Bトレ(28) 筑肥線(8) 非自動(5) 音(5) つりかけ(4) 西鉄(4) ローカル私鉄(4) 箱根登山(3) くりでん(3) 鉄むす(3) 島原鉄道(2) 小湊鉄道(2) 北斗星(2) 博物館(1) ローカルJR(1) SL(1) 只見線(1) 江ノ電(1) 鶴見線(1)
Bトレ(28) 筑肥線(8) 非自動(5) 音(5) つりかけ(4) 西鉄(4) ローカル私鉄(4) 箱根登山(3) くりでん(3) 鉄むす(3) 島原鉄道(2) 小湊鉄道(2) 北斗星(2) 博物館(1) ローカルJR(1) SL(1) 只見線(1) 江ノ電(1) 鶴見線(1)
今年は夏の高温、長引く残暑、今でも平年より温度の高い日が多いこともあって紅葉は遅れ気味。木々の色づきは良いのか悪いのかも気になります。 幸いなことに近所の緑地、公園などには色づく木々がたくさん植えられて、昨年は期待以上のきれいな紅葉を見ることができました。 今年もそんな身近な場所を徘徊しつつ、気になる紅葉の様子を観察してきました。 時は11月も末、巡った場所は横浜市都筑区の北部一帯で夏の暑い時季に木蔭の散歩コースとしてさんざん利用させてもらったところです。 では出発、行ってきます〈私の家ではないけど〉 今回はカエデ系、赤色多めに記録したように思います この日は日差しがまぶしく、木蔭から逆光で撮った画が色よく映えます まん中茶色ぽく色づくのはメタセコイアですが樹形が不自然、上の方を切られてしまったのかも 赤色少なめもあり、水辺の小径 またすぐ紅葉にもどります 1本の木のなかに赤、黄、緑もまだ
国分寺崖線の坂道、世田谷区の4回目です。 今回は上野毛、野毛周辺の稲荷坂、明神坂、浄音寺坂の3坂です。 ◆稲荷坂〈いなりざか〉 上野毛2丁目、3丁目の境界を通る上野毛通りの坂道。五島美術館方面からの道と上野毛駅方面からの上野毛通りが交わるところが坂上になります。 上野毛通り坂上付近から 坂上部の傾斜はそれほどでもありませんが、下から中ほどにかけてはやや急な坂です。 少し下って振り返り 道はゆるくカーブ 坂の途中、道は切通しになっています。 左側は上野毛稲荷神社 稲荷坂の名はここから。 坂下近くから上方向 右側、緑深い上野毛自然公園があります。大きな公園ではないですが、崖(ハケ)下の湧水を引き込んだ池などがあります。 ほぼ坂下からその先 この坂も下りたところを丸子川(六郷用水)が流れ、架かる橋名は”稲荷橋”です。 坂道に坂名標識はありません。 ◆明神坂〈みょうじんざか〉 稲荷坂下から丸子川を
私たちは東京の世田谷で育ったので玉電はまさに地元の電車でした。昭和44年に玉川線・砧線が廃止された時は私たちがそろそろ社会に巣立つ頃でもあり、まさに青春と共に玉電は消え去っていったのです。 「なめくじ会」のメンバーも実はそんなに写真を持っていないのです。「なめくじ会」メンバーの「つーさん(T)」は昭和44年になくなると聞いて、しきりに出掛けていきました。 ここでは「つーさん」の撮った玉電を中心に当時を振り返ってみたいと思います。もうひとりの現役メンバー「しゅうちゃん(S)」も昭和38年~42年に撮っていて、ところどころで頑張っています。私は地方の汽車・電車で手いっぱいで、二人が撮っているから私もと、わざわざ撮りに行った覚えはなく、昭和44年以降の玉川線廃止と塗装変更後の生き残った世田谷線の残党を慌てて撮りに行ったと言うお粗末さです。 大橋車庫です。高校生の時に見に行きましたが雑然とした所に
竪川(たてかわ)は東京墨田区、江東区を流れ、旧中川と隅田川を東西に結ぶ運河(人工河川)です。 江戸時代に下町一帯で開削された運河のひとつで、1659(万治2)年の起工。江戸城から見て縦(東西)に流れるので「竪川」の名称になりました。 現在は全区間首都高速7号小松川線の高架で覆われ、東半分は暗渠化されています。 以前、周辺の運河を巡り歩きました。 東京下町の運河を行く 大横川(旧大島川)、古石場川、大島川西支川、仙台堀川、小名木川 - 散歩の途中 東京下町の運河を行く 北十間川、大横川、洲崎川、横十間川、旧中川 - 散歩の途中 竪川も上記の範囲に含まれますが、このときは道路高架に覆われて暗いイメージ、訪れる気になれずそのままになってました。 少し気が変わり、川沿いを歩いたので備忘的にまとめました。 竪川流路 今回は西側、隅田川との合流点から東へ、旧中川までたどって歩きます。竪川延長は5.2㎞
