2009年の暮れから11年6月までの1年半、ほぼ単身で父親の介護をした日々を『俺に似たひと』として上梓した平川克美氏(文筆家、「隣町珈琲」店主)。前回、前々回の杉田かおるさんとの対談では、母を介護する女性×男性、の視点で語り合っていただいたが、今回は、男性が、父親、母親をそれぞれ介護した経験を話し合う。(構成:連載担当編集Y)

松浦晋也(以下松浦):お邪魔します。今日はよろしくお願いします。

平川克美氏(以下平川):いらっしゃい、コーヒーを飲んでからにしましょうか。

ありがとうございます。写真映えのするお店ですね。すごく撮りやすいです。ここは平川さんのお店なんですね。

<b>平川 克美(ひらかわ・かつみ)</b><br />文筆家・実業家 1950年東京生まれ。隣町珈琲店主。声と語りのダウンロードサイト「ラジオデイズ」代表。立教大学客員教授。早稲田大学講師。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、内田樹氏らと翻訳を主業務とするアーバン・トラストレーションを設立。1999年、シリコンバレーのBusiness Cafe.Inc.の設立に参加し、CEOを務める。近著に『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fgp%2Fproduct%2F4582837174%2F&tag=nikkeibusines-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211" target="_blank">何かのためではない、特別なこと</a>』『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fgp%2Fproduct%2F4492062017%2F&tag=nikkeibusines-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211" target="_blank">喪失の戦後史</a>』『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fgp%2Fproduct%2F4479392904%2F&tag=nikkeibusines-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211" target="_blank">言葉が鍛えられる場所</a>』『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fgp%2Fproduct%2F4022929669%2F&tag=nikkeibusines-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211" target="_blank">路地裏人生論</a>』など。
平川 克美(ひらかわ・かつみ)
文筆家・実業家 1950年東京生まれ。隣町珈琲店主。声と語りのダウンロードサイト「ラジオデイズ」代表。立教大学客員教授。早稲田大学講師。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、内田樹氏らと翻訳を主業務とするアーバン・トラストレーションを設立。1999年、シリコンバレーのBusiness Cafe.Inc.の設立に参加し、CEOを務める。近著に『何かのためではない、特別なこと』『喪失の戦後史』『言葉が鍛えられる場所』『路地裏人生論』など。

平川:いや、そうなのよ。取材に来てもらった方にお茶を飲んで貰って収益も上げる(笑)、というわけでもないんだけど、ずいぶんここで対談をやっています。元々は酔興で作って、でも何となく面白くなって、家に入りきらなくなった本を置くようにしたら、常連さんが自分のも置いてくれと持ってくるようになったり。この店を潰したら本の行き場がなくなっちゃうし、もう、どうしようかと(笑)。

松浦さんのお家も相当、本があふれているんじゃないですか。

松浦:そうでもないです。最近は電子版を買うようにしています。老眼で電車の中で本が読めなくなったんですけど、電子版にしてタブレットを持ち歩いたら、その問題が解決しました。しかし、面白そうな本ばかり見事にそろっていますね。

そうですよね。好きな本を思い切り並べた喫茶店の経営なんて、本好きの男子の理想の老後みたいな気がしますけれど。

平川:いらない本を並べているだけですよ。

松浦:あっ、『驚きの介護民俗学』(六車由実著)があるじゃないですか。ちょうど読みたかった『貨幣進化論』(岩村充著)もあるし。

ああ、岩村先生の。面白いですよ。

平川:六車さんは何度かお会いしていますが、とても面白い方です。おっと、こんな話をしていてはいけませんね。

いえいえ、何のお話でもどうぞ。

平川:じゃあ、やりますか(笑)。お互いに親の介護をしたわけですが、僕と松浦さんは共通点もあるけれど、だいぶ違う体験をしていますね。

航空宇宙ジャーナリストの、介護体験手記。
大きな反響を得た理由を、ぜひ店頭でご確認ください。

 ご愛読いただいておりますこの「介護生活敗戦記」が、『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』が単行本になりました。夕暮れの鉄橋を渡る電車が目印です。よろしくお願い申し上げます。(担当編集Y)

