川線
浅野川線(あさのがわせん)は、石川県金沢市の北鉄金沢駅から同県河北郡内灘町の内灘駅間を結ぶ北陸鉄道の鉄道路線。浅野川電気鉄道を前身とすることから今でも浅電(あさでん)の愛称で呼ばれている。
浅野川線 | |||
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概要 | |||
起終点 |
起点:北鉄金沢駅 終点:内灘駅 | ||
駅数 | 12駅 | ||
路線記号 | A | ||
運営 | |||
開業 | 1925年5月10日 | ||
所有者 | 浅野川電気鉄道→北陸鉄道 | ||
使用車両 | 車両を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線総延長 | 6.8 km (4.2 mi) | ||
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | ||
電化 | 直流1,500 V 架空電車線方式 | ||
運行速度 | 最高60km/h[1] | ||
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停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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路線データ
編集歴史
編集種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 石川県河北郡内灘村字向粟崎ト13ノ49[2] |
設立 | 1924年(大正13年)1月23日[2] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、倉庫業、不動産、ケーブルカー、海水浴場、温泉経営、遊船貸船、自動車運輸、食堂業、遊園地業[2] |
代表者 | 社長 藍元義範[2] |
資本金 | 540,000円(払込額)[2] |
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[2]。 |
浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)によって開業した路線である。富山県経済人を中心とする金沢堀川電気鉄道が先願していたが[3]、金沢市の平沢嘉太郎を中心とする石川県政財界人が出願した浅野川電気鉄道に対し1923年5月に鉄道敷設免許状が下付された。1925年5月10日に七ツ屋駅 - 新須崎駅(1961年廃止、現在の蚊爪駅 - 粟ヶ崎駅間に位置)間5.3km、翌年5月18日に金沢駅前駅(現在の北鉄金沢駅) - 七ツ屋駅間0.8km、1929年7月14日に新須崎駅 - 粟ヶ崎海岸駅間2.4kmを開業した[4]。浅電は1925年に粟崎遊園を開設し、粟ヶ崎遊園前駅をその近くに設置して利用者の便を図るなど、阪急電鉄に倣った多角経営を行っていた(遊園地は浅電社長に就任した平沢嘉太郎個人の事業として開園したが、後に浅電が引き継いだ)。
しかし、第二次世界大戦に突入すると、粟ヶ崎遊園地は軍の宿営地となり、粟崎遊園前駅 - 粟ヶ崎海岸駅間の線路も接収された。さらに、戦時統合で北陸鉄道(北鉄)に合併することが決まったが、当時の社長の藍元義範は合併条件を不満として拒否した。結局、社長を刑事事件で逮捕[5]した後の1945年に北鉄に合併され、同社の浅野川線となった。
戦後の1952年、粟ヶ崎遊園前 - 粟ヶ崎海岸駅間の線路は復旧され[4]、北鉄金沢市内線(1967年廃止)との直通運転も行われた。同時期に内灘砂丘に米軍試射場が作られる計画があがり、物資・人員輸送の専用線として粟ヶ崎遊園前駅から内灘砂丘方面に延伸された。しかし、内灘闘争の結果、1957年に返還となり専用線も廃止された。この路線は、後に移設する内灘駅に利用された。その後、1974年に港湾整備などのため内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間が廃止された(ただし、粟ヶ崎遊園前(内灘) - 粟ヶ崎海岸駅間は夏季の海水浴シーズン中のみであり、1972年8月31日が最終運転である)[4]。
2001年に北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅間が地下化された[6]。地下化するに当たり車両をすべて不燃化する必要があったため元京王3000系電車を導入することとなった。それに伴い1996年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し[7][6]、同時にワンマン運転を開始した[8]。地方私鉄路線の地下化は長野電鉄長野線に次いで2例目となった。
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地上時代の北鉄金沢駅(1999年2月)
