河北郡
石川県(加賀国)の郡
河北郡(かほくぐん)は、石川県(加賀国)の郡。ここでは前身にあたる加賀郡(かがぐん)についても記述する。
人口62,685人、面積130.92km²、人口密度479人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
編集歴史
編集古代から近世まで
編集当初は加賀郡(かがぐん)を称した。史書において「加賀郡」の名称が確認できるのは、731年(天平3年)の「天平二年越前国正税帳」が最古である。律令制により郡制が行われる以前では、「国造本紀」に「加我国造(かがのくにのみやつこ)」が越前国に属したとの記述があり、また平城京跡からは「越前国香々郡」と記された木簡も発見されている。「かが」の名称は柳田國男が「地名の研究」で芝原という地形からきているとしているが、異論もある。
823年(弘仁14年)3月1日、江沼郡と共に分国され加賀国となった。当時は手取川以北かつ大海川以南の地域であったが、同年6月4日に、加賀郡の浅野川以南を石川郡として分置した[1]。室町時代頃から河北郡の名前が使われはじめた。
1671年(寛文11年)5月4日、河北郡は加賀郡と改称されたが[2]、1700年(元禄13年)8月21日、河北郡に戻された[3]。
近代以降の沿革
編集- 明治初年時点で、全域が加賀藩領であった。「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[4]。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。下記のほか金沢城下の一部が本郡に所属。(266村)[5]
明治初年の266村
- 浅野村、《浅野中島村、乙丸村》、大衆免村、《神宮寺村》、磯部村、《沖村》、松寺村、《寺町村》、東蚊爪村、大浦村、《千田村》、千木村、《今村》、福久村、田中村、高柳村、三池村、卯辰村、下荒屋村、袋村、打尾谷村、《谷口村、木目谷村》、上田上村、下田上村、炭釜村、七黒村、倉見村、富田村、彦太郎畠村、朝日畑村、田屋村、大坪村、南横根村、上野村、岩崎村、鳥越村、常徳村、《琴村》、莇谷村、北村(現・津幡町)、原村、鳥屋尾村、笠池原村、上藤又村、大窪村、材木村、《琴坂村》、相窪村、中村(現・金沢市)、滝下松根村、《北千石村》、坂戸村、越中坂村、刈安村、九折村、別所村、竹橋村、倶利迦羅村、《森村(現・津幡町)》、荒屋村(現・津幡町)、小坂村、神谷内村、柳橋村、《法光寺村》、吉原村、塚崎村、《月浦村》、福畠村、《四王寺村、小野村》、切山村、不動寺村、《河原市村》、薬師村、涌波村、《下涌波村》、深谷村、金市新保村、《横枕村》、荒屋村(現・金沢市)、牧村(現・金沢市牧町)、《小二又村》、堅田村、《岩出村》、百坂村、宮保村、疋田村、鳴瀬村、《梨木村》、宮野村、《高坂村、正部谷村》、清水谷村、弥勒縄手村、釣部村、古屋谷村、山上村、長屋村、《夕日寺村》、御所村、談議所村、伝燈寺村、月影村、《四坊村》、梅田村、今町村、北森下村、観法寺村、地代村、《四坊高坂村》、小池村、《鞁筒村》、千杉村、牧村(現・金沢市朝日牧町)、今泉村、《土子原村》、俵原村、《榎尾村》、南千谷村[6]、《中尾村、上平村》、忠縄村、八田村、南森下村、大場村、才田村、朝日村、《向山村》、木越村、二日市村、《八幡村、岸川村》、俵等村、《小豆沢村》、田島村、南原村、《戸室清水村》、曲子原村、《堀切村》、北袋村、東市瀬村、不室村、《柚木村》、車村、《牧山村》、新保村、横谷村、古郷寺村、《町村》、野村、《納年村、直江野村》、若松村、《鈴見村》、銚子口村、清水村、北方村、《小嶺村》、栃尾村、《折谷村》、平下村、《上山村》、湯谷原村、小菱池村、《大菱池村》、板ヶ谷村、《石黒又村》、小原村、《魚帰村》、中山村(現・津幡町)、《角間村》、戸室別所村、竹又村、荒山村、朝加屋村、《藤六村》、平等村、松根村、二俣村、大熊村、市谷村、吉倉村、八ノ谷村、池ヶ原村、小熊村、興津村、菩提寺村、種村、中山村(現・かほく市)、多田村、気屋村、上山田村、《下山田村》、上矢田村、《下矢田村》、御門村、鉢伏村、鉢伏新村、森村(現・かほく市)、宇気村、《宇野気新村》、横山村、谷村、上田名村、笠島村、《笠島新村》、余地村、若緑村、内高松村、利屋町村、南中条村、津幡村、《加賀爪村、庄村》、浅谷村、《浅野深谷村》、谷内村、井野河内村、五反田村、加茂村、杉瀬村、舟橋村、狩鹿野村、中橋村、浅田村、中須加村、川尻村、太田村、潟端新村、領家村、能瀬村、北中条村、《横浜村》、指江村、高松村、《高松新村》、七野村、内日角村、河内村[7]、明神谷内村[7]、仮生村[7]、下藤又村[7]、北横根村[7]、中村(現・津幡町)[7]、宮田村[7]、蓮花寺村[7]、籠月村[7]、大畠村[7]、両原村[8][7]、向粟崎村[9]、大根布村[9]、宮坂村[9]、黒津船地内[9]、荒屋村(現・内灘町)[9]、室村[9]、大崎村[9]、外日角村[9]、白尾村[9]、木津村[9]、松浜村[9]、遠塚村[9]、北村(現・かほく市)[9]、秋浜村[9]