--読者の皆様からのコメント(その12)--

今回は「予測的中も悲し、母との満州餃子作り」の回にいただいたコメントからご紹介します(以前に本欄に掲載させていただいたコメントの再掲、ならびに、短く編集させていただいた箇所がございます)。

●全然、敗戦じゃないです。たとえ敗戦であっても、これを読まれた方々が勝戦すれば、勝戦です。

●ひとつひとつのエピソードに筆者の方の 書く勇気を感じます。
自分の過去と文字に向き合う姿が目に浮かぶようで、感動します。背筋が伸びるようです。

●ん?どこかで拝見したことのあるお名前だな、と思ったら、宇宙や防衛に関する的確な記事を書かれている”あの松浦さん”と知って驚いています。

 親の介護という現実が誰にでも起こり得るものと実感すると同時に、過去の記事を読み返して懸命に客観視点を保ちつつ実体験をさらけ出すことへの葛藤も透けて見え、その姿勢に自分の未来を重ね合わせて泣けてきました。

 また、現在介護職にある知り合いなどにも思いを致しました。嫌な話ですが敢えて。私の知る母親達の集まりでは介護職はいわゆる”負け組”のように思われていて、水商売や風俗などとまるで同列に扱う人もいます。

 「介護には落ちたくない」とは実際そこで聞いた言葉ですし、正直私も表現はともかく自分からすすんで介護職にはなりたくないな、というのが本音です。<そういった暗黙の状況にあっても社会にとって現実に介護は必要なわけで、自分が親の介護をする状況と、自分が介護職になる状況 など、この記事を読んでそこまで考えてしまいました。

●2年前に他界した父は運転のプロだった。若い頃はハイヤーの運転手、運送会社、70過ぎまで工場の製品運搬を単身赴任でしていた。僕の引越の時は、会社から大きなトラックを借りてきてくれた。狭い路地なのに大きなトラックを壁ギリギリに止めて、スゴイと思った。そんな父が立体駐車場の区画に自動車を入れることにギクシャクしていた。思わず、「俺がやろうか。」と言ったときの何とも言えない哀しみを忘れない。

 亡くなる2年前には母が入院して約3週間、一緒に暮らした。認知症も進んでいて、自宅と違う環境は父を戸惑わらせ、母を案じて30分ごとに同じ話しをしてきた。30分経つと忘れてしまうのだから、30分ごとに不安になる繰り返しはしんどいことだ。だから何回も同じ説明をした。不安に満ちあふれているときに、息子である僕を見て一瞬安堵する表情が救いだった。

●毎回大変興味深く拝見しています。優しさに包まれていながらも、現実を(できるだけ)冷静に書こうとされているのは、科学ジャーナリストのご経験からでしょうか。
食事への工夫・配慮のあたり、世の普通の主婦と変わらず、よく頑張られたと思います。

(連載にいただいた数々のコメント、本当に、ありがとうございます)

松浦:そうですね。僕は、介護される側、我々の父母の側が少しずつ少しずつ、老いや病気で人間の尊厳を削がれていくということが、一番つらかったことなんです。平川さんの本を読んで、その感覚は共通なんだなと思いました。そしてもうひとつ、老いも病も、いずれ自分にも訪れるものとして覚悟しておかねばならんなと意識しました。

平川:そうですか。ありがとうございます。客観的と言えば、松浦さんのほうの持ち味だと思いますが。僕は、介護していることを知った編集者に「本を書かないか」と言われた時、「介護の話はちょっと書けないよ、あまりにも生々しくて」と躊躇していたんですね。だから、『俺に似たひと』は、体裁としては小説にしちゃったんですよ。

 通常、「俺」という自称は僕は書き物では使っていなくて、この本以外では全部「わたし」なんですけど、「俺」という主人公を立てて、どこにでもいるような人間としての「俺」として客観化することで書けば書けるかな、ということで。いろいろ考えたんです(笑)。

