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※今後、この記事のアップデート版はnoteに書いていきます※ ※最新版は、こちら(note)をご覧ください。よろしくです※ あれから何をしてきたか 「アニサキスにあたって、一生ほとんどの魚が食べられなくなった話」をブログに書いたのが5月。 かなり大きな反響をいただきました。 で、あれから半年、「続報」も書かずに何をやっていたのかというと、うまく受容できずにひたすら落ち込んでました。 振り返ると、最初の数ヶ月は逆にテンション上がっていて躁状態だったのがよくわかる。あの頃は元気だったんですよ。負けるもんか、っていうファイティングポーズがとれていた。 でも、だんだんに「ほとんどの魚が食べられない」という現実がボクの生活に染みこみはじめ、毎日三度三度、ご飯のときにそれを思い出しては落ち込みだし、しまいには街を歩いてレストランの看板やメニューを見るだけで落ち込むようになりました。 秋冬の魚が美味しい
お待たせした方、すいません。 ほぼ一年ぶりの「さとなおオープンラボ第十期」、募集を開始します。 2013年夏より始めた「さとなおオープンラボ」。 おかげさまでご好評をいただき、東京は第九期、関西は第二期まで続けることができ、全部で342人の仲間ができました。今回はその東京十期目の募集です。来年1月から4月中旬までの約3ヶ月、全10回のコースになります。 今回は本『ファンベース』を2月に出してから初めてのラボになります。 とはいえ、本の内容をよりくわしくやるわけではありません。即効性あるテクニックや最新手法もやりません。SNS系もアドテク系にもまったくフォーカスしません。なので、「ファンベース施策を具体的に知りたい」とか「業務にすぐ活かせるテクニックを手っ取り早く知りたい」とか言う方はご遠慮ください。 やるのはもっと根本的なことです。 「伝えたい相手に伝えるためのプランニング、その目的と基礎
アニサキス・アレルギー話の第三弾です。 前のふたつはこちらをごらんください。 ・アニサキスにあたって、一生ほとんどの魚が食べられなくなった話 ・アニサキス・アレルギーかも?と思ったら(IgE抗体検査とプリックテスト) 上は、ボクのリアルな体験談。 下は、体験を後から振り返って、アニサキス・アレルギーの検査についての情報共有です。 「アニサキス症」と「アニサキス・アレルギー」の違いや、そもそもアニサキス・アレルギーって何、とかいうことはひとつめを読んでください。 ※ アニサキス・アレルギーはまだまだマイナーな病気ですが、逆に、だからこそ情報が非常に少ないです。 せめてこのアレルギーにかかった方が集まれる場を、ということで、フェイスブックにグループを作ってみました。この病気の方はぜひ登録してグループに参加してください。 情報交換したり、なぐさめあったり、励ましあったりしましょう。魚を食べられな
※今後、この記事のアップデート版はnoteに書いていきます※ ※最新版は、こちら(note)をご覧ください。よろしくです※ 少しポジティブになってきたので、書いてみたいと思います。 ここ1ヶ月半で経験したことを。イヤ、経験してしまったことを。 怖いですよ、アニサキス。 これから書くのは「誰でもなる可能性がある」リスクのお話です。 「あ〜、アニサキスってアレね、サバとかイカとかサーモンにいる寄生虫ね。それが生きたまま胃や腸に入ると、胃壁とか食い破られて強烈な腹痛に悶絶するヤツでしょ、友達にもいるわ〜、それに気をつけろってことね」 違います。 それも怖いけど、それはいわゆる「アニサキス症」。 内視鏡でアニサキスを掴み出せば治るし、数日我慢すればアニサキスも死んじゃいます。 ボクがいまからするのは、「アニサキス・アレルギー」による「アナフィラキシー・ショック」のお話。 死にかける上に、一生治らな