早朝、江ノ島を訪ねました。 見通しがいい うっすら富士山 お参りのスタート 朝の江ノ島は静かできれいです。 うしろにいちゃいちゃしているカップルの気配を感じながら 狭いところ、切り立ったところにぎゅうぎゅうに建っている建物が圧巻です。 すごいところに建っています ひゃ〜 江島神社の奥津宮。撮ってはいませんが、この天井には酒井抱一の亀が鎮座しています。 おや? おやおや? いいところにいらっしゃる! まさに、お猫様です。江ノ島では住人のみなさんが猫を大切にお世話しているので、ふかふか、もちもちした猫たちが自由にしているところが見られます。 もっちりした島の猫たち お参りを済ませて、海の方に降りてみます。 すべての店に『男はつらいよ』か『孤独のグルメ』が来ていたような錯覚 ふか〜いところに降りていきます。 行きはよいよい…… 海です! 海はいいですねえ。「ちきゅう、まるい」を実感するひとときで
大田区田園調布5丁目にある、その名も「急坂」を訪ねました。 そのものずばりの名前、それほど有名でもなさそう、ふと紹介してみたくなりました。 2019年最後は小ネタ。 坂の途中から見上げてみます 坂の上から 道路は上りのみの一方通行。 坂名標に近づいてみます。 ちゃんと、急坂(きゅうざか)と標されています 坂の向こうは多摩川方面になります。 拡大 急な大きい坂であるため、急坂と呼ばれる。「五丁目の急坂」ともいわれて親しまれ、この付近の目標にもなっている。 多摩川の流れが丘陵を削ってできた国分寺崖線にある坂道のひとつです。この近所、田園調布雙葉学園付近などでも同等の急な坂道をいくつか見ることができます。 おまけで、これは雙葉学園幼稚園近くの別の坂道。 名前はないみたいです 道路左の勾配標、数値は26% 坂を下った先で登り返してますね。田園調布も楽じゃないです。 ずっと向こうは武蔵小杉のタワマン
●松本清張の「砂の器」を歩く (羽後亀田編) 初版04/1/11 二版04/1/24(東京と羽後亀田を分離) V01L03 松本清張の「砂の器」を特集していますが、ページの編成をすこし変更します。東京蒲田と羽後亀田のページを分離、「東京編」、「羽後亀田編」に分けて掲載します。 今回の取材は、原作と、昭和49年(1974) 主演:丹波哲郎、加藤剛、森田健作で映画化された時の撮影場所を中心に紹介しています。2004年1月18日から始まる中居正広(SMAP)主演の「砂の器」は、原作とは少し違ったストーリーで、TBSのホームページを見ると、時代設定は現代、主人公を刑事役から犯人に置き換えています。中居正広が犯人役になるようです。テレビドラマの撮影場所が何処なのか愉しみです。(そちらも順次紹介したいとおもっています) <羽後亀田へ> 事件の手がかりは、蒲田のトリスバーでの二人の話だけでした。「…これ
川崎市多摩区の妙楽寺、同じく生田緑地、麻生区の浄慶寺と巡って紫陽花を見に行ってきました。 例によって単独行動なので拠点から拠点の移動は全部歩きです。 それぞれの位置がわかる地図。 川崎奥の方・紫陽花名所3ヶ所 都内や鎌倉より人少なめ、かつそんなに遠くなさそうな名所ということで検索した結果の探訪となりました。 最初に妙楽寺へ向かいます。 最寄りの駅といっていいかわかりませんが、JR南武線宿河原駅で下りました。 知らないおじさんなのですがカメラを向けたらポーズとって動かないので記念に載せてあげます。 駅近くを二ヶ領用水が流れています 用水沿いは桜並木が多いのですが、紫陽花、菖蒲などこのシーズンの花もあるかと思います。 駅からは歩いて20分くらい、途中は結構急な坂を上がっていきます。お寺には駐車場もあり、車で来られるのが一般的なようです。コミュニティバスも近くを走っているようです。 でも道すがら