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地下化された北鉄金沢駅(2022年4月)
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地下区間の入口(2023年7月)
年表
編集- 1923年(大正12年)5月25日 - 鉄道免許状下付(金沢市西堀川町-石川郡潟津村間)[9]。
- 1924年(大正13年)1月23日 - 浅野川電気鉄道株式会社設立(社長 平沢嘉太郎)[10][11]。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)
- 1928年(昭和3年)6月23日 - 鉄道免許状下付(石川郡潟津村-河北郡内灘村間)[17]。
- 1929年(昭和4年)7月14日 - 新須崎 - 粟ヶ崎遊園前(現在の内灘) - 粟ヶ崎海岸間 2.4km 開業[4][13][18]。
- 1933年(昭和8年)12月8日 - 粟崎遊園が競売となり、浅野川電鉄所有となる[19]。
- 1935年(昭和10年)
- 1941年(昭和16年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)4月21日 - 三ツ屋駅を吊橋駅に改称[23]。
- 1952年(昭和27年) - 粟ヶ崎遊園前 - 粟ヶ崎海岸間が再開業[4]。
- 1956年(昭和31年)7月5日 - 金沢駅前広場拡張に伴い北鉄金沢駅移転。
- 1960年(昭和35年)5月14日 - 粟ヶ崎遊園前駅を0.1km海寄りに移転し内灘駅に改称[24]。
- 1961年(昭和36年)6月30日 - 新須崎駅廃止[25]。
- 1972年(昭和47年)
- 1974年(昭和49年)
- 1996年(平成8年)12月19日 - 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧[7][6]。ワンマン運転開始[8]。
- 2001年(平成13年)3月28日 - 北鉄金沢 - 七ツ屋間地下化[6][28]。ATS使用開始。七ツ屋駅を0.1km北鉄金沢方へ移転[24]。
- 2006年(平成18年)12月1日 - 急行列車を全廃し、全列車普通とする[29]。
- 2017年(平成29年)4月1日 - 土日祝ダイヤを廃止し、全日ダイヤに統一。
- 2019年(平成31年)4月1日 - 駅ナンバリングを導入[30]。
- 2020年(令和2年)12月21日 - 03系の運転開始[31][7][32]。
- 2024年(令和6年)1月1日 - 能登半島地震が発生。発生後、翌々日の1月3日まで運転を見合わせた[33][34]。
運行形態
編集すべて北鉄金沢駅 - 内灘駅間の運転である。1時間におおむね2 - 3本運行されており、朝夕は約22分間隔、日中は30分間隔で運行されている。北鉄金沢駅 - 内灘駅間の所要時間は普通列車で17分である[35]。2021年4月1日改正時点の内灘駅の始発は5時33分、北鉄金沢駅の終電は23時である[36]。
2012年4月1日の改正で内灘駅の始発が6時から5時40分に繰り上げられ、北鉄金沢駅の終電も毎日23時に統一された。2015年3月14日の改正で、北陸新幹線金沢駅始発列車に接続させるため、さらに始発が繰り上がった。2017年4月1日からは土日祝日にも2往復増加、これにより平日と共通の「全日ダイヤ」に移行した。
以前はほぼ1駅おきに停車する急行が夜間を除いて(日中の半数が中心)運転されていたが、2006年(平成18年)12月1日のダイヤ変更で廃止され、全列車普通となった[29]。途中停車駅は上諸江駅・割出駅・三ツ屋駅・蚊爪駅で、北鉄金沢駅 - 内灘駅間の所要時間は14分であった[35]。
なお、金沢市では北陸鉄道石川線との直通延伸が計画されていたこともあった。北陸新幹線が開通してからは再度都市交通の必要性が議論され、一部で計画を持ち上げる動きがある[要出典]。
利用状況
編集輸送実績
編集浅野川線の輸送実績を下表に記す[37][38]。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別輸送実績 | |||||||
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年度 | 輸送実績(乗車人員):万人 | 輸送密度 人/日 |
輸送実績 (発送貨物) :トン |
特記事項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | ||||
1946年(昭和21年) | 49.4 | 187.5 | 236.9 | ||||
1950年(昭和25年) | 98.2 | 130.2 | 238.3 | 9,770 | |||
1955年(昭和30年) | 123.0 | 117.3 | 240.3 | 5,518 | |||
1960年(昭和35年) | 172.7 | 128.9 | 301.6 | ||||
1965年(昭和40年) | 209.3 | 122.3 | 331.6 | 20,000 | |||