ボクも選考委員を務めた「やってみはなれ佐治敬三賞」。 記念すべき50周年の今回は、シャープ株式会社のツイッターアカウントの「中の人」に決まりました。 この賞は、その名称通り「やってみなはれ」のチャレンジがあるものしか通らないだけでなく、単体の広告アイデアではなく「クリエイター」を評価する数少ない賞です。 受賞者の山本隆博氏(シャープエレクトロニクスマーケティング:シャープツイッターアカウント)がやって来たことは、5年間365日、勇気と工夫をもってヒトと企業をつなぐ、まさに「やってみなはれ」なクリエイティブ・チャレンジでした。 会社が大逆境の中で「個の言葉」で向き合う「勇気」。 毎日ひとりひとりに「@」で返し、つながりと文脈を作っていく「努力」。 社内も含めてたくさんのトラブルがあったであろうに心を折らず続ける「継続」。 企業アカウント同士(「シャープさんとタニタくん」という本にもなった)の
あけましておめでとうございます。 2017年もよろしくお願いします。 昨年は「不特定多数へのコミュニケーションから特定少数のコミュニティへ」という、自分の中での変換を実践してみた一年でした。 具体的には、さとなおオープンラボやゼミの卒業生を中心とした「4th」というコミュニティの運営です(現在約240名。今やってるラボ生が卒業すると約300人)。 4th・・・4番目という意味ですね。 familyという生活仲間、friendsという遊び仲間、workmatesという仕事仲間。それら3つのコミュニティの次に来る「目的仲間」という設定で名づけました。 まぁ、平たく言うと「家族とも、学生時代の友人とも、会社や仕事の仲間とも違う、第4のコミュニティ」でしょうか。 ラボは、世代も職種もライフステージも違う人々が通ってきてくれていて(広告業界は逆に少数派だったりする)、卒業後もとても仲が良いので、「じ
2007年生まれの日本人、というと、いま9歳か。 小学3年生? そのくらいのお子さんをもっている人もたくさんいらっしゃると思う。 このお子さんたちの約50%は、なんと107歳まで生きるらしい。 ベストセラー『ワークシフト』の著者、リンダ・グラットンの新刊『ライフシフト』は、アメリカの人口学者たちによるそんな衝撃的な予測結果から始まる。 つまり、人類は、いままで誰も経験したことない「人生100年時代」に本格的に突入する、ということだ。 一昨日、この本を読んで感想を言い合いながら軽く飲む会、というのを、例によって4thコミュニティでやった。まだ発売前の仮刷(写真右)を東洋経済新報社から提供いただいて、3週間くらい読み込んで、25人くらいで語り合ったのである。 この会がめっちゃ面白かった! 社会人になると「人生ってさぁ」みたいな青い話って、あんまり大っぴらにしないじゃないですか。してもたいていは
さて、ちょっといろいろあって間あきすぎちゃったので、さらっとシン・ゴジラについて書いてみる(いまさら感)。 ※ここに辿り着くまでのお話しは前回の「2016年上半期にショックを受けた3つの制作物」をお読みください。 前回書いた「衝撃」以外にも、いろんな切り口でいくらでも書けそうな傑作映画ではあるのだけど、このシン・ゴジラ、ポリティカルドラマとしても優れていることは説明するまでもないと思う。たくさんの評論も書かれているし。 そのたくさんの評論の中に、政治家経験も官僚経験もないボクがいまさら薄い論評をひとつ足してもほとんど意味がない。 ただ、この映画、実は「政治や統治に興味がない人にその仕組みを説明するのに最適な映画なのではないか」とは、観てすぐ思った。 なぜなら、観た人はみなすでにその登場人物たちの名前や肩書きまで細かく覚えていたりして、思い入れも強いからである。彼らの関係性をもう少しくわしく