府中市内にある下河原緑道(しもがわらりょくどう)は元々、国鉄下河原線と通称される鉄道路線でした。 下河原線は国鉄中央線国分寺駅から府中市の東京競馬場前駅までを結ぶ旅客線と、東京競馬場前駅の手前で分岐して多摩川に近い下河原駅までの貨物線からなっていました。 多摩川の砂利を運搬するために東京砂利鉄道として1910(明治43)年に開業し、のちに国鉄が買収して東京競馬場への旅客輸送も開始しました。 その後多摩川の砂利採取の終了、線路が一部重複する武蔵野線の開通などがあって1976(昭和51)年に廃止され、跡地は武蔵野線に転用された部分を除き、府中市内で下河原緑道と呼ばれる遊歩道に整備されて現在に至っています。 現在この緑道の長さは、途中の分岐も加えると4㎞弱といったところでしょうか。 下河原緑道・足あと 足あとのスタート地点は旧甲州街道府中市役所前交差点ですが、特に意味はありません。 市役所前から
川崎の埋立地、人工島の東扇島(ひがしおおぎしま)を少し歩いてきました。往復は徒歩でも通れる川崎港海底トンネルを使います。 東扇島というところは物流の拠点で、埠頭と倉庫が多くを占めていて一般の住宅などはまったくないのですが、展望施設を持つ川崎マリエンやいくつかの公園があったりして、住人はいないけれど釣りやBBQなどができる場所があるので一定のレジャー的需要はあるようです。 普通は車かバス、自転車などを利用して来るわけですが、今回は海底トンネル内部を見てみたさに歩いて行ってきました。 そしてアプローチ、”前置き”は京急大師線産業道路駅。なかなか昭和レトロな駅名が個人的に好きです。 海底トンネルや東扇島から近いわけじゃないのですが、2020年から駅名が「大師橋」に変わるそうで、その前の記録がてら寄ってみました。 駅ホームから つい最近ホームが地下化されました。(2019/03) 駅前を”産業道路
流れとしては前回「葛西の川跡を歩く その3」に続くのですが、とうとう葛西からはみ出してしまいました。小岩まで行って葛西はないだろう、ということでシンプルなタイトルに変えました。 今回は一之江境川、小松川境川をたどります。それと最後に前堰川を少しだけ。 でも地図はつど継ぎ足しの使いまわし。 江戸川区内たどった川の地図 一之江境川:赤色のライン、小松川境川:オレンジ色のライン その他に仲井堀(薄緑色)、前堰川(薄青色)を入れています。 どんどん地図が小さく、見にくくなってます。適当に拡大などしていただけると有難いです。 ◆一之江境川 一之江境川(いちのえさかいがわ)は、かつての東一之江村と西一之江村の境界を流れ、船堀村を経て新川に注いでいました。境界を流れるので境川です。 元々自然の河川ですが、この周辺の田畑で使用した後の排水(悪水:あくすい)を流すため自然にできた川ともいわれています。 江戸
まず、「渋谷町」とはかつての東京府豊多摩郡渋谷町で、現在の東京都渋谷区、渋谷駅周辺にあたります。以下、途中の岡本公園にあった解説板から渋谷町水道部分の抜粋です。 人口増加に伴って水不足が深刻になった渋谷町は1921(大正10)年、多摩川の水を引き込むための大規模な水道工事を始めました。砧下(きぬたしも)浄水所で取水、浄化した水は駒沢給水所、三軒茶屋を経て渋谷に至り、地下の送水管は南西から北東へ直線的に世田谷をまたいでいます。水は駒沢給水所までは揚水ポンプの力で高く持ち上げられ、給水所から渋谷までは自然の重力で送水されました。 竣工は1923(大正12)年です。 直下をこの送水管が通っている道路を”渋谷町水道みち”として今回歩きました。 渋谷町水道みち足あと はじめは二子玉川の兵庫島公園入口から ここは渋谷町水道とは関係ありませんが。 手前が野川、遠くに見えるのが多摩川の流れです。橋を渡って
赤坂御門(見附)からの青山通り大山道は三軒茶屋まで来ると2つに分岐します。ひとつは現在の世田谷通りを進み、世田谷上町を経由する(登戸通)道、もうひとつは現在の国道246号玉川通りに沿って進み、中里、桜新町、瀬田などを経由する(二子通)道です。 国道246号に沿って進む道は江戸時代中期、文化、文政年間にひらかれた新しい道で、私が最初にこの大山道を歩いたときはそちらを通りました。 そのときのノートへのリンク miwa3k.hatenablog.jp 世田谷通りを進む道はそれよりも古くから存在した道で、江戸時代初期まではそちらが本道でした。また本道と新道は用賀付近でいったん合流しますが、その先二子の渡しに向かってまた分岐して2つの道が存在します。 今回は世田谷区内に存在する2つの大山道(矢倉沢往還)、まだ歩いていなかった道を改めてたどってみました。 矢倉沢往還・青山通り大山道 足あとライン《三軒
