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1月20日に大統領に返り咲いたドナルド・トランプは、連邦政府が新設する建物は「人々の称賛を集める」古典主義建築が望ましいとする、第一次政権時代に署名した大統領令を再び発令させた。 「美しい連邦公共建築(Beautiful Federal Civic Architecture)」と題されたこの大統領令は、「地域の遺産を尊重し、アメリカの古典的伝統に沿った」建築デザインを強調することで、「公共の空間を美しくすること」を目的としている。「古典的」という言葉は、新古典主義、ジョージアン様式、ギリシャ復興様式、ゴシック建築、およびモダニズム建築時代以前の建築様式を指しているという。 しかし、2020年にこの大統領令が発表された際に建築家の多くは、この動きを時代後れと批判し、トランプ政権が公共建築に画一的な建築スタイルを押し付け、国家主義的な理想を強引に推し進めようとしていると訴えた。 第一次政権時代
アート関係者の間で毎年1月1日は「パブリックドメインの日」と呼ばれる。なぜなら、著作権保護期間が切れた過去のアート作品や映像、そして楽曲などが新たにパブリックドメイン(知的財産権が消滅した状態、公有財産)に加わる日だからだ。今年は、アーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』やウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』などの文学作品に加え、アンリ・マティス、ロバート・キャパ、フリーダ・カーロの作品が著作権保護期間の満了を迎えた。また、ポパイやタンタンといった海外コミックスのキャラクターたちもパブリックドメインとなっている。 パブリックドメインとなった作品の一覧は、イギリスを拠点とする団体「Public Domain Review」とデューク大学の「Center for the Study of the Public Domain」から確認することが可能だ。 アメリカやイギリス、ヨーロッパでは
AIが誰にでもアクセス可能なツールとして普及し始めた頃、理想の女性のイメージを生成できる「Gencraft」というアプリの広告が私のデバイスに頻繁に表示されるようになった。このアプリはどんな画像でも生成できるはずだが、どうやら広告やアルゴリズムは美しく若い女性たちを好むらしい。私は広告に使われていたプロンプトのスクリーンショットを撮っておいたが(そのため広告をさらに表示するアルゴリズムを働かせてしまったかもしれない)、それはこんな感じの文だった。 「赤いレオタードを着た、茶色い髪のフランス人の女の子」 「戦闘用の鎧をつけた金髪の女性」 「エルフのような細かい模様のタトゥーを背中に入れた少女が湖を眺める様子を、背後から見た画像」 プロンプトでは指定していないのに、生成された画像の女性はみな美しく、やせていて、白人だった。そして、どの女性も微笑んでいるか、穏やかで優しい表情を浮かべている。完璧
ヴェスヴィオ火山噴火の火砕流に見舞われたポンペイは住民ごと灰に埋もれ、遺体があった場所が空洞として残された。19世紀に発見されたとき、そこに石膏を流し込んで犠牲者の型が取られたが、その際、石膏像の中に遺骨の断片が閉じ込められた。今回の研究では、この骨片からDNA分析を行った結果、これまでに考えられていた犠牲者同士の関係や性別が誤りだったことが明らかになっている。 たとえば、ブレスレットを付け、子どもを膝に乗せた大人は、これまで母親とその子どもだと考えられていた。しかしDNA分析では、大人は男性で、子どもとは遺伝的関係がないことが判明した。また、抱き合ったまま亡くなっていた2人の人物は、従来は姉妹と見られていた。しかし研究結果では、少なくともそのうちの1人は男性であったことが示されている。 11月7日付で学術誌のカレント・バイオロジーに発表されたこの研究は、ポンペイ遺跡について長年語られてき
