『続日本紀』延暦四年(785年)六月の条によれば、田村麻呂の父である坂上苅田麻呂は、自身の祖先である、東漢氏の祖・阿知使主について、後漢の霊帝の曾孫で、東方の国(日本)に聖人君子がいると聞いたので帯方郡から「七姓民」とともにやってきたと述べたとある[2]。 人類学者のアレクサンダー・フランシス・チェンバレンは“The Contribution of the Negro to Human Civilization(人類文明への黒人の貢献)”のなかで坂上田村麻呂が黒人であると記述した。 1911年にカナダの人類学者アレクサンダー・フランシス・チェンバレンは、“The Contribution of the Negro to Human Civilization(人類文明への黒人の貢献)”のなかで、歴史上人類の文明化に功績のあった黒人を紹介する際に坂上田村麻呂について短く触れている。 この記述の