妻を撮った写真を妻に見せたとき、ほかのひとはきれいに撮れるのに、わたしだけ何故こんなに無防備な瞬間を撮るのかと問われることがあり、それについて、たとえば、赤ちゃんはどの瞬間もかわいいではないか、僕はあなたのすべての瞬間をよいと思っているが、今日撮ったなかでは、この写真は自然な感じがしたし、この表情が好きなんだ、というようなことを伝えたところ、妻はやれやれ…というような顔をしていた。 きれいな写真というのがあって、それをよい写真と思う気持ちはよくわかる。僕も誰かに撮られるなら、できればきれいに撮ってもらえるとありがたいと思ったりもする。だから僕が妻に言っていることは、僕のわがままだというふうにも思う。 たとえ話をする。長谷川利行という画家の話だ。利行は大正から昭和初期にかけて、谷中あたりの簡易宿泊所を泊まり歩き、その日暮らしをつづけていた。底なしに貧乏で、酒場でマッチ箱に描いた絵を見知らぬ客