脚本だけでも十分に表現できると思うんだけど
2024年3月11日、「国立西洋美術館」で開催された「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」の内覧会で、パレスチナでのイスラエル政府による「ジェノサイド」に反対の意を示す抗議活動が実行された。公安と見られる警察が抗議活動を制止する場面もあり、緊迫する事態となった。 Photo: Keisuke Tanigawa Photo: Keisuke Tanigawa 国立西洋美術館のオフィシャルパートナーである川崎重工業株式会社が、イスラエルと武器貿易を行うことに対する抗議だが、「展覧会出品作家有志を中心とする市民」によって計画実行されたもので、同館や展覧会主催者にとっては、全くの予想外の出来事であったという。 Photo: Ryuichiro Satoプレス内覧会でまかれたビラ裏 Photo: Ryuichiro Satoプレス内覧会でまかれたビラ裏 プレス内覧会では抗議の趣
悪いけど、ちょっとオエッてなる。 リアルの人にはならないよ、あくまで二次元の話。 大きい方がよいみたいな意図が見えて、嫌になる そのキャラは本当に大きい胸が欲しかったんだろうか? 大切なキャラなら、デカい胸を押し付けずに平均的なカップ数の胸にするべきだろうに 自分の好みをキャラに押し付けて楽しいんだろうか まあ楽しいんだろうね 自分の好みとして大きいのが苦手だから余計に思うんだろうな 本当にやめてほしいって思うけど、この傾向は変わらないだろうなぁ 漫画雑誌でもさ、グラビアの女性は胸を強調するし、あれもやめてほしい そのグラビア女性は悪くないんだよ そうじゃなくて、胸をアピールするのはなんかもう古くない? そんなに胸が好きか?という話だよ なんか吐き気がしてしまう 俺は漫画が読みたいのに、表紙がグラビアだからどうしても目に入ってしまう 漫画雑誌なんだからジャンプみたいにキャラ絵にしてくれよ
自分の中だけの【概念】 自分の中に『壁に絵を描く』という概念がある。概念の元になったものは、紅玉いづき先生の「ミミズクと夜の王」に出てくる、牢にずっと閉じ込められてその牢の壁に自分の血でずっと絵を描いていた少年と、そして実在のアウトサイダーアーティストのヘンリーダーガー。彼は自分の住んでいる屋根裏部屋の壁に自分のための物語を誰にも知られずに書き続けた。 タイムパラドクスゴーストライターで提唱される透明な傑作の対照にある『壁に絵を描く』 そんなふうに創作をできるようになりたい。自分はやはり誰かに見て欲しい。自分にとって創作は会話(コミュニケーション)なのだと思う。鍛錬鍛錬。 結局自分は、何かを作ることでしか、誰かと交流や、自分自身を伝えることはできないのだ。と、なにかあるたびに思う。 その度に孤独を感じでどうしようもなくなるけれども、そうなってしまったのだからどうしようもない。 作ったものを
芸術は人間の文化的営みの1つであり、プログラムで動くロボットには不可能とされてきました。しかし、アルゴリズムによって唯一無二の絵を生み出すロボット「Ai-Da」が開発され、Ai-Daの自画像がロンドンの美術館で展示される運びとなったと報じられています。 Ai-Da https://www.ai-darobot.com/ ‘Some people feel threatened’: face to face with Ai-Da the robot artist | Culture | The Guardian https://www.theguardian.com/culture/2021/may/18/some-people-feel-threatened-face-to-face-with-ai-da-the-robot-artist The Artist in the
超音速気流の研究で知られる物理学者のエルンスト・マッハは1886年の『感覚の分析』という著書で、こんな自画像を提示している。 なるほど、自分で自分を見て描いたら、こうなるだろうと思う一方、鼻はなんとか見えるが、目の上のまつ毛らしきものは見えるんだろうか? 日本人とヨーロッパ人の彫りの深さの問題? とか思ったりする。 実際、鼻と身体の距離の関係上、両方が同時にこんなに明確に見えることはないだろう。 外界と自分、身体と心の曖昧な境界『パウル・クレー 造形の宇宙』で、著者の前田富士男さんは、このマッハの自画像に関連して、クレーが『日記』という作品で1905年の7月に書いた、こんな一文を紹介している。 ふざけた課題をだしてみよう。自分自身を描いてみたまえ。ただし、鏡を使わないこと、また鏡のような方式で推論もしないこと。君が自分自身をみるとおりに正確に、である。となると、君自身に見えない頭は無しにし