1966年(昭和41年) | 219.1 | 127.0 | 346.0 | 56,882 | |||
1967年(昭和42年) | 227.7 | 130.7 | 358.4 | 19,883 | |||
1968年(昭和43年) | 230.9 | 127.8 | 358.7 | 3,124 | |||
1969年(昭和44年) | 242.6 | 125.5 | 368.1 | 6,578 | |||
1970年(昭和45年) | 220.5 | 117.4 | 337.9 | 4,922 | |||
1971年(昭和46年) | 213.8 | 118.8 | 332.6 | 3,872 | |||
1972年(昭和47年) | 205.9 | 121.3 | 327.2 | 112 | |||
1973年(昭和48年) | 171.4 | 125.4 | 296.8 | ||||
1974年(昭和49年) | 164.6 | 128.2 | 292.7 | ||||
1975年(昭和50年) | 150.2 | 125.4 | 275.6 | ||||
1976年(昭和51年) | 145.4 | 131.6 | 277.0 | ||||
1977年(昭和52年) | 75.9 | 68.5 | 130.8 | 275.3 | 5,011 | ||
1978年(昭和53年) | 72.7 | 69.4 | 119.4 | 261.7 | 4,771 | ||
1979年(昭和54年) | 63.7 | 60.4 | 119.6 | 243.7 | 4,495 | ||
1980年(昭和55年) | 62.9 | 61.2 | 125.0 | 249.3 | 4,821 | ||
1981年(昭和56年) | 59.5 | 56.3 | 123.1 | 239.0 | 4,565 | ||
1982年(昭和57年) | 57.3 | 47.9 | 124.6 | 229.8 | 4,482 | ||
1983年(昭和58年) | 57.9 | 47.3 | 121.8 | 226.9 | 4,517 | ||
1984年(昭和59年) | 51.6 | 46.9 | 114.0 | 212.5 | 4,304 | ||
1985年(昭和60年) | 49.0 | 53.3 | 116.3 | 218.6 | 4,482 | ||
1986年(昭和61年) | 46.9 | 54.8 | 100.0 | 211.7 | 4,410 | ||
1987年(昭和62年) | 45.6 | 56.0 | 103.0 | 204.6 | 4,304 | ||
1988年(昭和63年) | 44.4 | 54.8 | 103.5 | 202.7 | 4,277 | ||
1989年(平成元年) | 41.9 | 55.0 | 96.8 | 193.7 | 4,115 | ||
1990年(平成2年) | 43.8 | 58.6 | 94.8 | 197.2 | 4,212 | ||
1991年(平成3年) | 41.7 | 61.5 | 95.9 | 199.1 | 4,252 | ||
1992年(平成4年) | 39.7 | 60.7 | 96.5 | 196.9 | 4,193 | ||
1993年(平成5年) | 35.4 | 57.9 | 97.8 | 191.1 | 4,062 | ||
1994年(平成6年) | 34.5 | 58.6 | 92.3 | 185.4 | 3,952 | ||
1995年(平成7年) | 32.4 | 56.7 | 92.4 | 181.5 | 3,834 | ||
1996年(平成8年) | 31.5 | 56.6 | 94.1 | 182.2 | 3,909 | ||
1997年(平成9年) | 31.2 | 59.6 | 93.4 | 184.2 | 3,949 | ||
1998年(平成10年) | 29.7 | 58.1 | 89.6 | 177.4 | 3,773 | ||
1999年(平成11年) | 28.2 | 55.5 | 87.6 | 171.3 | 3,607 | ||
2000年(平成12年) | 27.4 | 53.2 | 83.5 | 164.1 | 3,476 | 北鉄金沢 - 七ツ屋間地下化 | |
2001年(平成13年) | 25.0 | 54.2 | 83.4 | 162.6 | 3,441 | ||
2002年(平成14年) | 29.1 | 51.8 | 80.9 | 158.4 | 3,337 | ||
2003年(平成15年) | 27.9 | 50.3 | 75.5 | 153.7 | 3,288 | ||
2004年(平成16年) | 26.9 | 48.8 | 70.9 | 146.6 | 3,145 | ||
2005年(平成17年) | 26.8 | 49.8 | 72.8 | 149.4 | 3,181 | ||
2006年(平成18年) | 27.9 | 50.2 | 71.9 | 150.0 | 3,213 | ||