もう先週になるか。 ボクが主宰するコミュニティ「4th」にて、「元官房副長官と語るポリティカル・ドラマとしてのシン・ゴジラ」と題する夜ラボ(セミナーみたいなもの)をやった。 ボクは2016年の上半期に(一応作り手の端くれとして)ショックを受けたことが3つある。 平野啓一郎の「マチネの終わりに」を読んだこと。 映画「シン・ゴジラ」を観たこと。 リオ・オリンピック閉会式の日本へのハンドオーバー演出を見たこと。 オーディエンスとしてではなく、一制作者としてショックを受けた。 というか、かなわない、としか思わなかった。 たいていの制作物は、どこかで自分と比べて、「なんとか手が届くのではないか」、つまり「自分でも作れるのではないか」と思ったりもするのだが(それがいかに傲慢かは自分でもわかっている。でもそういう希望や奇跡を信じないと制作者なんてやってられない)、この3つに関しては、「あぁ、到底手が届か
おかげさまで好評なので、さとなおオープンラボ、第六期も開催したいと思います。 今回も3クラス予定で、各12名。計36名の募集になります。 【毎週土曜クラス】(2クラス予定 1030開始組と1530開始組) 4月2日(土)〜6月11日(土) ※途中、4/30はGWにつきお休みなのでご注意を。 【毎週月曜クラス】(1クラス予定 1900開始) 4月4日(月)〜6月13日(月) ※途中、5/2はGWにつきお休みなのでご注意を。 講義時間は基本的に2時間ですが、2時間で終わらず3時間以上、時に4時間以上やることもありますので、終了時間に余裕を見てください。また、どうしても来れない日がある場合、他クラスに振替可能です(ただしクラス内で班分けをしますので、極力同じクラスにご参加ください)。 少人数制で、12名を1クラスとし、全10回です。 少人数制なので「確実に10回来れる方のみ」お願いします。休まな
昨日フェイスブックでシェアした記事。 「人生を幸せにするのは何? 最も長期に渡る幸福の研究から」 75年に渡って742人の男性(10年前から女性も参加)の仕事や家庭生活や健康などを追い続けたらしいんだけど(なんとこのスピーチをしている人で4代目の研究者)、そこで次のような重要なことが明らかになった、という。 ・私たちを健康かつ幸福にするのは「良い人間関係」に尽きる。 ・周りとの「つながり」は健康に本当に良い。 ・孤独は命取り。 ・家族・友達・コミュニティとよくつながっている人ほど、幸せかつ身体的に健康で、「つながりの少ない人より長生きする」。 ・重要なのは、身近な人達との「関係の質」。 ・50才で最も幸せな人間関係にいた人が、80才になっても一番健康だった。 ・良い関係は身体の健康だけでなく、脳をも守ってくれる。 ・定年退職後に一番幸福な人は「仕事仲間に代わる新しい仲間」を自ら進んで作った
弊社ツナグに4年弱勤めてくれ、雨の日も風の日も一緒だった伊藤美希子が転職することになりました(1/1付)。 昨晩はその転職祝いの会を、元社員の宇野実樹を含めて、3人の共通の思い出の店『鮨いまむら』にて。 ボク自身の志向が『不特定多数へのコミュニケーションから特定少数のコミュニティへ』と移って行っている中で、彼女とは(彼女のこれからも含め)ずっと一緒に話し合ってきました。そのうえでの超円満転職です。 こんなおっさんにずっとついてきてくれて、本当に感謝しかありません。 さまざまな想いをこめて、心からありがとうと伝えたいです。あなたの人生に役に立てることがあったらこれからも何でもするので、いつでも相談してください。 まぁ宇野も含めて3人ともとても仲いいし、今後もコミュニティ「4th」(family、friends、workmatesに次ぐ4番目のコミュニティ)に頻繁に来てくれると思うのでお別れで