長らく個人コレクションとして保管されてきたカラヴァッジョ作品が、11月22日、イタリア・ローマの国立古典絵画館(バルベリーニ宮殿)で公開されたとニューヨーク・タイムズが伝えた。 この絵画《マフェオ・バルベリーニ教皇の肖像》は、カラヴァッジョ作品の中でも数少ない肖像画だ。モデルのマフェオ・バルベリーニは1623年にウルバヌス8世として教皇に選出された人物で、教皇領の拡大や三十年戦争の指揮をする傍ら、芸術を支援した。遡ること1598年、バルベリーニの友人で同じ聖職者だったフランチェスコ・マリア・デル・モンテは、苦境にあった芸術家を自らの家族の邸宅に住まわせて支援し、バルベリーニに肖像画の依頼をするよう勧めた。その芸術家こそがミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオだった。 当時30歳だったバルベリーニをモデルにしたこの絵画には、暗闇から浮かび上がるようにスポットが当てられた彼の姿が力強い筆
ドイツのナン・ゴールディンの写真と映像に焦点を当てた展覧会が、11月22日からベルリンの新国立美術館(Neue Nationalgalerie)で始まった。しかしオープン前から、本展はドイツの報道機関で物議を醸している。というのも、世界のアート業界で物議を醸した公開書簡──2023年にアートフォーラム誌が掲載した、ガザへの攻撃停止を求める内容で、ハマスによるイスラエルへの攻撃について言及されていないことが問題視された──にゴールディンが署名していたからだ。つまり、ドイツの一部報道機関は、ゴールディンは反ユダヤ的であると考えており、反ユダヤ的な芸術家の個展をドイツで開催するなど言語道断、というのが、彼らの主張だ。 こうしたなか、ゴールディンは個展のプレビューイベントでスピーチを行い、ドイツに対して、イスラエルによるガザへの攻撃の停止を求める人々の訴えを真剣に受け止めるよう呼びかけた。 「反ユ
マンハッタン地区検事局は、1440点の美術品をインドに返還したことを発表した。作品の価値の総額は1000万ドル(約15億6400万円)に相当するという。 これらの作品は、有罪判決を受けた悪名高い美術商、サブハシュ・カプーアやナンシー・ウィーナーらとつながりのある犯罪組織の密売ネットワークに関する捜査の一環として押収。なかでも二つの美術品は、1993年にメトロポリタン美術館に収蔵され、マンハッタン地区検事局の古遺物密売部門(ATU)によって押収されていた。 その一つが、1980年代初頭に寺院から略奪された天女の砂岩彫刻で、もう一つが、1960年代初頭にインド北西部の村から盗まれた、灰緑色の変成岩で作られたタネサール族の地母神の彫刻だ。 マンハッタン地区検事局が11月13日に発表した声明によれば、寺院の柱を彩っていた天女の砂岩彫刻は、柱から削り取られたのちに二つに分断され、カプーアの指示によっ
「1924年の夏、フランスのバラは青く染まった。森はガラスに、言葉は生き物へと姿を変え、窓を叩いてその存在を人々に知らせた」 今なお大きな影響力を持つモダニズム運動を成文化した有名なテキスト、「シュルレアリスム宣言」の初版で、アンドレ・ブルトンはこう書いた。 シュルレアリスム誕生100周年にあたる今年は、この芸術運動を記念するさまざまなイベントが世界各地で行われた。シュルレアリスムと聞けば、溶けた時計や宙に浮いた岩、毛皮に覆われたティーカップなど、有名なイメージが次々と頭に浮かんでくるほど、この運動は私たちにとって馴染み深いものとなっている。中でも、この運動を詳しく知っているつもりでいたのが、未知なるものの価値を探求する前衛芸術家たちだ。 しかし、それはこの10年で様変わりしつつある。2022年にテート・モダンで開催された「Surrealism Beyond Borders(国境を越えるシ