- 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により金沢県の管轄となる。
- 明治5年2月2日(1872年3月10日) - 金沢県が改称して石川県となる。
- 明治5年(1872年) - 鉢伏新村・笠島新村が合併して七窪村となる。(265村)
- 明治初年から10年代にかけて、下記の同名村の改称が行われる[10]。
- 2ヶ所ずつ存在した北村、中村、荒屋村が、それぞれ浜北村(現・かほく市)、山北村(現・津幡町)、上中村(現・金沢市)、下中村(現・津幡町)、東荒屋村(現・津幡町)、西荒屋村(現・内灘町)に改称。
- 森村(現・津幡町)が山森村に、中山村(現・津幡町)が戸室中山村にそれぞれ改称。
- 明治11年(1878年)12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての河北郡が発足。郡役所を南森下村に設置。金沢城下各町[注釈 1]は金沢区となり、郡より離脱。
町村制以降の沿革
編集町村制施行時の1町33村
- 津幡町 ← 津幡村、清水村、加賀爪村、庄村(現・津幡町)
- 中条村 ← 太田村、南中条村、北中条村、浅田村、潟端新村(現・津幡町)
- 小金村 ← 小二又村、伝燈寺村、夕日寺村、神宮寺村、談議所村、牧村、長屋村、御所村、小坂村、三池村、山上村、卯辰村
- 坂井村 ← 神谷内村、柳橋村、横枕村、法光寺村、百坂村、金市新保村、新保荒屋村、福久村
- 中口村 ← 大衆免村、浅野村、浅野中島村、乙丸村、高柳村、田中村
- 金川村 ← 宮保村、疋田村、今村、千木村、千田村
- 井上村 ← 横浜村、中須加村、五反田村、中橋村、川尻村(現・津幡町)
- 内灘村 ← 向粟崎村、大根布村、宮坂村、黒津船地内、西荒屋村、室村(現・内灘町)
- 大場村(単独村制)
- 八田村(単独村制)
- 川筋村 ← 沖村、磯部村、松寺村、寺町村
- 河崎村 ← 大浦村、東蚊爪村
- 木越村(単独村制)
- 花園村 ← 今町村、月影村、八幡村、二日市村、岸川村、利屋町村
- 田近村 ← 滝下松根村、中尾村、上平村、琴村、琴坂村、北千石村、南千石村、今泉村、朝日牧村、朝日村、向山村、俵原村、榎尾村、千杉村、地代村、鞁筒村、四坊高坂村、四坊村、浅野深谷村、浅谷村
- 崎田村 ← 才田村、忠縄村
- 倶利伽羅村 ← 竹橋村、原村、富田村、刈安村、越中坂村、坂戸村、上野村、河内村、九折村、倶利迦羅村、山森村(現・津幡町)
- 萩坂村 ← 明神谷内村、井野河内村、東荒屋村、大坪村、七野村、別所村、仮生村、材木村、下藤又村、朝日畑村、相窪村、常徳村、北横根村、下中村、上藤又村、大窪村、南横根村(現・津幡町)
- 笠井村 ← 杉瀬村、倉見村、七黒村、岩崎村、田屋村、鳥越村、宮田村(現・津幡町)
- 笠野村 ← 吉倉村、山北村、蓮花寺村、鳥屋尾村、籠月村、大畠村、莇谷村、笠池原村、彦太郎畠村、市谷村、八ノ谷村(現・津幡町)
- 金浦村 ← 折谷村、小原村、魚帰村、大菱池村、小菱池村、湯谷原村、小豆沢村、戸室別所村、新保村、俵等村、戸室中山村、上田上村、下田上村、角間村、若松村、鈴見村
- 湯ノ谷村 ← 横谷村、板ヶ谷村、石黒又村、古郷寺村、栃尾村、町村、平下村、上山村、北袋村、東市瀬村、藤六村、朝加屋村、下荒屋村、袋村、野村、上中村、銚子口村、谷口村、打尾谷村、木目谷村、炭釜村、平等村
- 医王山村 ← 二俣村、荒山村、田島村、戸室清水村、南原村
- 東英村 ← 舟橋村、加茂村、谷内村、能瀬村、領家村(現・津幡町)
- 種谷村 ← 御門村、下矢田村、上矢田村、中山村、種村、小熊村、大熊村、池ヶ原村、興津村、菩提寺村(現・津幡町)
- 西英村 ← 指江村、狩鹿野村、上山田村、下山田村、気屋村、多田村(現・かほく市)
- 金津村 ← 森村、鉢伏村、宇気村、七窪村、宇野気新村、内日角村、大崎村(現・かほく市)