あんまり焦んない方がいいと思うな。周りに影響されない方がいい。 それなりに成功してネット上で勇ましいことを書いてるキミの同年代たち(ちょっと上の先輩たちも含めて)は、みんな「早熟なタイプの人」なんだよね。スタートダッシュの先行逃げ切り型。 でも、キミはきっと後半に追い込むタイプじゃないか? 最初は後ろの方にいて、ゆっくりじわじわ行くタイプ。彼らとはペースが違う。彼らの言葉に影響を受けてマネをしても同じことはできないし、するべきでもないと思うよ。 先頭集団の成功と勢いを見ると焦るかもしれないけど、彼らも20年30年と先頭を走り続けられるわけじゃない。その多くが若いときの成功体験と成功手法に縛られてだんだん時代に合わなくなり、息切れしていく。ずっと時代の先頭なんて無理なんだよ。 世の中には後からゆっくり行く遅咲きというか大器晩成というタイプがちゃんといて、40代50代でぐいぐい伸びてくる。 若
年末も押し迫った今日ではありますが、様々な事情でみなさまに半年近くご報告できなかったことがひとつあります。 いままで直接的に関係してくださった方々にもずっとご報告できず申し訳なかったのですが、公益社団法人「助けあいジャパン」は、今年、たいへんな財政危機に陥っています。 その建て直しをするため、私は会長職から代表理事に戻っています。 また、副会長だった石川淳哉も代表理事になり、ダブル代表体制で事に当たっています。そして新たに、経営再建に精通している斉藤徹(創立メンバーのひとり)に理事に入ってもらい、監事には企業財務に精通した中山敦に入ってもらいました。 こうして内部体制が整った結果、まだまだたいへんな状況には変わりありませんが、喫緊の危機は脱出できそうですので、ようやくご報告できる次第になりました。関係者のみなさま、支持してくださったみなさま、協力してくださったみなさま、ご報告が遅れて申し訳
ここ2年くらい、仲間たちとじっくり準備してきたプロジェクトを、ようやくご披露できるようになりました。 サービス名を「ライフチェスト」と言います。 人生のチェスト、たんすですね。 自分史とも、エンディングノートとも違う、ネット上の新しいサービスです。 ライフチェストは、ボクの友人である松村光芳さん(世田谷区奥沢病院長・当時)が、自らの脳腫瘍が判明した翌日、ボクに相談したこんな言葉から始まりました。 「自分の人生が消え去ってしまうことが怖い」 そして彼はこうも言いました。 「自分が生きた証を残したい」「家族や仲間たちにメッセージを伝えたい」 その想いをうけ、ボクが、彼、そして仲間たちと立ち上げたのがこのライフチェストです。 あなたの人生年表、人生のトピックスなどのコラム、写真や動画などを、一流のスタッフたちのサポートのもと、ネット上のチェストに丁寧に残します。また、デジタルですので、本と違って
さとなおオープンラボ、第3期生を募集いたします。 毎週土曜1500〜のクラスと毎週月曜1900〜のクラスの2クラス。 実施期間は2014年12月~2015年2月。 正確に言うと、 ・土曜クラスは、12/6~2/21の15時〜17時(12/27と1/3はお休み。初回12/6のみ17時始まり) ・月曜クラスは、12/8~2/23の19時〜21時(12/29と1/5はお休み) です。 少人数制で、12名を1クラスとし、全10回。費用はおひとり10万円(10回分・消費税別)です。 場所は東京の乃木坂のボクの小さな事務所で行います。千代田線乃木坂駅から徒歩1分。 今回はクラス毎に「ヤング」とか「シニア」とか「広告業のみ」とか分けず、年齢も職種もバラバラまぜこぜでやりたいと思います。ただし、基本、社会人を対象にしたいと思います。大学生はご遠慮ください。 対象は、広い意味でプランニングの部署に属している
土曜の朝、いつものように朝5時すぎに起きたんだけど、その日に限って「今日はお見舞いに行こう」って思った。 12月くらいから2月くらいにかけて、多いときは週に3日くらいはお見舞いに行っていた「まーくさん」も、病状が悪化してここ2ヶ月くらい反応がほとんどなくなり、会うのがちょっとつらかった。だからここ一ヶ月くらいお見舞いに行ってなかった。なのになぜか「今日は行こう」と思った。 親しくしている娘さん(三女)にFBメッセージして、「今日、お見舞いに行きたいんだけど、病室に行ってる?」と訊いた。 まーくさん本人に反応がないので、できるだけご家族がいるときに伺うことにしているのである。 「夕方なら行ってますよ」との返事。 夕方かぁ。。。夕方だと打ち合わせがあるので行けないかもなぁ。。。でもなんとか行きたいなぁ。。。終わってから行けるかな。。。そんな感じに思ってた。 昼にランチミーティングをした。 まー