オランダのゴッホ美術館はこれまで本物としてきたゴッホ作品のうち、3点が本人作ではなかったと発表した。その中には、2011年にクリスティーズで99万3250ドル(約1億5000万円)で落札された《Head of a Peasant Woman with Dark Cap》も含まれている。これらは、1970年にジャコブ・バール・デ・ラ・ファイユが作成した、決定版と言われるゴッホのカタログ・レゾネにも収録されていた。 調査を行ったのは、ゴッホ美術館の3人のスペシャリスト、テイオー・ミーデンドルプ、ルイス・ファン・ティルボルフ、サスキア・ファン・ウードホースデンで、イギリスの「バーリントン・マガジン」10月号でその結果を発表した。 ゴッホ作ではないと分かった最初の作品は、《Interior of a Restaurant》。この作品は何十年もの間、1887年の11月から12月にかけて制作された《I
なぜ、古代ローマ時代の彫像は頭部がないものが多いのか? この疑問に対するまず単純な理由の一つは、人体の構造上、首が最も弱い部分だからということがある。つまり、彫像が何かの拍子に倒れたり、長時間の移動などで衝撃に遭えば、一番先に首が折れてしまうのは自然といえる。 しかし、ブルックリン・カレッジとニューヨーク市立大学の古典学と美術史の教授であるレイチェル・クーサーによると、古代ローマ人は彫像を故意に壊すこともあったという。これは、「記憶の破壊」という意味の「ダムナティオ・メモリアエ」と呼ばれる行為で、ローマ元老院は、特に嫌われた皇帝の死後、その所業を断罪する投票を行うことができた。投票で可決されれば、元老院はその皇帝の名前を記録から消し、財産を差し押さえ、肖像画や彫像を破壊した。社会的な体面や名誉を重んじたローマ人にとって、ダムナティオ・メモリアエは最も厳しい措置と見なされた。悪名高いネロ皇帝
US版ARTnewsのTOP 200 COLLECTORSの常連でもある前澤友作は、9月2日、自身のX(旧ツイッター)にDIC川村記念美術館の休館に関連するコメントを連続投稿し、同館の所蔵作品の国外流出を防ぐために、自身も美術愛好家として協力したいという意欲を見せた。 前澤は2018年、同館が所蔵していた長谷川等伯筆《烏鷺図屏風(うろずびょうぶ)》を収蔵した経緯があり、同作品を「いつか見たい」とXに投稿したファンに対し、「長谷川等伯の烏鷺図屏風については、約3年ほどかけてクリーニング及び一部修復作業中でしたが、先日無事に手元に戻ってきました。当作品は国が指定する重要文化財ですので、何らかの方法で皆様にも観ていただけるようにしたいと思っていますので、詳細が決まり次第追ってお知らせいたします」と返答。それに続いて、「それにしてもDIC川村美術館の一時閉館は寂しいです。僕に何かできることがあれば
深刻な負債を抱えるDIC株式会社の取締役会は、今年4月に設立された「価値共創委員会」の「現在の体制で美術館を運営し続けることは現実的ではない」という勧告に基づき、8月27日に開かれた取締役会でDIC川村記念美術館の運営戦略について協議し、同館を2025年1月下旬で休館する方針であると発表した。 DICは、「当館を単に所有資産として捉えた場合、特に資本効率の観点から、必ずしも有効に活用されていないことは明らか」であると述べ、資本効率の向上が喫緊の経営課題である今、社会的価値と経済的価値の両面から美術館事業の位置づけを再考する時期に来ている」としている。また同社は、12月に取締役会を開き、美術館の将来について決定する予定だという。 US版ARTnewsでもこのニュースを報じており、同館を所有するDIC株式会社の経営悪化による美術館の休館について、754点の所蔵作品の未来を案じる記事を公開した。