その1の続き、時系列では同じ日の後半になります。 矢倉沢往還・青山通り大山道 1日目足あと《赤坂御門から鷺沼まで》 今回その2は青ライン上の黄色〇から赤〇 二子橋から先を続けます。多摩川を渡ると神奈川県川崎市高津区に入ります。 二子橋交差点(高津区側) ここは橋を渡り終わったところになります。 交差点の正面には古い二子橋の親柱が残されていました。最初に橋が架けられたのは1925(大正14)年だそうで、それまでここは渡し舟が唯一の交通手段でした。 橋のたもとからすぐに大山街道の旧道が続いています。その道沿いは二子・溝口宿です。 光明寺前の大山街道 現在も街道沿いは商店が続き、街灯には「大山街道」の文字が入っています。時々古い建物も残っています。車の通行量が多いのですが、歩道が心許ないのは旧道で道幅が元々せまいからです。 蔵造りの商店 店の前にでっかいお釜がありますが、何に使うのでしょう。 説
田村通り、柏尾通りに続いて大山街道歩き3本目は矢倉沢往還、青山通り大山道です。 かつて矢倉沢往還(足柄道)と呼ばれた古い道は東京赤坂から大山のある伊勢原を過ぎ、足柄峠を越えて沼津方面へ伸びていましたが、江戸時代に大山講が盛んになると大山への参詣の道として使われ、大山街道、大山道とも呼ばれるようになりました。江戸から大山へのメインルートで、街道の道すじは現在の国道246号がほぼトレースしています。 矢倉沢往還・青山通り大山道 足あとラインは1日目の赤坂御門から鷺沼まで ノートその1は緑〇から黄色〇まで 青山通り大山道、スタート地点は赤坂御門(赤坂見附)跡です。 赤坂御門跡付近 赤坂御門は江戸城外濠にあった郭門のひとつで、赤坂見附とも呼ばれていました。右側石垣がその一部です。 ここからスタート、目前の富士見坂を下ります。 弁慶堀と弁慶橋欄干 正確にはここは大山道になりませんが、赤坂見附の交差点
東京都文京区の地名に小石川(こいしかわ)がある。かつての東京市小石川区で、ここの台地(小石川台と白山台)の間の谷を流れる川は礫川(れきせん)とも呼ばれ、砂や礫(れき=小石)の多い川だった。これが地名の由来で、流れていたのが小石川である。しかしこの川はたくさんの名前を持っており、氷川(ひかわ)、千川(せんかわ)、小石川大下水とも称され、上流へさかのぼれば谷端川(やばたがわ)となるものの、下流域でもそのまま谷端川と呼ばれていたり。ややこしい。 とりあえずここでは下流域は小石川、中、上流域は谷端川と呼ぶことにして、今回はこの小石川と谷端川をさかのぼって歩いてみた。 ただし現在は全区間が暗渠の下水道または埋め立てられていて、水の流れを見ることはできない。 小石川・谷端川足あと 小石川の流れは神田川に合流して終わる。その合流地点は現在のJR中央総武線水道橋駅ホーム北側あたりにあった。市兵衛河岸(いち
今回は小品、プチ・ノートです。あまり目的を持たずに歩いていた、つまり散歩ですが、あとから見返すといつの間にか線路沿いを移動していて、また、途中まででやめちゃったりするので大雑把なんですけど、こんなタイトルつけてまとめてしまいました。 今回は地図に足あとを残していないので、写真の撮影位置をプロットしたものを載せました。アイコンをクリックすると出てくる番号がノート内の写真番号になります。 歩き出したのは川崎大師近くの大師公園でした。はじめはそれこそ適当に歩き回っていたので、すでに池上町というところまできています。ここではじめて鉄道の高架線に出会います。 東海道貨物線(川崎市川崎区池上町) > 01 海側から撮ってます。向こうが鶴見、横浜方向です。線路の反対側は首都高速横羽線と産業道路が並行しています。 桜堀橋りょうへ > 02 貨物線線路は桜堀という人工運河を渡っています。 産業道路に出て先へ
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