よく野球を観に行く人(特に東京ドーム)には当たり前のことかもしれないけど。 超久しぶりに野球を観に行ったので、素直に驚かせて欲しい。 昨晩、東京ドーム「巨人 vs 横浜DeNA」のチケットをひょんなことから頂戴し、仕事帰りにふらりと出かけたと思いなせえ。 「♪重いコンダラ」の頃は巨人命だったけど、関西勤務時に阪神ファンになって以来、巨人戦とはかなり縁遠いワタクシ。 「オレなんか昔、後楽園球場で金やんが大きなカーブ投げるのリアルに見たもんね。王のホームランも長嶋の三振も、何度もリアルで見てるもんね」とか、往年のファンを気取りつつ、一塁側バックネット裏のわりといい席に着いたでやんすよ(って、何キャラ語りだよ)。 時刻は午後7時半。 試合は4回。観客も会場もいい感じに温まっていて、座席周辺はすでにビール臭い。おーオレもビールたのも。やっぱナイター(死語)にはビールだよねー。と、周りを見回したら。
トップ > おいしい店リスト > さとなおの行った店リスト【東京】〜アジア系(中国、韓国、エスニック…) さとなおの行った店リスト 東京 アジア系(中国、韓国、エスニック…) このコーナーは、ボクが実際に行ったレストランを記録したものです。 個人サイトの個人的食べ歩き記録です。ガイドでも評価でもありません。 ですので、読みやすさなどを考えずざっと一覧してあります。コメントも短く散漫なものです。ご了承ください。 ただ、この記録を利用して、あなたが行った店の感想とボクの感想とを比較することができます。そうして趣味嗜好がボクと合うか合わないかを調べ、趣味嗜好が近かった方は「さとなおの好きな店リスト」をご覧ください。店の選択により便利になっています(「このコーナーの使い方」参照)。 なお、自分の好き嫌いを相対化するために、店をラブ度で表しています。ボク個人の「お気に入り度」の目安として参考にしてく
昨日の311は、個人的に「初心」を取り戻すいい日になった。 震災支援の初心ももちろんあるけど、それだけではなくて、なんというか、コミュニケーションの初心というか、日々生きて行く上での初心というか。。。初心というか、自分の「ミッション」かもしれない。 それって何って? いや、とっても青臭いうえに砂糖菓子のように甘いので、こういうの読むとむかつく人は以下読まないでください。 ボクは、身近な人を笑顔にしたい。 そのために仕事をし、コミュニケーション・プランニングをし、支援活動をしている。 そして、そのためには自分自身も笑顔でないと無理なので、そうなれるよう生活や精神を心地良くしていく。 そんなようなこと。 青くて甘い。でも、その青さと甘さをちょっと忘れてた。 身近な人っていうのは、家族だけでなくて。 友人や知人、仲間、同僚、たまたま出会った人、話をした人、通勤電車ですれ違った人、一度行っただけの
ここんとこ数週間、不思議なふわふわ感に包まれている。 深くしつこい「落ち込み」とも取れるし、感謝と諦観の「落ち着き」とも取れるような、いままでにない浮遊感。毎日がふわふわしてる。 ある人との「別れ」が迫っている。ここ数週間、急に病が進行した。 約2年、彼の病を身近に見てきてじわりじわり自分が変化しているのは感じてたんだけど、ここんとこの急な進行で、ボク自身の変化も急に進んだようだ。 彼との「別れ」はある程度予期できたことだし、覚悟もできていた。その人に限らず、人生は「死」で満ちているし、ボク自身、若い時からずっと、毎朝のように「死」を考え、準備をしている。 というか、オフィスが葬儀場の真ん前なので、オフィスに行くたびに「死」を思う。今日死んでもいいように生きようと再確認する。小鳥さん、今日なのかな? だから、単なる「落ち込み」ではないんだろうな。 なんというか、「そのうち消えてなくなってし