 ですから、全体の構成も基本は「放蕩息子の帰還」という、神話の話型を使って書こうと。それじゃないと書けない。手記みたいに書くのはきついなという感じがあったんですよね。だから、ああいう形になったんです。松浦さんとは対照的です。それから、父親を看るのと母親を看るのは、全然違うんだろうと思いましたね。

松浦:そうですね。そうかもしれません。

人間、介護をして一人前なんです(笑)

平川:僕は母親のことはほとんど書けなかった。本でも少し触れましたが、最初の半年ぐらいは母親の介護をしていて、彼女は病院で死んじゃいましたから、「何もできなかった」という気持ちがあって。母親が死に際に「お父さんのことを頼むよ」というふうに言われちゃったものだから、まあ、このおやじのことを俺がやらなきゃいけないのかなと思って、母親が亡くなった後、等々力のマンションから実家に移ってきて、1年半後にあの世に行くまでの間、同居をしたんですけどね。でも、松浦さん、大変ですよね。よくやられたなと。独力で介護されたのは何年でしたっけ。

松浦:トータルで、2年半です。

平川:2年半。それじゃもう限界でしょう。

松浦:もう限界でしたね。ただ、認知症や老化の進行の遅い方の場合は、介護期間が5年とか10年とかになる方もおられる。僕には5年、10年もの介護はできんなと、本当に思います。

平川:僕はこの『俺に似たひと』をきっかけに、介護をされた方とたくさんお会いしたんですが、「嫁に行って、行った先で両親をずっと見て、それが済んだら今度は自分の両親を見て、20年ぐらい介護をずっとしている。結婚はもう介護だ」という方の話をお聞きしました。そういう方もいらっしゃいます。

松浦:もはや、何と言って良いやら。

平川:だから、僕は内田くん(内田樹氏、平川氏の旧友)によく言うんですけど、「介護をして一人前なんだ」と。「介護していないやつが偉そうなことを言うんじゃない」(笑)。つまり何ていうんだろう、戦争の体験がない僕らが、生身の身体と避けがたく向き合うというのは、介護しかないですよね。

平川:近代化のプロセスの中で、どんどん生身の身体を遠ざけるというのか、感じなくて済むような形へと科学も技術も進歩していった。だけど、そのバリアを突破しないと介護はできない、というところがあると思います。疫学者の三砂ちづるさんに言わせると、「下の世話をしていない介護は介護じゃない」そうですが、僕もやっぱり下の世話が始まったときからが格闘の始まりでした。

松浦:そうですね。もうその通りですね。

平川:松浦さんは、お母さんの失禁に立ち向かわれた。

平川さんは、お父様には摘便までされましたが、そこで「母だったらできなかっただろう」と書いておられますね。

平川:いや結局、そうなればやったとは思いますよ。逃げ場はどこにもありませんからね。でも、松浦さんは本当によくやられたな、と。

 松浦さんも本でお書きになっているように、介護に関してはみんなケースが違うんですよね。だから一律には語れないんだけど、だけど、介護を通して感じることは、みんな同じなんですよ。だから、みんな違うんだけど、みんな分かり合えるところがあるという。

松浦:介護は全部が異なる体験だけれど、経験者は同じ感想や考えを持つ。それは戦争体験と似ているんじゃないか、ということですか。

平川:戦争が破壊の中で終わるように、介護というのは、ゴールが病気の快癒じゃないわけですよ。ゴールはもう死しかないわけですよね。一生懸命介護している相手の死によってしか終わらない。

 介護の最中、親の病室を出て、病院から出るとそこに呑川があって、川の上に立って、タバコでも吸いながら川をずっと見ていると「いったいこの日々はあとどれだけ続くんだろうか」と、呆然とする気持ちになるんですね。

松浦:ええ。

平川:ちょうど僕と同じ年の親友が、同じ病院で2カ月の間に両親を亡くしたんです。僕と同じく、母親が先に、次に父親を。彼に「自分の親を看ている間に、そういうふうな気持ちになったよ」と言ったら、「俺もそうなんだ、まったく同じだよ」と言うわけですよ。