カレー沢先生こんにちは。いつも先生のウィットに富んだ回答を楽しく拝見しています。 さて本題ですが、私の悩みは自信がないことです。 自分は即売会の雰囲気が大好きでイベントに参加するのですが、マイナージャンルのため誰もスペースに来ません。 先日参加したイベントにも誰も来ず、ついに3回連続で誰も来ないという状況になりました。 同ジャンルの人と交流もなくその上マイナージャンルのため、誰にも見てもらえないと分かっているので交流したり宣伝したりすれば少しはマシになると思うのですが、自分は相手にとって交流する価値に値するのか、自分の書いた作品は他人が読むに値するのか、と考えるとそうではないと思ってしまって交流したり宣伝したりする気持ちになりません。 その状態でわざわざ新刊作ってイベントに出る意味ってあるのかな、と最近思うようになりました。 自分の書いたものを「見てみて〜!」と言える人たちが羨ましいです。
しげる @gerusea 今までそんなに主張するタイミングがなかったんで特に誰にも言ってないんだけど、おれ、オタクが考えたヤクザとかオタクが考えたマフィアとか死ぬほど嫌いなんですよね。『極主夫道』とか、正直視界にも入れられないレベル 2023-10-31 15:15:06 しげる @gerusea 『龍が如く』でギリ平気だったくらい。あれは「Vシネのパロディをゲームでやりました」という立て付けだったから「そういうことなら……」と飲み込めた 2023-10-31 15:16:22 しげる @gerusea 「マフィアパロ」とか「本当はユーモラスで面白いヤクザ」みたいな概念、前提として人が死にまくってるネタなんだし文化的にも歴史的にも色々と蓄積がある分野でもあるんだからもうちょい真面目にやろうや……となってしまい、苦手 2023-10-31 15:19:06
宮前葵 @AOIKEN72 「私をそんな二つ名で呼ばないで下さい!」「貧乏騎士に嫁入りしたはずが!?」小説書いてます。小説家になろうmypage.syosetu.com/2331732/ カクヨムkakuyomu.jp/users/AOIKEN 仕事募集中です。ご連絡はkenaoi271@gmail.com 宮前葵 @AOIKEN72 これね、物凄く難しい問題で、制作者も悩んだと思うの。だって中国語使うと舞台が中国確定になっちゃうでしょ?薬屋の舞台は中華風ファンタジーだから確定したら不味いんです。だからあえて日本語使ってるんですよ。 twitter.com/natori/status/… 2023-10-26 19:00:16
とあるAVが話題だ。当然に認められないとする反応が多い。 https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1711972221718335719 ColaboをパロディにしたAVが販売されるとの情報が昨夜入りました。 仁藤夢乃 Yumeno Nito @colabo_yumeno 一方で風刺なんだからOKではないかという意見も散見される。 悪意(揶揄)を込めた風刺が認められるラインはどのくらいだほうか。 ○単なる風刺はともかく悪意(揶揄)を込めた風刺は認められない⇒妥当ではないように思う。例えば故安倍首相は風刺でも直接的にもかなり酷い言われようだった。個人的にそのような表現には同意しないが、それを規制しようとするならそちらにも反対する。 ○政治家・行政は受忍レベルが高い ⇒理屈としてはわかるが、同じ理屈で公共の事業を受託していたり、公共に影響を与えている民
「文章表現そのものの持つ可能性を追求した芸術作品」みたいな定義だっけ? だとすると俺が読んだことがある純文学は「アルジャーノンに花束を」と「虎よ虎よ」だけかなあ。 あれ?どっちも世間的にはSF小説にジャンル分けされてね? え?じゃあ純文学ってなんだ? そもそもサブジャンルみたいなもんなのか? 恋愛ドラマや戦争映画でサブテーマに人種差別が入ってきてるような感じ? 純喫茶は「純」=「酒の力に頼らずソフドリと飯と雰囲気だけで勝負してますよ」って意味だっけ? じゃあ純文学も「純」=「内容に頼らずに文学性だけで勝負してますよ」じゃないとアウトなんか? チョット調べたら「こころ」や「よだかの星」も純文学らしいね。 でもどっちも「"潔癖症的な自己憐憫&自己否定"vs"自己満足的な懺悔&自己破壊"のタッグマッチ」がメインテーマであって、文学としての表現力はそれを盛り上げるための裏方業務って感じじゃね? 裏