前回のブログでは「海老蔵の『にらみ』で風邪退散!」なんて脳天気なこと書いてるけど、実はあのあとインフルエンザA型に罹り、一週間ほど寝込むはめに。 そのうえ、スタバでコーヒーを真っ白なデニムにこぼしてダメにしたり(妻にたいそう怒られた)、夜中の交差点を歩いていたら全速の自転車とぶつかってはね飛ばされたり(妻に報告しても関心を示さなかった)、なんつうか「海老蔵てめえ、、、」とか八つ当たりさえしてるくらいでw で、まだ咳は残っているものの、ようやくなんとか普通の体調に戻ってきたのが、今、です。 FBなどでお見舞いいただいた方々、ありがとうございました。 しかしなんというか。 仕事仲間はいるものの、会社を独立するっていうのは「基本ひとり」ということ。 その状況で「ひとりで一週間くらい寝込む孤独感」というのは、なかなかたいしたものですね。ちょっと底なし沼的だった。ボクにしては珍しく、かなり落ち込んだ
インドネシアは親日的な国のひとつとして知られている。 ただ、以前からそうだったと思っているのは日本人の幻想で、戦争の記憶はかなりネガなものとしてこちらの人々(特に年配の方々)に残っていると現地在住の人に聞いた。実際、1974年1月に田中角栄首相がインドネシアを訪問した際は、首都ジャカルタで大きな反日暴動が起きている(マラリ事件)。 その1974年にジャカルタで設立されたのが、国際交流基金が運営している「ジャカルタ日本文化センター」。 全部で40人弱くらいのメンバーで、地道に丁寧にインドネシアと日本を文化で結んでいる。 中国や韓国は、国策として予算をつぎこみ、派手に自国文化をアピールしている。 たとえば韓国のK-POPやドラマ・映画はこちらでは大人気だ。韓国は国の予算を使って韓国文化を盛大に売り込んでいる。 それに比べて日本は国家としては何もやってこなかったに等しい。 国際交流基金をはじめ、
この紀行文は1997年(まだブーム前)にさぬきうどんを求めて家族で香川を彷徨った様子を長々と書きつづったもので、翌年に「うまひゃひゃさぬきうどん」という題名で出版された元原稿でもあります。四部構成になっていて、このページは【回天篇】のその4、最終回です。 【立志篇】1・2 【風雲篇】1・2・3・4 【怒濤篇】1・2・3 【回天篇】1・2・3・4 『彦江』から『長田』へはほぼ一本道である。 坂出市街に入って国道438号に出ればあとはそれを南下すれば道沿いにあるのである。 こりゃ左右間違えても大丈夫だから優子に運転を任せることにする。 「ずっと真っ直ぐなのね」 「うん。満濃に向って438号を真っ直ぐ。 で、途中で438号は左に曲がるんだけど、曲がらずそのまま県道197号に入る。 そうすると有名な満濃トライアングルがあるんだ」 満濃(まんのう)トライアングル・・・。 『恐るべき』が名付けたうどん
イーストウッドがネルソン・マンデラを描いた名作「インビクタス」の中で、マンデラが繰り返し繰り返しつぶやく言葉。 私は あらゆる神に感謝する 我が魂が征服されぬことを 私が我が運命の支配者 私が我が魂の指揮官 これはウイリアム・アーネスト・ヘンリーの以下の詩の一部である。マンデラは27年間の投獄中(27年!)、この詩を心の支えとした。 インビクタス -負けざる者たち- 私を覆う漆黒の闇 鉄格子にひそむ奈落の闇 私は あらゆる神に感謝する 我が魂が征服されぬことを 無惨な状況においてさえ 私は ひるみも叫びもしなかった 運命に打ちのめされ 血を流しても 決して屈服しない 激しい怒りと涙の彼方に 恐ろしい死が浮かび上がる だが 長きにわたる 脅しを受けてなお 私は何ひとつ 恐れはしない 門が いかに狭かろうと いかなる罰に苦しめられようと 私が我が運命の支配者 私が我が魂の指揮官 しばらくは座右
