勝田市
日本の茨城県にあった市
勝田市(かつたし)は、かつて茨城県県央地域に存在した市。1994年11月1日に那珂湊市と合併し、ひたちなか市となった。
かつたし 勝田市 | |||||
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廃止日 | 1994年11月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 勝田市、那珂湊市 → ひたちなか市 | ||||
現在の自治体 | ひたちなか市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 茨城県 | ||||
市町村コード | 08213-9 | ||||
面積 | 73.34km2. | ||||
総人口 |
114,685人 (1994年) | ||||
隣接自治体 | 水戸市、那珂湊市、那珂町、東海村 | ||||
勝田市役所 | |||||
所在地 | 茨城県勝田市東石川2丁目10-1 | ||||
座標 | 北緯36度23分48秒 東経140度32分05秒 / 北緯36.39661度 東経140.53467度座標: 北緯36度23分48秒 東経140度32分05秒 / 北緯36.39661度 東経140.53467度 | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
編集隣接していた自治体
編集歴史
編集平安時代後期には吉田郡の一部に属し、吉田神社(水戸市)の社領であったことから常陸大掾系吉田氏の勢力が及んでいたほか、鹿島神宮領もあった。また、この頃には新羅三郎義光が常陸へ進出したため源氏の勢力が及び、義光の子義清は那珂郡武田郷へ、義業が久慈郡佐竹郷(常陸太田市)へそれぞれ土着した。このような諸勢力の乱立状態のなか義清・清光親子は一族と対立し甲斐国(山梨県)へ配流され、甲斐では巨摩郡市河荘を基盤に勢力を拡大し甲斐源氏の祖となった。
沿革
編集- 1897年(明治30年) 2月25日 - 日本鉄道磐城線(現・常磐線)の水戸 - 平(現・いわき)間が開業。
- 1940年(昭和15年)4月29日 - 勝田村・中野村・川田村が合併し、勝田町が発足[1]。
- 1954年(昭和29年)
- 1989年(平成元年)3月1日 - 那珂郡那珂町と境界変更。
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)10月5日 - 国営ひたち海浜公園が一部 (70ha) 開園。
- 1991年(平成3年)11月23日 - 新住居表示区域として、笹野町1丁目〜3丁目(旧大字中根の一部)、はしかべ1丁目(旧大字東石川の一部)を設定[2]。
- 1992年(平成4年)11月 - 新住居表示区域として、堂端1丁目〜2丁目(旧大字東石川の一部)、西大島1丁目〜3丁目(旧大字東石川の一部)、太平1丁目(旧大字勝倉)を設定[3]。
- 1993年(平成5年)9月25日 - 土地区画整理事業に伴う新住居表示区域として、外野1丁目〜2丁目(旧東大島、大字東石川の各一部)を設定[4]。
- 1994年(平成6年)11月1日 - 那珂湊市と合併しひたちなか市となる。
行政区域変遷
編集※細かい境界の変遷は省略
- 変遷の年表
勝田市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧勝田市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村がそれぞれ成立[5]。 |
1940年(昭和15年) | 4月29日 | 勝田村・中野村・川田村が合併し、勝田町が発足。 |
1954年(昭和29年) | 3月30日 | 前渡村の一部(馬渡・長砂・足崎)は勝田町に編入。 |
11月1日 | 佐野村は勝田町に編入し
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1994年(平成6年) | 11月1日 | 勝田市は那珂湊市と合併しひたちなか市が発足。勝田市は消滅。 |
- 変遷表
勝田市市域の変遷(※細かい境界の変遷は省略) | |||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |
勝倉村 | 勝田村 | 昭和15年4月29日 勝田町 |
昭和29年11月1日 市制 |
平成6年11月1日 ひたちなか市 |
ひたちなか市 | ||
武田村 | |||||||
三反田村 | 明治19年 三反田村 | ||||||
六ヶ新田 の一部 | |||||||
明治19年 金上村 | |||||||
金上村 | |||||||
東石川村 | 中野村 | ||||||
柳沢村 | |||||||
部田野村 | 明治19年 部田野村 | ||||||
六ヶ新田 の一部 | |||||||
明治19年 中根村 | |||||||
中根村 | |||||||
堀口村 | 川田村 | ||||||
枝川村 | |||||||
津田村 | |||||||
市毛村 | |||||||
田彦村 | 佐野村 | 佐野村 | 昭和29年11月1日 勝田町に編入 | ||||
稲田村 | |||||||
佐和村 | |||||||
高場村 | |||||||
高野村 | |||||||
足崎村 | 前渡村 | 前渡村 | 昭和29年3月30日 勝田町に編入 | ||||
長砂村 | |||||||
馬渡村 | 馬渡村 | ||||||
六ヶ新田 の一部 | |||||||
前浜村 | 昭和29年3月30日 那珂湊町に編入 昭和29年3月31日 市制 |
行政
編集歴代市長
編集特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[6]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 安義男 | 1954年(昭和29年)11月1日 | 1966年(昭和41年)12月22日 | 旧勝田町長 |
2 | 川又敏雄 | 1966年(昭和41年)12月23日 | 1982年(昭和57年)12月22日 | |
3 | 清水曻 | 1982年(昭和57年)12月23日 | 1994年(平成6年)11月1日 | 廃止 |
教育
編集高等専門学校
編集高等学校
編集図書館
編集交通
編集道路
編集鉄道
編集商業
編集- 市内の商業施設
- 長崎屋勝田店(石川町1-1)
脚注
編集- ^ 町名は県に一任し、「勝田駅中心に、一大工都化を図るにおよんだ。つまり現状ならびに今回建設中の工場は、主として軍需工場である点考慮し『勝田町』とするを最も適切であろうと認め、これを選定した」と説明している。つまり、すでに新町の中央に常磐線勝田駅が存在するという事実、戦時中に大軍需工場が進出することからの「勝った」という縁起かつぎの語呂合わせ、という二重の意味を持つ命名であった“勝田市史編さん委員会 編, 1979年, 『勝田市史 近代・現代編Ⅰ』p15”. 2019年4月27日閲覧。
- ^ “字の区域及び名称の変更(平成3年11月7日 茨城県告示第1210号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第292号: pp. p.2-3, (1991年11月7日)
- ^ “町の区域の設定(平成4年10月29日 茨城県告示第1275〜1279号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第392号: pp. p.1-6, (1992年10月29日)
- ^ “町の区域の設定(平成5年9月13日 茨城県告示第1070〜1072号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第481号: pp. p.3-7, (1993年9月13日)
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809より
- ^ 歴代知事編纂会 1983, 549-551頁.
参考文献
編集- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。