ニューヨークのクイーンズにあるイサム・ノグチ財団・庭園美術館(以下、ノグチ美術館)は8月14日、同館の職員がケフィエ(*)を着用して勤務していることを懸念し、ケフィエの着用を禁ずる新たな服装規定を制定した。これを受けて、同館で働くおよそ70人のうち50人ほどの職員が「ノグチミュージアムライツ」という団体を結成し、美術館の上層部にこの方針の撤回を求める嘆願書を提出、ストライキを行なった。同館では8月15日にも同様の抗議運動が行われている。 * ケフィエ(keffieh、または、kafiyyeh)とは、中東各地で着用されている伝統のスカーフで、近年ではとくにパレスチナの民族的アイデンティティーや抵抗を象徴するものとして捉えられることが多い。 8月19日に提出されたこの嘆願書で、ノグチミュージアムライツは、ケフィエの着用を許可すること、そしてこの抗議行動に参加した職員に対する懲戒処分を行わないこ
バンクシーの9作目となる壁画がロンドン中心部ウェストミンスターにある「London Zoo」のシャッターに描かれていることが判明した。本人のインスタグラムにも最新作が投稿されており、BBCがバンクシーのチームに確認した最新情報によれば、シリーズの「最新にして最後となる壁画」であるという。 バンクシーは8月5日から8月12日までの一週間の間に、ロンドン各地で毎日ヤギ、ゾウ、サル、オオカミ、ペリカン、ネコ、魚、サイをモチーフとしたグラフィティを描いてきた。今回明らかになった最新作では、ゴリラが動物園のシャッターを開けてアシカと鳥を解放し、他の動物たちがそれを内側から眺めている様子が描写されているように見える。 発表の舞台となったロンドン動物園の広報担当者はBBCの取材に対し、感無量な様子で「まったく素晴らしい」とコメントし、この作品が今後も保存されるだろうと語った。また、同園のマネージャーであ
──石川さんは、ご自身の書家としてのご活動をどのような系譜に位置づけられているのでしょう。 スタートは、いわゆる「書道」でした。高校のときに当時一世を風靡していた津金寉仙(つがねかくせん)という書家の作品に出合いました。中国の書をベースに、デフォルメされた文字の構成が特徴で、おおいに影響を受けました。 そのあと高校時代までは、なんの疑いもなく漢詩のような書の対象としてよくある字を書いていたのですが、大学に入ってから「何を書くべきか」について考えるようになりました。1945年に生まれて育ってきた人間として、戦争や敗戦をくぐり抜けてきた田村隆一のような「荒地派(あれちは)」という同時代に活躍する詩人のひとたちが手探りでたぐり寄せてきた、リアルな言葉を書きたいと思うようになったんです。 ──同時代に生まれた言葉を、同時代的な手法で表現しようと思われたということですか? 荒地派の詩を、いままで自分
アートへの造詣が深い事でも知られるYe(イェ)ことカニエ・ウエストは、2021年9月、アメリカ・カリフォルニア州マリブビーチで、憧れだった安藤忠雄建築を手に入れた。ウォール街の金融家、リチャード・サックスが所有していた物件で、敷地面積は372平方メートル。購入価格は5725万ドル(現在の為替で約90億円)だった。 建築家の安藤忠雄は1995年にプリツカー賞を受賞。国内では東京の表参道ヒルズや直島の地中美術館など数多くの建築を手掛けており、海外ではアメリカのピューリッツァー美術館やフォートワース近代美術館、ドイツのホンブロイッヒ・ランゲン美術館などが知られている。著名人の私邸も複数手がけているが、このマリブビーチにある邸宅は、建築学的に重要なものとされていた。 ウエストは、自身が以前コラボレートしたことのあるジェームズ・タレルなど、ミニマリズムの巨匠たちから大きな影響を受けてきた。日本の地中
イタリア・ポンペイで、新たに広さ約8平方メートルの部屋が発掘された。青い壁には、四季や農業、牧畜を表す女性像が描かれている。青く塗られた壁は極めてまれで、考古学研究者は儀式や神聖な物の保管のために使われたものと考えている。 青い壁の部屋が見つかったのは、ポンペイの中心部にあるレジオIXと呼ばれる区画。ここには住宅が集まっており、最盛期には1070戸の住宅に1万3000以上の部屋があったとされる。 部屋からは、持ち運びできるよう取っ手のついたアンフォラと呼ばれる素焼きの容器が15個、ブロンズ製の水差しとオイルランプがそれぞれ2個ずつ見つかった。また、部屋の床にはカキ殻など、建物の修復用資材も置かれていた。カキ殻は、細かく砕かれてしっくいやモルタルに加えられたと見られる。 今回の発見について、イタリアのジェンナーロ・サンジウリアーノ文化相はユーロニュースにこう述べた。 「発掘のたびに美しく重要