東北楽天ゴールデンイーグルスが優勝した。 創設9年目。 一時はパ・リーグの中でもお荷物的な球団だった東北楽天。感動的な日本シリーズ7戦のすえ巨人に勝ち(巨人もとてもいいゲームをした)、昨晩、日本一を決めた。 河北新報の号外。 いい写真だなぁ。星野監督が宙を舞う。田中将大投手も最前列。 仙台のあの人、石巻や南三陸や女川のあの人、塩竃や松島のあの人、八戸のあの人、福島や宮城や岩手や青森の、あの人あの人あの人・・・ 3.11以降にお会いした東北の皆さんの笑顔が、ひとつひとつ、目に浮かぶ。 そして、この2年間で出会った様々な支援活動者たちの笑顔も、ひとつひとつ、目に浮かぶ。あいつも、あいつも、あいつも、きっと破顔して、泣きながら酒くらってるんだろうなぁ・・・ 1995年。 阪神大震災の年、仰木彬監督率いる神戸オリックス・ブルーウェーブは、初のリーグ優勝を果たした(イチローもレギュラーになったばかり
広告マン&ウーマンを相手に「これからの広告コミュニケーション」についての講演をしたとき、こんな質問が40歳くらいの男性から出た。 「おっしゃることを実行するとなると、とても効率が悪い上に手離れも悪くなると思うのですが、それについてはどうお考えですか?」 よくある質問なので、それについてのやり方(精神論も含むw)をご説明さしあげたが、それを聞いてその男性は「わかりました。その通りだと思いますけど、でも、いったい誰がやるんですかね。僕達がやるんですかね」と苦笑した。 その「苦笑」がずっと頭に残っていて、ときおりぼんやり考える。 広告をはじめとしたコミュニケーション領域は、マスメディアからマンメディアへの変化につれて、「生活者との地道なコミュニケーションを毎日じわじわ積み重ねる」という方向にどんどん移行していて、それはとても誠実で丁寧で真摯な手作業が増えていく非効率の世界だったりする。 ただ、大
もともと富士酢のファンだった。 ブログでは2005年にこう書いている。 「富士酢はすっかり家の常用酢になっている。めちゃくちゃうまい。発酵香が強く立ちのぼりつつ、いろんな芳香が奥の方で押しくらまんじゅうする。お酢好きなボクにはたまらない味。」 その後、製造元である飯尾醸造の五代目、飯尾彰浩さんとはメールのやりとりなどをぽつりぽつりと続けていたが、昨年末、こんな内容のメールをいただいた。 「飯尾醸造は2013年で創業120周年になります。そして、実はお酢の元になる原料米もうちで作っているのですが、昭和39年からずっと農薬不使用栽培で作ってきました。その取り組みも2013年で『50周年』を迎えます。ついては、いままで愛していただき使い続けていただいたお客様に感謝の気持ちを伝えたいのです。『お客様に感謝を伝える方法』を考えていただけないでしょうか?」 たぶん、電通時代に仲間たちと一緒にやった『ス
昨日は長崎原爆の日。 田上富久長崎市長の「長崎市平和宣言」が素晴らしいので、備忘録的に全文を書いておく。ニュースサイトはすぐリンクが切れるので。 被爆者の平均年齢は78歳。 今の若い世代は、被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代だ。 そして、いまの50〜70代(若者たちの親世代)は、彼らと被爆者をつなげることができる最後の世代。 急がないといけない。 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄(すさ)まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃虚となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。 このむごい兵器をつくったのは人間です
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