頭が動かない。ここ数日の疲れからか、後は少し脳を使う作業をしたからか、何かを考えたり、ちょっと手のかかる作業をすることが出来なくなってしまった。最近ちょっと考えたりすることが難しい傾向にあるので、少しこうやって手を動かして文章を書きながら、リハビリみたいなことをしようと思う。 表現者について ちょっと前に、表現者についての話がはてなブログで盛り上がっていた。 誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠 ほとんどの人は、そもそも表現者になりたいとは思ってないのでは - ふろむだ@分裂勘違い君劇場 まあ、表現者、という曖昧ないい方で全体的にもにょもにょする文章で、本当にお気持ちなのだろうと思う。何となくの自分を取り囲む世界からの圧力から押し出された系統立てられてない主観。自分はこの、世界からの圧力で、自分と世界との境界を破るように絞り出された何か、これこそが表現だと
『誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ』 とおっしゃる方がいらっしゃいますが、 以下の3つは全然違います。 (1)起業家になりたいから、起業する。 (2)こういう面白サービスを思いついて、実装して、みんなに使ってもらいたいから、起業する。 (3)金儲けしたいから、起業する。 同様に、以下の3つも全然違います。 (A)表現者になりたい。 (B)こういうことを思い付いちゃったから、だれかに聞いてもらいたい。 (C)思い付いたことをネットで発信して、それで生計を立てたい。 ネットで何かを書いている人の原動力は、ほとんどが(B)です。 この記事は(B)です。 また、ネットのアマチュアクリエイターの多くは、 (D)こういうものを創りたくなったから創ったので、それを誰かに見て貰いたい。 です。 僕が今書いている小説は、(D)です。 クリエイトする人のことを「表現者」と呼ぶのは、昔っから違
2024/2/14 タイトル一部変更 自分の意見は「二次創作が伝統的に許されてるのにイラストAIになった途端許容しないのはダブルスタンダードだろ」という意見が核になってます。 なんなら自分も二次創作は好きなんですが、「俺の作品!」みたいな面されると反感持つだけです。 とはいえ今から追記するとゴチャゴチャにしそうなので波線以下文章は手入れてません。 ・論点ボロボロ 本当にすみません ・お前のお気持ちだろ 仰る通りです 〜〜〜 「二次創作を有料に描いてる人が文句を言うなってのはお門違い過ぎないかなってね。今回のAIの問題点は「『人様の絵』を使うなって感じじゃないの?」とかのたまってるアホがいてイライラして書き始めた。 自分の立場として、 ・AIが話題になるずっと前からfanboxやFantiaのガイドラインに許可されていない二次創作で金取ることを批判していた。 ・イラスト生成AIは肯定派だが、
映画監督の是枝裕和、脚本家・坂元裕二が手がけた映画『怪物』。少年2人の親密な関係性と周囲を取り巻く人々を描いた本作は『第76回カンヌ国際映画祭』でクィア・パルム賞を日本映画として初めて受賞し、審査員長のジョン・キャメロン・ミッチェル(『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』など)は「この美しく構成された物語は、クィアの人々、馴染むことができない人々、あるいは世界に拒まれているすべての人々に力強い慰めを与え、そして命を救うことになる」と評した。 日本映画史、クィア映画史を専門とする久保豊は、「痛み」と「美しさ」が共在する本作の巧みな描写は、むしろ少年たちに痛みを生じさせる構造的な問題の所在を見えづらくさせると指摘する。本作は性的マイノリティの子どもたちをどう描いたのか。 2020年に早稲田大学坪内博士記念演劇博物館で開催した企画展『Inside/Out──映像文化とLGBTQ+』をキュレー
(6/14追記:トークイベントをやりましたのでよかったら視聴(※チケット購入)してください) #左からのキャンセル・カルチャー論 無事終了!!🙌 あいちトリエンナーレの件から 小山田圭吾事件、あらゆる差別問題… 様々な角度から “キャンセル・カルチャー”に ついて議論しました🤔 (たっぷり150分!!) アーカイブ6/27まで残ります ぜひご視聴ください👀https://t.co/0kDi3cqSHb pic.twitter.com/H8Mtb9ZCOA — 阿佐ヶ谷ロフトA (@AsagayaLoftA) 2023年6月13日 twitcasting.tv www.loft-prj.co.jp 本日開催の「左からのキャンセル・カルチャー論」に備えた、要約・メモ的な記事。もっと早く書きたかったんだけど、開催数時間前とかなりギリギリの公開になってしまった。 1・(法律的な)手続きを無視
内閣府、啓発ポスターの“酷似”認め謝罪 請負先に「極めて遺憾」 イラストレーターもコメント
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