「計画が立たない」ことに現代人は慣れていない

平川:考えてみると、我々は人生の中で、「まったく予定の立たないこと」をする経験が基本、ないわけですよ。何らかの計画が立てられて、自分でもある程度制御できるのが当たり前で。ところが、親の介護、まったくあれだけはコントロール不能で、明日何が起こるか、全然分からない。

松浦:その通りですね。朝起きてみたら、どうなっているか分からない。

平川:そう。それがすごく大変だと思うんですよね。

しかも、状況が改善することは基本的には……

平川・松浦 ない。

無責任な立場でお聞きしますが、その辛さは、「穴を掘ってただ埋める」といった無意味さに似ているのでしょうか。

平川シシュポス、シジフォス的な。ちょっと違うかな。何て言ったらいいのかな。

松浦:僕の感じ方だと、もっと日常ですね。

平川:そうですよね。

そうか、これは非日常じゃないんですもんね。

平川:日常なんです。やっていることは、例えば、飯を食わせなきゃいけないから料理を作る。風呂に入れる。下の世話をする。

松浦:一つひとつ分解して見ていくと、わりと日常的なんです。朝起きる、ご飯を作る、掃除をする。下の始末だって、繰り返してしまえば日常に入ってくる。していることはある意味「当たり前」であって、変な話ですけど、やっている最中に思ったのは、「これを辛いと思ったら、世の多くの女性の皆さんにこっぴどく叱られるな」ということでした。ただ、介護の場合、その積み重ね方がやっぱり半端ではない。

積み重ね方といいますと。

松浦:一つひとつはたいしたことはない。ただし、それが延々と続いていく間に、老化と病状の進行で徐々に負荷が増し、手間がかかり、気が重くなるようになっていって、しかも終わりがなくて、ふと1日を振り返ってみると、「え、こんなにやったの」というぐらいの量になって積み重なっているという。

……。

介護のために、別居しちゃいました

平川:松浦さんのお母さんは美食家で大変だったようですが、うちは、僕が朝昼晩、男の料理を作り続けていると、時には、意外と喜ばれたりして。それ自体は結構楽しいものでしたね。とにかくこの介護がある「日常」を、どういうふうにして豊かにするか、苦しい苦しいじゃなくするかということが大変重要ですよね。で、僕はサイクリング車を買いました。それまでほとんど乗ったことがなくって、オートバイに乗っていた。それをやめて自転車にして、川っぺりをずいぶん走ったりしていましたね。

あれ、松浦さんと逆ですね。自転車からオートバイ。

松浦:逆ですね。まあ、乗り物は何でもいい気晴らしになりますよ。

平川:何でもいいんですよね。

 僕は実家に単身赴任するような形で、全部仕事の道具だとか少しずつ持ち込んでいって、最終的には完全にそこで暮らせるようにして、それで、ある意味「やり切るしかない」と覚悟を決めたのですが、松浦さんはどうでしたか。

松浦:「意識したのはこの瞬間」ということはなくて、徐々とそういう心持ちになっていったみたいですね。気が付くと巻き込まれて、何だか知らんけど流されてえらいことになっていたというのが。

放り出そうというふうにはならないものでしょうか。

松浦:何ていうのかな、日常が徐々に変質していくんです。ですから、放り出すタイミングがないんです。少なくとも僕の体験では、なかった。ほかの人はひょっとしたらあるのかもしれない。母を預けたときも、結局「これ以上はどうしようもない」という形で、外から転機が来た。自分自身も追い詰められていたので、外からのきっかけに反応したとも言えます。その意味では中から、とも言えるのかも知れません。

平川:僕は最初「ある程度介護するかな。だめだったら施設に預ければいいや」ぐらいに思っていたんだけど、途中から、施設に預けるにせよ自宅で看るにせよ、これは中途半端な気持ちではできないな。自分の生活も根こそぎ変わらないとできない「事業」だなというふうに思って。だから、僕はそれから家に帰っていないんですよ。もう6年経つんだけど。別に離婚したわけでもないのですが、妻とも別居するわけです。住民票も移しちゃいましたから。

えっ。

平川:だから6年も別居しているんですよ。いつか帰らなきゃいけないと思っているんですけど、6年別居していると、もうそっちが普通の生活になっちゃっているからね。一家離散の形になりましたね。

実家のメンテは、ネズミとの戦い!