2007年(平成19年) | 28.8 | 52.5 | 71.5 | 152.8 | 3,289 | ||
2008年(平成20年) | 29.2 | 56.1 | 67.7 | 153.0 | 3,316 | ||
2009年(平成21年) | 27.9 | 52.6 | 67.0 | 147.5 | 3,177 | ||
2010年(平成22年) | 28.1 | 50.2 | 65.2 | 143.5 | 3,060 | ||
2011年(平成23年) | 27.2 | 50.2 | 65.1 | 142.5 | 2,999 | ||
2012年(平成24年) | 27.4 | 52.8 | 66.3 | 146.5 | 3,100 | ||
2013年(平成25年) | 29.0 | 54.0 | 70.1 | 153.1 | 3,253 | ||
2014年(平成26年) | 29.9 | 53.1 | 69.8 | 152.8 | 3,274 | 2015年3月14日、北陸新幹線金沢開業 | |
2015年(平成27年) | 31.9 | 56.3 | 76.2 | 164.4 | 3,524 | ||
2016年(平成28年) | 33.5 | 56.4 | 76.3 | 166.3 | 3,579 | ||
2017年(平成29年) | 36.0 | 58.7 | 80.6 | 175.3 | 3,760 | ||
2018年(平成30年) | 36.8 | 59.1 | 80.7 | 176.6 | 3,780 | ||
2019年(令和元年) | 38.5 | 58.5 | 79.3 | 176.3 | 3,739 | ||
2020年(令和2年) | 31.4 | 40.7 | 54.5 | 126.6 | 2,645 | ||
2021年(令和3年) | 32.4 | 47.7 | 57.3 | 137.4 | |||
2022年(令和4年) | 34.5 | 48.9 | 67.1 | 150.5 | |||
2023年(令和5年) | 36.8 | 48.6 | 74.2 | 159.6 |
収入実績
編集浅野川線の近年の収入実績を下表に記す[37][38]。旅客運賃収入は1991年(平成3年)以降減少している。運輸雑収については年度による変動が大きい。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別収入実績 | |||||||
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年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||
1977年(昭和52年) | 109,730 | ←←←← | 161,940 | 892 | 272,562 | 4,405 | 276,968 |
1978年(昭和53年) | 125,563 | ←←←← | 176,809 | 635 | 303,008 | 5,468 | 308,476 |
1979年(昭和54年) | 123,846 | ←←←← | 188,149 | 527 | 312,522 | 5,876 | 318,399 |
1980年(昭和55年) | 126,426 | ←←←← | 196,473 | 572 | 323,471 | 6,363 | 329,835 |
1981年(昭和56年) | 120,905 | ←←←← | 194,140 | 547 | 315,592 | 5,756 | 321,349 |
1982年(昭和57年) | 115,861 | ←←←← | 196,104 | 410 | 312,375 | 6,356 | 318,731 |
1983年(昭和58年) | 122,965 | ←←←← | 200,678 | 323 | 323,966 | 5,689 | 329,655 |
1984年(昭和59年) | 119,907 | ←←←← | 196,453 | 277 | 316,637 | 6,595 | 323,232 |
1985年(昭和60年) | 130,691 | ←←←← | 212,658 | 216 | 343,565 | 6,643 | 350,208 |
1986年(昭和61年) | 138,746 | ←←←← | 217,640 | 198 | 356,584 | 6,969 | 363,553 |
1987年(昭和62年) | 66,859 | 73,793 | 210,766 | 198 | 351,616 | 7,730 | 359,346 |
1988年(昭和63年) | 67,869 | 75,006 | 217,944 | 149 | 360,968 | 6,905 | 367,873 |
1989年(平成元年) | 66,216 | 73,982 | 208,290 | 0 | 348,488 | 7,910 | 356,398 |
1990年(平成2年) | 71,482 | 79,797 | 213,700 | 0 | 364,979 | 7,778 | 372,757 |
