長屋王
長屋王 | |||||||||||||||
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王、正二位左大臣 | |||||||||||||||
國家 | 日本 | ||||||||||||||
時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 | ||||||||||||||
主君 | 天武天皇→持統天皇→文武天皇→元明天皇→元正天皇→聖武天皇 | ||||||||||||||
氏 | 日本皇室 | ||||||||||||||
假名 | ながやのおおきみ | ||||||||||||||
羅馬拼音 | Nagaya no Ōkimi | ||||||||||||||
職官 | 左大臣 | ||||||||||||||
位階 | 正二位 | ||||||||||||||
出生 | 684年,天武天皇13年 | ||||||||||||||
逝世 | 729年,神龜3年 | ||||||||||||||
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長屋王(684年—729年),天武天皇之孫,高市皇子第一子,母為天智天皇之女御名部皇女,妻為吉備內親王。官位為正二位、擔任左大臣。是奈良時代皇族勢力的重要代表人物,因長屋王之變被迫自殺。
生平
[編輯]早年
[編輯]長屋王出生於天武天皇13年(684年),不過,《懷風藻》的記載是出生於天武天皇5年(676年)。長屋王好文藝,擅長詩詞,對陰陽五行等諸學也有涉獵,他同時擁有天智系與天武系皇室的血統,並娶文武天皇、元正天皇的姐妹吉備內親王為妻。
仕途
[編輯]704年 (大寶4年)長屋王被授予「正四位上」的官位,一般二世王的初授官位是「從四位下」開始,相較之下長屋王的初授官位高了3個位階,是天武天皇的皇孫中最高的。709年 (和銅2年)長屋王任宮內卿官位從三位,進列公卿之一。710年改任式部卿,相當於中國古代的吏部尚書,並掌握大學寮 ,相當於中國古代的國子監。
718年長屋王升任中納言,地位僅次於太政大臣藤原不比等,對於長屋王不尋常的晉升速度有以下說法:
- 父親高市皇子具有皇太子待遇。。
- 在皇親制與位階制初行時期,長屋王有重要地位,才形成後世看起來特殊的待遇。[1]
- 由於娶天皇姐妹吉備內親王與藤原不比等之女藤原長娥子,依靠妻子的關係得以快速晉升。尤其吉備內親王與元正天皇姐妹曾經同居,元正天皇對妹婿長屋王給與特別的信任。[2]
長屋王政權
[編輯]720年(養老4年)藤原不比等死後,隔年長屋王充任右大臣,成為日本政治的主導者。由於藤原不比等的4個兒子藤原四兄弟資歷尚不足,長屋王與舍人親王的皇親勢力壓倒藤原氏。長屋王的施政延續藤原不比等,維持社會安定與律令制的運行[2],並重視官吏紀律的整肅。[3]723年長屋王主導下頒布三世一身法,成為日本律令制實施後第一份允許土地私有的法令,目的是鼓勵土地開墾,不是破壞律令制度下的班田制。724年(神龜元年)聖武天皇即位,長屋王升任左大臣。
長屋王之變
[編輯]神龜6年(729年)2月被人告密誣陷咒殺基皇太子,邸宅被圍,奉天皇命,偕妻自殺。史稱「長屋王之變」,一般認為是藤原氏的藤原四兄弟陰謀所致,原因在於長屋王代表的皇親勢力,與藤原氏的鬥爭,長屋王反對藤原氏之光明子為天皇之皇后,以避免藤原氏以外戚名義控制朝政,導致藤原四兄弟有除掉長屋王的必要。另外長屋王一系也有天皇繼承權,對聖武天皇有所威脅,因此聖武天皇也有除掉長屋王的動機。[2]
長屋王邸
[編輯]長屋王邸在1980年代被發現,位於奈良市二條大路南奈良SOGO建設的預定地,因為同地點出土大量木簡 (長屋王家木簡),而得以確認該地為長屋王宅邸。[4]事實上該宅邸原本是吉備內親王與元正天皇姐妹的住所,但後來元正天皇即位搬出,吉備內親王與長屋王結婚後,此處成為長屋王宅邸。長屋王邸在當時平城宮東南角的高級住宅區。
詩作
[編輯]日本國長屋王崇敬佛法,造千袈裟,來施此國大德、衆僧;其袈裟緣上,繡著四句曰︰『山川異域,風月同天;寄諸佛子,共結來緣。』(全唐詩:卷732-11)
譜系
[編輯]古人大兄皇子 | 倭姬王 (天智天皇后) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(38)天智天皇 (中大兄皇子) | (41)持統天皇 (天武天皇后) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(43)元明天皇 (草壁皇子妃) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
間人皇女 (孝徳天皇后) | (39)弘文天皇 (大友皇子) | 葛野王 | 池邊王 | (淡海)三船 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
志貴皇子 (春日宮天皇) | (49)光仁天皇 | (50)桓武天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
早良親王 (崇道天皇) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(40)天武天皇 (大海人皇子) | 高市皇子 | 長屋王 | 桑田王 | 礒部王 | 石見王 | (高階)峰緒 〔高階氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
草壁皇子 (岡宮天皇) | (44)元正天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大津皇子 | (42)文武天皇 | (45)聖武天皇 | (46)孝謙天皇 (48)稱德天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忍壁皇子 | 吉備內親王 | 井上內親王 (光仁天皇后) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長親王 | 智努王 (文室浄三) | 大原王 | (文室)綿麻呂 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
御原王 | 小倉王 | (清原)夏野 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
舍人親王 (崇道盡敬皇帝) | (47)淳仁天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貞代王 | (清原)有雄 〔清原氏〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新田部親王 | 鹽燒王 | (氷上)川繼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
道祖王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
官銜 | ||
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空缺 上一位持有相同頭銜者: 藤原不比等
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右大臣 721年2月5日-724年3月3日 |
空缺 下一位持有相同頭銜者: 藤原武智麻呂
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空缺 上一位持有相同頭銜者: 石上麻呂
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左大臣 724年3月3日-729年3月16日 |