パレ・ド・トーキョーの後援者グループ「アミ・デュ・パレ・ド・トーキョー」からの脱会を発表したサンドラ・ヘゲデュースは、自身のインスタグラムで、この決定の背景には同館との「価値観の相違」があると述べた。 「理由はシンプルです。パレ・ド・トーキョーの新しい方針は非常に政治的であり、私はこれに賛同できません。同館の今後のプログラムは『Causes』の擁護を重要視しています」 彼女は「Causes」を「Wokisme(ウォーキズム=社会正義に関わる問題に高い意識を持ち、その解決に取り組もうとする姿勢)、反資本主義、親パレスチナなど」と定義している。この投稿には、現時点で13000以上の「いいね!」がついている。 本人は明言を避けているが、後援打ち切りの決定打となったのは、パレ・ド・トーキョーで開催中の「Past Disquiet(過去の不穏)」だと考えられる。その中心的役割を担っているのが、197
リサイクルショップと聞くと、家具や家電、服などを取り扱う店を想像する人が多いだろう。だが練馬の「Re arts Garden」は、日本で唯一画材を専門に扱うリサイクルショップだ。練馬駅から15分ほど歩いた場所にある店には、絵の具から額縁、絵筆、ニス、粘土や日本画で使う膠(にかわ)まで、さまざまな画材が手ごろな価格で並んでいる。 主な客は、美大生や趣味で創作活動を続けている人たち。「生産中止になってしまった絵の具や顔料を探すために、現役の作家が訪ねてくることもありますよ」と、Re arts Gardenの代表を務める有澤紗生は語る。 店にある画材は、どれも不要品として有澤が引き取ったものだ。引き取りを依頼する人の6割が60代以上か、高齢者の家族なのだという。 「はじめは、若手の作家が引っ越す際に持てあます不要な画材を引き取るつもりで始めました。でも、続けていくうちに遺品整理などに需要があるこ
ロダン以降の彫刻に革命をもたらしたブランクーシ 1907年にコンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)は、人体のフォルムをそれと分かる最小限の要素にまで単純化して、ほとんど抽象に近い《接吻》と《祈り》を制作した。同じ年にパブロ・ピカソが《アヴィニョンの娘たち》で絵画に大変革をもたらしたように、彼はそれまでの彫刻の概念を、この2点の作品で根本から変えてしまった。ブランクーシとピカソが起こした革命は、西洋美術史の中で最もラディカルなものと言っていいだろう。 ブランクーシはこれ以降、現代の代表的彫刻家であるリチャード・セラが「彫刻のさまざまな可能性が示された手引き書」と呼ぶ仕事を残している。彼が示した彫刻の可能性を改めて認識させることになったのが、2019年にニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館とニューヨーク近代美術館(MoMA)が開催した展覧会だ。両館の所蔵する主要なブラ
モアイ像の故郷であるイースター島は、チリ沖3701キロに位置する孤島で、島全体が国立公園(ラパ・ヌイ国立公園)になっている。モアイ像は1400年から1650年にかけて、島に住みついたポリネシア人たちが部族の指導者や神格化された祖先を称えるために制作したと考えられている。一般的に島で産出される凝灰岩で作られており、多くのものは高さ3.5メートル、重さ20トン程度だが、最大級のものは20メートル、重さが90トンにもなる。現在、島には制作中に放置されたものも含め約900体が確認されているが、数体は世界各地の博物館に所蔵されている。 そのうちの一つが、大英博物館だ。同館には大小2体のモアイ像が展示されており、大きなものは高さ約2.4メートル、重さ約4.2トンで、玄武岩でつくられた珍しいタイプだ。現地語で「失われた・盗まれた友人」という意味の「ホアハカナナイア」と呼ばれている。1868年に艦船HMS