1991年(平成3年) | 68,222 | 84,732 | 212,040 | 0 | 364,994 | 8,316 | 373,310 |
1992年(平成4年) | 64,271 | 82,955 | 213,757 | 0 | 360,983 | 8,060 | 369,043 |
1993年(平成5年) | 57,337 | 79,125 | 216,469 | 0 | 352,931 | 8,417 | 361,348 |
1994年(平成6年) | 55,823 | 79,565 | 204,448 | 0 | 339,836 | 8,459 | 348,295 |
1995年(平成7年) | 52,282 | 76,599 | 203,371 | 0 | 332,252 | 5,818 | 338,070 |
1996年(平成8年) | 51,644 | 77,689 | 207,738 | 0 | 337,071 | 6,913 | 343,984 |
1997年(平成9年) | 50,766 | 81,355 | 204,561 | 0 | 336,682 | 5,103 | 341,785 |
1998年(平成10年) | 48,970 | 78,852 | 195,589 | 0 | 323,411 | 3,969 | 327,380 |
1999年(平成11年) | 46,585 | 74,620 | 191,208 | 0 | 312,413 | 3,855 | 316,268 |
2000年(平成12年) | 45,306 | 71,560 | 181,841 | 0 | 298,707 | 3,372 | 302,079 |
2001年(平成13年) | 40,756 | 73,945 | 181,074 | 0 | 295,775 | 7,182 | 302,957 |
2002年(平成14年) | 45,250 | 70,708 | 168,477 | 0 | 284,435 | 8,284 | 292,719 |
2003年(平成15年) | 43,395 | 68,131 | 164,569 | 0 | 276,095 | 12,538 | 288,633 |
2004年(平成16年) | 41,343 | 65,585 | 153,927 | 0 | 260,855 | 12,151 | 273,006 |
2005年(平成17年) | 41,086 | 65,077 | 156,731 | 0 | 260,894 | 11,439 | 274,333 |
2006年(平成18年) | |||||||
2007年(平成19年) | |||||||
2008年(平成20年) | |||||||
2009年(平成21年) | 43,787 | 59,619 | 145,825 | 0 | 249,232 | 12,070 | 261,302 |
2010年(平成22年) | |||||||
2011年(平成23年) | |||||||
2012年(平成24年) | 41,526 | 59,791 | 137,891 | 0 | 239,208 | 4,853 | 244,061 |
2013年(平成25年) | 44,262 | 61,257 | 141,284 | 0 | 246,803 | 5,493 | 252,296 |
2014年(平成26年) | 45,540 | 61,752 | 137,565 | 0 | 244,857 | 5,429 | 250,287 |
2015年(平成27年) | 48,859 | 66,472 | 149,164 | 0 | 264,495 | 7,498 | 271,992 |
2016年(平成28年) | 50,521 | 67,073 | 149,321 | 0 | 266,916 | 6,077 | 272,993 |
2017年(平成29年) | 54,361 | 70,097 | 156,836 | 0 | 281,294 | 5,590 | 286,884 |
2018年(平成30年) | 55,643 | 70,357 | 155,797 | 0 | 281,797 | 5,609 | 287,406 |
2019年(令和元年) | 59,422 | 70,368 | 158,718 | 0 | 288,508 | 4,864 | 293,372 |
2020年(令和2年) | 50,980 | 52,573 | 116,505 | 0 | 219,609 | 4,996 | 224,605 |
2021年(令和3年) | 51,837 | 62,507 | 122,438 | 0 | 236,782 | 5,363 | 242,115 |
2022年(令和4年) | 54,892 | 63,128 | 144,337 | 0 | 262,357 | ||
2023年(令和5年) | 58,043 | 61,735 | 166,567 | 0 | 286,345 |
