ずっとずっと幼い頃、毎日ニュースにオリンピック選手が出てくるのを見て「毎日みかける程度の人達だから俺もこれぐらいになれるだろう」とクラスメートぐらいの距離感でそれを眺めていた。らしい。
その愚かな刷り込みの正体に気づいたのはそれが埋められてから40年後、必死に自分の感性を掘り起こし続けたあとだった。
創作者、インフルエンサー、タレント、強化選手、ヒーロー、そういった超有名人であればあるほど、庶民にとって身近な存在となる歪みが社会にはいつだって存在する。
宗教家が「この世界で最も偉大な神はいつも貴方のすぐ側に居ます」と語りかけるように、大きな存在であれば有るほどにいつだって身近にいるものだ。
世界で一番売れているような商品に囲まれて過ごしていると、それが無数の競争に打ち勝った果てに世界中で経済的勝利を納めて今そこにあることを忘れてしまう。
そういったことを繰り返して俺はいつの間にか「俺だってこれぐらいのことは出来るのだろう」と勘違いして生きてきたようだ。
俺の中にある愚かな万能感と現実とのギャップは、現実がしょーもなすぎるということよりも、自分は何にだってなれるという可能性の方を高く見積もりすぎたことによってこそ産まれているらしい。
世界レベルのデッドレースに自分が参加できているという勘違いから、、自分自身の目先の健康とか身近な人間との交友関係とかの優先順位を下げてしまっていたことが全ての間違いだった。
俺の戦場はそんな所にはない。
健康診断の数字とか、加齢臭への対策とか、Z世代との交流とか、ガンダム世代のあしらい方とか、そういった自分の半径5mの世界を必死に生き延びることが俺の戦いなんだ。
巨人の肩に乗せられて暮らしているうちに自分のほんとうの歩幅を忘れていたのだ。
俺の一歩は自分が思う100分の1程度もなかったというただそれだけのことに気づくまでに時間を使いすぎた。
危なかった。
😈こわれてたのにいまきづいたのな