イギリス・ケンブリッジ大学、デンマーク・コペンハーゲン大学、そしてスウェーデン・ルンド大学などが参加する国際研究チームが学術誌「Nature」で発表した4つの論文から、約5900年前にスカンジナビアに最初にやってきた農耕民が、ほんの数世代のうちに狩猟採集民を一掃していた可能性が浮上した。研究チームは、先史時代の人類の骨と歯のサンプルのDNA解析によって、この新たな結論を導き出した。地質学の研究者でルンド大学・放射性炭素年代測定研究所所長のアン・ビルギッテ・ニールセンは、声明の中でこう語る。 「これまで、この人口変動は平和的に起こったと考えられてきました。しかし今回のわれわれの研究によって、その逆であったことがわかったのです。つまり、狩猟採集民たちは、暴力による死、あるいは家畜からの新たな病原体によって途絶えた可能性が高いのです」 この研究によれば、デンマークでは過去7300年の間に2度、総
ローリー・アンダーソンは、1970年代から、パフォーマー、作曲家、作家など、越境的な活動で知られる世界的アーティストだ。1981年に発表した楽曲「オー!スーパーマン」は、全英シングルチャートの2位を記録。日本では、2022年に愛知県で開催された国際芸術祭あいち2022に台湾のニューメディア・クリエイター、黄心健(ホアン・シンチエン)とともに作品を発表した。 そのアンダーソンが、ドイツのエッセンにあるフォルクヴァング芸術大学の客員教授に就任することが明らかになったのは2024年1月初旬。しかしそれから1カ月も経たない1月26日、この決定の反故を伝えるプレスリリースが大学側から発表された。理由は、アンダーソンが2021年にパレスチナのアーティストたちによって書かれた、パレスチナ支援を求める「アパルトヘイトに反対する公開書簡」に署名していたことを同校とピナ・バウシュ財団が問題視したためだ。 この
フリーダ・カーロの強烈な個性と魅力 もしもフリーダ・カーロが医師になっていたら、その人生は淡々としたものだっただろうか。高校生の頃に医学部進学を目指していた彼女は、メキシコシティでも有数の進学校で生物学や解剖学、動物学を学ぶ。約2000人いる生徒のうち女子はわずか35人で、カーロもその1人だった。しかしある日、帰宅途中に乗っていたバスと路面電車が衝突。瀕死の重症を負った彼女は、かろうじて一命をとりとめたものの、後遺症による痛みに悩まされ続けた。この事故でカーロは医学をあきらめ、代わりに絵画に自分の人生を託すべく画家への道を歩むようになる。 短くも情熱的に生きたカーロは、その生涯で200点弱の絵画を制作。そのほとんどは自画像か、家族や友人の絵、あるいは静物画だった。具象的かつ非常に個人的な彼女の絵は、自らの経験を描写するために、民俗的な表現とシンボリズムを融合している。そこでは、「夜と昼」「
スティーブン・ターラーは2歳の頃に死にかけた。あめ玉だと思って風邪薬を24個も頬張り、それをコーラの瓶に入っていた灯油で流し込んだのだ。この灯油の保存方法は、今では想像もつかないが1950年代に一般的だった悪しき習慣だ。 「トンネル状の穴を落ちていって、青い星の上に着陸するという、典型的な幻覚体験をしました。その星の周りには、小人や小さな天使がたくさんいました」 74歳になったターラーはそう回想する。彼は今、ミズーリ州郊外に拠点を置く生成AIを手がける企業、Imagination Engines創業者兼CEOだ。 「私が最も信頼を置いていたイヌと祖母もその星にいました。祖母はわたしを見て、『まだあんたが死ぬ番じゃないよ』と言ったんです」 ターラーが病室で目を覚ますと、祖母とイヌがそばで待っていた。ターラーは困惑した。祖母とイヌが、生きていたにもかかわらず彼の幻覚の中に登場したからだ。この強
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