浅野川電気鉄道時代の輸送収支実績
編集年度別実績 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
1925 | 403,409 | 285 | 41,636 | 21,031 | 20,605 | 8,819 | |||
1926 | 791,700 | 527 | 87,129 | 40,915 | 46,214 | 遊船貸船業3 | 14,594 | ||
1927 | 819,966 | 1,260 | 94,291 | 47,380 | 46,911 | 貸船業872 | 12,257 | ||
1928 | 773,868 | 5,647 | 89,440 | 51,916 | 37,524 | 雑損447 | 11,941 | ||
1929 | 823,911 | 8,880 | 97,719 | 49,927 | 47,792 | 遊船業577 | 13,416 | ||
1930 | 822,720 | 25,400 | 98,453 | 53,077 | 45,376 | 遊船業418 | 19,212 | 25,746 | |
1931 | 727,906 | 14,467 | 81,989 | 50,804 | 31,185 | 遊船貸船業379 | 18,956 | ||
1932 | 703,180 | 8,302 | 75,048 | 56,428 | 18,620 | 遊船業255 | 19,306 | ||
1933 | 729,542 | 15,151 | 83,040 | 49,128 | 33,912 | 遊船業7,058 雑損償却金6,455 |
19,699 | 1,378 | |
1934 | 738,589 | 12,116 | 86,169 | 54,624 | 31,545 | 遊園業23,097 雑損償却金7,645 |
19,931 | 20,252 | |
1935 | 822,245 | 7,787 | 90,750 | 54,866 | 35,884 | 遊園業その他22,120 雑損償却金9,484 |
16,708 | 21,750 | |
1936 | 941,801 | 7,028 | 97,770 | 61,007 | 36,763 | 自動車遊園業29,067 雑損償却金6,690 |
17,607 | 12,111 | |
1937 | 940,742 | 9,170 | 106,317 | 57,367 | 48,950 | 積立金繰入155 | 自動車業27,503 雑損4,500 |
13,948 | 4,420 |
1939 | 1,041,523 | 21,912 | |||||||
1941 | 1,519,439 | 16,450 | |||||||
1943 | 1,907,160 | 23,143 | |||||||
1945 | 2,373,916 | 10,741 |
- 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
車両
編集現有車両
編集-
8000系(2022年7月 三ツ屋駅 - 三口駅間)
-
03系(2022年7月 三ツ屋駅 - 三口駅間)
過去の車両
編集- モハ3500形・モハ3550形
- モハ3560形・クハ1200形
- モハ3200形・クハ1000形
- モハ5100形・クハ1300形
- モハ3300形
- モハ3010形
- クハ1210形(クハ1211, 1212)
- 石川総線のサハ2000形2001, 2002がその前身である。サハ2001は1955年(昭和30年)に自社工場で、サハ2002は翌1956年(昭和31年)に東洋工機でそれぞれ新製され、いずれも台枠および台車を能登線の前身である能登鉄道が開業時に新製した木造客車ホハ1, 2→北陸鉄道能登線ホハ1201, 1202→石川線サハ611, 612より流用している。普通屋根構造の2001に対し2002は張り上げ屋根構造とされ、同一形式ながらその外観は大きく異なっていた。当初より乗務員扉が設置され、先頭車化改造を考慮した設計となっており、1966年(昭和41年)に制御車化されてクハ1710形1711, 1712と改称され、前述の通り石川総線で使用されていた。浅野川線には1973年(昭和48年)に転入し、転入に際して制御方式が変更されたためクハ1210形1211, 1212と改称されている。1996年(平成8年)の昇圧まで在籍したが、クハ1212は同年6月末に運用を離脱し8月中旬に解体[42]、もう1両も最終日を待たずに運用から離脱していた。
- クハ1650形(クハ1651, 1652)
- 国鉄よりユニキハ04101, 04102を購入し1961年にサハ1651, 1652として竣功、浅野川線で使用した。1962年に運転台、乗務員扉の設置、前面3枚窓化、連結面への貫通扉新設などの改造を行いクハ1651, 1652となった。1968年廃車[43]。
- モハ850形(モハ852)
- モハ3100形(モハ3101, 3102)