- 高松村 ← 高松村、内高松村、高松新村(現・かほく市)
- 金津谷村 ← 横山村、谷村、笠島村、上田名村、余地村、若緑村(現・かほく市)
- 七塚村 ← 外日角村、白尾村、木津村、松浜村、遠塚村、浜北村、秋浜村(現・かほく市)
- 直江谷村 ← 市瀬村、小嶺村、柚木村、不室村、牧山村、北方村、納年村、直江野村、車村、釣部村
- 小原谷村 ← 宮野村、高坂村、古屋谷村、清水谷村、東原脇原村、竹又村、松根村、土子原村、曲子原村、正部谷村、堀切村、小池村、切山村
- 薬師谷村 ← 月浦村、下涌波村、涌波村、梨木村、河原市村、薬師村、岩出村、鳴瀬村、不動寺村、堅田村、深谷村、福畠村、四王寺村、小野村
- 森本村 ← 吉原村、塚崎村、弥勒縄手村、南森下村、北森下村、観法寺村、梅田村
- 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。郡役所が津幡町に移転。
- 明治40年(1907年)8月10日 - 下記の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(1町17村)
- 大正11年(1922年)8月1日 - 高松村が町制施行して高松町となる。(2町16村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は332.51平方km、人口は66,683人(男31,917人・女34,766人)[11]。
- 昭和11年(1936年)4月1日 - 小坂村が金沢市に編入。(2町15村)
- 昭和15年(1940年)2月11日 - 七塚村が町制施行して七塚町となる。(3町14村)
- 昭和23年(1948年)2月11日 - 宇ノ気村が町制施行して宇ノ気町となる。(4町13村)
- 昭和24年(1949年)6月1日 - 川北村が金沢市に編入。(4町12村)
- 昭和25年(1950年)4月1日 - 高松町の一部(横山・谷・笠島・上田名・余地)が分立して金津村が発足。(4町13村)
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 英田村の一部(大熊)が笠谷村に編入。
- 昭和29年(1954年)
- 昭和32年(1957年)
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 金津村が宇ノ気町に編入。(5町1村)
- 昭和37年(1962年)
- 平成16年(2004年)3月1日 - 高松町・七塚町・宇ノ気町が合併してかほく市が発足し、郡より離脱。(2町)
変遷表
編集自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正元年 - 昭和20年 | 昭和20年 - 昭和30年 | 昭和31年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
津幡町 | 津幡町 | 津幡町 | 昭和29年3月31日 津幡町 |
津幡町 | 津幡町 | 津幡町 | |
東英村 | 明治40年8月10日 英田村 |
英田村 | |||||
種谷村 | |||||||
笠井村 | 明治40年8月10日 笠谷村 |
笠谷村 | |||||
笠野村 | |||||||
中条村 | 中条村 | 中条村 | |||||
井上村 | 井上村 | 井上村 | |||||
羽咋郡 河合谷村 |
羽咋郡 河合谷村 |
羽咋郡 河合谷村 |
昭和29年5月16日 津幡町に編入 | ||||
倶利伽羅村 | 明治40年8月10日 倶利伽羅村 |
倶利伽羅村 | 倶利伽羅村 | 昭和32年2月1日 津幡町に編入 | |||
萩坂村 | |||||||
内灘村 | 内灘村 | 内灘村 | 内灘村 | 昭和37年1月1日 町制 |
内灘町 | 内灘町 | |
羽咋郡 南大海村 |
羽咋郡 南大海村 |
羽咋郡 南大海村 |
昭和29年7月15日 高松町 |
高松町 | 平成16年3月1日 かほく市 |
かほく市 | |
高松村 | 明治40年8月10日 高松村 |
大正11年8月1日 町制 | |||||
金津谷村 | 昭和25年4月1日 分立 金津村 |
昭和35年4月1日 宇ノ気町に編入 | |||||
西英村 | 明治40年8月10日 宇ノ気村 |
宇ノ気村 | 昭和23年2月11日 町制 |
宇ノ気町 | |||