平川:一家と言えば、松浦さんは家を改造されるじゃないですか。あれもまた面白かった。

松浦:平川さんもご実家の改装をされていますよね。

平川:ええ。僕は2回に分けてやったんだけど、まあ、そのときに昭和の…僕はたぶん松浦さんより10歳ぐらい上ですか。

松浦:はい、私は55歳です。

平川:じゃあ10歳以上、上なんですね。親もそのくらい上ということで、昭和の戦時中から生きてきた人たちなんです。それが東京に出てきて家を建てる。それから60年ぐらい経っているわけですよ。どうなっているのかというと、本当にびっくりするわけね。

 改装するので掃除にかかったら、不要品というか、ゴミだらけなんですよ。押し入れにも台所の棚にもモノがぎっしり詰まっていまして。しかも、その奥は穴が開いていて、ネズミが自由に出入りして。ネズミとの格闘は相当長い間続きました。これはもう大変な、つらい作業でした。ネズミというのは、追い詰められたら人間にも向かってくるんですね。そして頭がいい。例えば米のビニール袋をぼんと置いておくと、表には一切痕跡を残さず、裏側から穴を開けてすこしずつ食べている。だから、ずいぶんネズミの雑菌を僕は食っていたんじゃないかな。

思い出しました。たまたま自分と同年代の同僚が、お母様が亡くなって、一人暮らしをしていたご実家を片付けに行ったら、まさにおっしゃった通りのネズミの巣と化していて、真夏の暑い中、駆除業者さんと毎週末行って駆除しようとしたんですが、ネズミたちは隠し通路をいっぱい掘っていて…。

平川:たくさんあります。たくさんあります。1つ見つけて潰しても全然堪えなくて。家の中にモノが多いから、食べ放題、隠れ放題なんですよね。

平川:ただ、本にも書きましたけど、あの時代の人たちの生活様式というか、高度経済成長をずっと生きてきた人たちは、とにかく何でも余分に買うんですね。お金もないのに、安い物をたくさん。

松浦:それは、なくなる恐怖みたいなものがあるということでしょうか。

平川:何なんですかね。商店街の付き合いみたいなものもありますね。だから、買ったときのセロハンの袋の中に入ったままの下着とかがたくさん出てくるんですよ。それでもう忘れているんです。

松浦さんのお母様はため込まれていましたか。

松浦:それなりに物は貯めていました。ただしうちの場合は、10年前に父が亡くなっているんですけれども、そのときに母と兄弟と一緒になって1回、家を片付けたので、大きな手間ではありませんでした。

“見事な最期”でも、家族の気持ちは

平川:おやじさんのときはどうだったんですか。

松浦:これが、がんで最後まで頭ははっきりしていたので、「もうこれはあかん」となった時点で、自分で片付けるだけ片付けていきました(「父の死で知った『代替療法に意味なし』」)。余分な本も全部整理して。古い友達が日本中にいるので、歩けるうちに全部行って。それから満州生まれだったので、自分の生まれた町に最後に行って。

平川:寝込んだりはしなかった?

松浦:最後は病院で3週間入院して亡くなりました。

言っちゃ何ですけど、死に方としてはうらやましいような。

平川:いやいや、それもどの年代に生まれたかということにすごく関係があると思います。内田樹のお父さんがそうだったんですね。最後は自分で絶食して、そのまますっと亡くなった。

松浦:うちも最後は「もう治療はいらん」と拒否しちゃいましたからね。でも、それはそれで、残される方は辛いんです。

平川:そうですよね。そういうふうに言われた家族は、辛いですよね。

(後編に続きます。明日掲載予定です)

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