- サハ210形(サハ211)・サハ220形(サハ221)
- 浅野川電気鉄道創業時に製造された木造2軸単車で1925年(大正14年)、電車製造製。
- モハ570形(モハ571 - 573)
- 浅野川電気鉄道創業時に製造された木造2軸単車で1925年(大正14年)、汽車会社製。3両が製造され、うち572, 573の2両は、末期には北鉄金沢駅構内で国鉄線の貨車を、構内から伸びる専用線を経て工場へ牽引する事業用車として使用された。
- クハ1600形(クハ1601)
- 元遠州鉄道クハ51を1962年(昭和37年)に日本車輛経由で購入、北鉄工場で改造した車両。主にモハ3550形と編成を組んで使用され、後に加南線へ転属した。
駅一覧
編集- 全駅石川県内に所在。
営業中の区間
編集- すべて普通列車で各駅に停車。
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線・備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
A01 | 北鉄金沢駅 | - | 0.0 | 西日本旅客鉄道: 北陸新幹線(金沢駅) IRいしかわ鉄道:IRいしかわ鉄道線(金沢駅) |
金沢市 |
A02 | 七ツ屋駅 | 0.6 | 0.6 | ||
A03 | 上諸江駅 | 0.9 | 1.5 | ||
A04 | 磯部駅 | 0.7 | 2.2 | ||
A05 | 割出駅 | 0.6 | 2.8 | ||
A06 | 三口駅 | 0.5 | 3.3 | ||
A07 | 三ツ屋駅 | 0.6 | 3.9 | ||
A08 | 大河端駅 | 0.6 | 4.5 | ||
A09 | 北間駅 | 0.6 | 5.1 | ||
A10 | 蚊爪駅 | 0.4 | 5.5 | ||
A11 | 粟ヶ崎駅 | 0.8 | 6.3 | 河北郡 内灘町 | |
A12 | 内灘駅 | 0.5 | 6.8 |
廃止区間
編集- 営業キロは北鉄金沢駅からのもの。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線・備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
内灘駅 | - | 6.8 | 河北郡 内灘町 | |
粟ヶ崎海岸駅 | 1.3 | 8.1 | 金沢市 |
先述の通り、北鉄金沢駅が地下駅であり、1面2線である[35][44]。ほかは地上駅である。三ツ屋駅は、列車の行き違いが行われるため相対式ホーム2面2線であり[45]、その他の駅は1面1線となっている。また内灘駅に隣接して電車基地(内灘検車区)があり[45]、車両の留置が行われている。北鉄金沢駅・内灘駅(以上終日有人)・割出駅(平日ラッシュ時のみ有人)以外は無人駅である。
開業より1929年まで終端駅であった新須崎駅は大野川左岸にあった。ここで浅野川電気鉄道は河北潟への遊覧船運行や貸舟の営業を始め、また粟崎遊園行きの乗合自動車が運転されていた。1961年に乗客減少により廃止となった[46]。
過去の接続路線
編集- 北鉄金沢駅:北陸鉄道金沢市内線(1967年まで)
脚注
編集- ^ a b 寺田裕一『日本のローカル私鉄 (2000)』[要ページ番号] - ネコ・パブリッシング
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 石川県による信用調査では「(申請者)鉄道敷設地方ニ関係ナク又発起人ハ地方ニ於ケル有力資産家ニアラス(中略)事業ハ成効シ難キモノト認ム」とされていた(「金沢堀川電気鉄道敷設申請書返付ノ件」『 第十門・地方鉄道及軌道・六、敷設請願却下・巻一・大正四年~大正十三年』国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- ^ a b c d e f g 安田・松本 2017, p. 44.
- ^ 西脇恵「私鉄車両めぐり [77] 北陸鉄道(2)」 『鉄道ピクトリアル』216号 電気車研究会 1968-11 による[要ページ番号]。
- ^ a b c d 鉄道ジャーナル 2014, p. 58.
- ^ a b c d “北陸の東京出身車も世代交替…北陸鉄道に元東京メトロ03系が登場 元京王車は一部が引退 12月21日”. レスポンス. イード (2020年12月1日). 2021年3月7日閲覧。
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』第31巻第3号、鉄道ジャーナル社、1997年3月、103頁。
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年5月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年5月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 北陸鉄道 1993, p. 44.
- ^ 北國新聞 2003, p. 268.