金津村 | |||||||
七塚村 | 七塚村 | 昭和15年2月11日 町制 |
七塚町 | 七塚町 | |||
小金村 | 明治40年8月10日 小坂村 |
昭和11年4月1日 金沢市に編入 |
金沢市 | 金沢市 | 金沢市 | 金沢市 | |
坂井村 | |||||||
中口村 | |||||||
金川村 | |||||||
川筋村 | 明治40年8月10日 川北村 |
川北村 | 昭和24年6月1日 金沢市に編入 | ||||
河崎村 | |||||||
木越村 | |||||||
金浦村 | 明治40年8月10日 浅川村 |
浅川村 | 浅川村 | 昭和32年4月5日 金沢市に編入 | |||
湯ノ谷村 | |||||||
医王山村 | |||||||
森本村 | 森本村 | 森本村 | 昭和29年6月1日 森本町 |
昭和37年6月1日 金沢市に編入 | |||
花園村 | 明治40年8月10日 花園村 |
花園村 | |||||
崎田村 | |||||||
田近村 | |||||||
直江谷村 | 明治40年8月10日 三谷村 |
三谷村 | |||||
小原谷村 | |||||||
薬師谷村 | |||||||
大場村 | 大場村 | 大場村 | |||||
八田村 | 八田村 | 八田村 |
行政
編集代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 織田幸民 | 1878年(明治11年)12月17日[12] | 1880年(明治13年)1月20日[12] | 石川県七等属 | 依願免本官 |
2 | 小川清太 | 1880年(明治13年)1月29日[12] | 1890年(明治23年)7月23日[12] | 石川県五等警部 | 羽咋郡長 |
3 | 三好亙 | 1890年(明治23年)7月23日[12] | 1892年(明治25年)8月24日[12] | 石川県属 | 石川郡長 |
4 | 高橋寛 | 1892年(明治25年)8月24日[12] | 1897年(明治30年)4月30日[12] | 石川県属 | 石川郡長 |
5 | 岩田寛忠 | 1897年(明治30年)4月30日[12] | 1897年(明治30年)11月18日[12] | 珠洲郡長 | 非職 |
6 | 柴田是 | 1897年(明治30年)11月18日[12] | 1900年(明治33年)10月2日[12] | 島根県警部 | 珠洲郡長 |
7 | 村尾震三郎 | 1900年(明治33年)10月2日[12] | 1901年(明治34年)4月24日[12] | 珠洲郡長 | 休職 |
8 | 遠矢良治 | 1901年(明治34年)4月24日[12] | 1903年(明治36年)3月31日[12] | 石川県属 | 休職 |
9 | 山根松太 | 1903年(明治36年)3月31日[12] | 1913年(大正2年)4月19日[12] | 鳳至郡長 | 依願免本官 |
10 | 河崎宇吉郎 | 1913年(大正2年)4月19日[13] | 1914年(大正3年)3月25日[14] | 珠洲郡長 | 石川県理事官 |
11 | 原佐一 | 1914年(大正3年)3月25日[14] | 1914年(大正3年)8月21日[15] | 石川県理事官 | 石川県理事官 |
12 | 関堂可一 | 1914年(大正3年)8月21日[15] | 1915年(大正4年)7月1日[16] | 石川郡長 | 能美郡長 |
13 | 金井佐久 | 1915年(大正4年)7月1日[16] | 1916年(大正5年)6月12日[17] | 福島県警部 | 石川県理事官 |
14 | 高松丈五郎 | 1916年(大正5年)6月12日[17] | 1917年(大正6年)6月26日[18] | 石川県警部 | 珠洲郡長 |
15 | 小西善次郎 | 1917年(大正6年)6月26日[18] | 1920年(大正9年)3月15日[19] | 高知県警視兼高知県属 | 沖縄県理事官 |
16 | 三清春次郎 | 1920年(大正9年)3月25日[20] | 1922年(大正11年)9月27日[21] | 石川県属 | 依願免本官 |
17 | 城森省三 | 1922年(大正11年)9月27日[21] | 1924年(大正13年)9月2日[22] | 石川郡書記 | 石川郡長 |
18 | 阿部邦一 | 1924年(大正13年)9月2日[22] | 1926年(大正15年)5月12日[23] | 東京府属 | 大阪府地方事務官 |
19 | 畠山治作 | 1926年(大正15年)6月30日[24] | 1926年(大正15年)7月1日[25] | 石川県属兼石川県視学 | 石川県地方事務官 |
脚注
編集注釈
編集- ^ 上小川町・下小川町・森下町・大衆免中通・大衆免横町・大衆免竪町・大衆免七曲り・大衆免亀淵町・大衆免片原町・大衆免井波町・上牧町・中牧町・下牧町・平折町・立川町・御仲間町・金屋町・裏金屋町・観音町一丁目・観音町二丁目・観音町三丁目・御歩町一番丁・御歩町二番丁・御歩町三番丁・御歩町四番丁・御歩町五番丁・豊国町・八幡町・木綿町・子来町・末広町・東御影町・常盤町・木町一番丁・木町二番丁・木町三番丁・木町四番丁・卯辰下町・卯辰高町・鶯町・愛宕一番丁・愛宕二番丁・愛宕三番丁・愛宕四番丁・東馬場町・水車町・馬場一番丁・馬場二番丁・馬場三番丁・馬場四番丁・馬場五番丁・馬場六番丁・小橋町・浅野町・下浅野町・浅野新町・上中島町・下中島町・梅沢町・高道町・高道新町・森山町一番丁・森山町二番丁・森山町三番丁・森山町四番丁・森山町五番丁・山ノ上町一丁目・山ノ上町二丁目・山ノ上町三丁目・山ノ上町四丁目・上田町・同心町・談議所町・春日町一丁目・春日町二丁目・春日町三丁目・春日町四丁目・春日町五丁目・上大樋町・下大樋町・山下町
出典
編集- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)524頁。
- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)531頁。
- ^ 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)532頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳」は加賀国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ 下記のほか、加賀藩領として《森村/宇気村/内日角村》請新田、《車村/野村/古屋谷村/宮野村》請新田、《清水村/若松村/田島村》請新田、《神谷内村/三池村/宮保村/高柳村》請新田が記載されている。
- ^ 中尾村・上平村との総称としての表記。単独では南千石村。
- ^ a b c d e f g h i j k 「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
- ^ 東原脇原村・市瀬村の総称。本項では2村として数える。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 無高のため「旧高旧領取調帳」に記載なし。
- ^ 改称時期は史料により異なる。
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 石川県史 第四編 173頁
- ^ 『官報』第215号「叙任及辞令」1913年4月21日。
- ^ a b 『官報』第495号「叙任及辞令」1914年3月26日。
- ^ a b 『官報』第619号「叙任及辞令」1914年8月22日。
- ^ a b 『官報』第875号「叙任及辞令」1915年7月2日。
- ^ a b 『官報』第1159号「叙任及辞令」1916年6月13日。
- ^ a b 『官報』第1471号「叙任及辞令」1917年6月27日。
- ^ 『官報』第2283号「叙任及辞令」1920年3月16日。
- ^ 『官報』第2292号「叙任及辞令」1920年3月26日。
- ^ a b 『官報』第3049号「叙任及辞令」1922年9月28日。
- ^ a b 『官報』第3610号「叙任及辞令」1924年9月3日。
- ^ 『官報』第4114号「叙任及辞令」1926年5月13日。
- ^ 『官報』第4156号「叙任及辞令」1926年7月1日。
- ^ 『官報』第4157号「叙任及辞令」1926年7月2日。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 17 石川県、角川書店、1981年7月1日。ISBN 4040011708。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 石川県『石川県史 第四編』石川県、1931年。