- ^ a b 『内灘町史』1145頁
- ^ 「地方鉄道運輸開始並営業哩程変更」『官報』1926年5月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年6月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年7月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 『北鉄の歩み』318頁
- ^ 『北鉄の歩み』322頁
- ^ 『内灘町史』1147頁
- ^ 北陸鉄道 1993, p. 265.
- ^ 今尾 2008, p. 29.
- ^ a b c 朝日 2011, p. 19.
- ^ 北陸鉄道 1993, p. 271.
- ^ 北陸鉄道 1993, p. 276.
- ^ a b 北陸鉄道 1993, p. 278.
- ^ 「北陸初の地下駅完成祝う 北鉄浅野川線 金沢駅、記念列車が出発」『北國新聞』夕刊2001年3月27日、9面。
- ^ a b 鉄道ジャーナル 2014, p. 59.
- ^ “北陸鉄道グループ ダイヤ改正を実施します(4/1)”. 北陸鉄道 (2019年3月12日). 2020年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月7日閲覧。
- ^ a b 『浅野川線新型車両03系の営業運転開始に関するイベントについて』(PDF)(プレスリリース)北陸鉄道、2020年11月30日。オリジナルの2020年11月30日時点におけるアーカイブ 。2020年11月30日閲覧。
- ^ a b “北陸鉄道に新型車両、東京メトロの車両を改造”. 日本経済新聞. (2020年12月7日) 2021年3月7日閲覧。
- ^ “避難所・通行止めの道路・鉄道運転見合わせ情報…震災掲示板”. 読売新聞オンライン (2024年1月2日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “鉄道や空の便に乱れ 北陸道通行止め解除”. NHK (2023年1月3日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ a b c 川島 2010, p. 84.
- ^ “浅野川線列車時刻表”. 北陸鉄道. 2024年1月29日閲覧。
- ^ a b “管内鉄軌道事業者輸送実績”. 国土交通省北陸信越運輸局. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b “鉄道統計年報”. 国土交通省. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “浅野川線、21日に新車両 北鉄”. 北國新聞 (北國新聞社). (2020年12月1日). オリジナルの2020年12月1日時点におけるアーカイブ。 2021年3月7日閲覧。
- ^ “北鉄車両 ちょっぴり若返り 東京メトロの譲渡で“50歳超→30歳””. 中日新聞 (中日新聞社). (2019年7月13日). オリジナルの2019年7月24日時点におけるアーカイブ。 2021年3月7日閲覧。
- ^ “「浅電」新型車両を公開 北鉄、21日から導入”. 北國新聞 (北國新聞社). (2020年12月8日). オリジナルの2020年12月8日時点におけるアーカイブ。 2021年3月7日閲覧。
- ^ 交友社『鉄道ファン』1996年12月号 通巻428号 p.104 - 105
- ^ 千代村資夫「キサハ04の異端車ユニキサハ04」『RAIL FAN』No.519
- ^ 川島 2010, p. 12.
- ^ a b 川島 2010, p. 22.
- ^ 『内灘町史』445頁
参考文献
編集- 『内灘町史』1982年、444-449、1145-1147、1180-1182頁
- 『北鉄の歩み』北陸鉄道、1974年
- 『北陸鉄道50年史』北陸鉄道、1993年12月。
- 『北國新聞に見るふるさと110年(上)』北國新聞社、2003年8月5日。
- 川島令三『【図説】日本の鉄道 中部ライン 全線・全駅・全配線 第6巻 加賀温泉駅-富山エリア』講談社、2010年9月20日。ISBN 978-4-06-270066-5。
- 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄28 えちぜん鉄道 福井鉄道・北陸鉄道・のと鉄道』朝日新聞出版、2011年10月2日。
- 土屋武之・村上悠太「新幹線を迎える石川県に根付く 北陸鉄道の今昔物語」『鉄道ジャーナル』568号、鉄道ジャーナル社、2014年2月、58 - 65頁。
- 安田就規・松本典久『昭和の終着駅 北陸・信越篇』交通新聞社、2017年6月7日。ISBN 978-4-330-78617-9。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』6号北信越、新潮社、2008年、31頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 浅野川線 - 北陸鉄道