大分・別府市のとんかつ店、２・７坪で密なおもてなし…「サクッ」肉のうまみ広がる

2023/02/27 10:00

食堂のおばあちゃん

温泉地で４０年以上、店を営む西本マリ子さん（右）と夫の光賢さん。地元の常連や観光客に根強い人気がある＝三浦邦彦撮影

大分県別府市「とんかつの店　にしもと」

　日本有数の温泉地である大分県別府市。山と海に囲まれ、至る所で湯けむりが立ち上る街に、コロナ禍前は年間８００万人以上の観光客が訪れていた。温泉に加えて、少し入りにくい雰囲気の「ディープ」な店や、そこでの温かいもてなしも魅力の一つだ。

　市中心部の商店街から脇道に入って徒歩１分ほどの所に、赤いひさしが目を引く「とんかつの店　にしもと」がある。４席のカウンター席のみで、キッチンも３人立てるかどうかといったところ。「狭いでしょ。店を買うときに３坪（約１０平方メートル）と聞いていたけど、測ったら２・７坪だったんです。スペースの使い方もうまくなった」とカウンターの向こうで笑うのは、店を切り盛りする西本マリ子さん（７６）だ。

　人気メニューの一つは、「とり天定食」だ。とり天は大分県の郷土料理で、西本さんも小さい頃から家で食べていたという。一口大のむね肉を衣にくぐらせ、１７０度の油で揚げる。油から浮いてきた頃がほどよいタイミングで、薄いきつね色のとり天に仕上がる。一口かむと「サクッ」と音がしたあと、ジューシーな鶏肉のうまみが広がる。衣には塩とニンニクで下味を付けてあり、そのままでも十分おいしいが、自家製酢じょうゆにつければ、さっぱりとした味わいも楽しめる。

　値段は税込み５５０円で、約４０年変えていない。原料価格が高騰している昨今も値上げの予定はない。「最近は少し厳しいけど、今更値段を上げるのもね。夫婦２人が食べていければいいだけだし」

小さな扉から

　店は、夫の光賢（みつよし）さん（８１）と営んでいる。出前の配達と食材の下ごしらえは光賢さんの担当。光賢さんは近くの自宅で肉を切り分け、店舗の２階で衣を付ける作業をしている。創業した１９７６年から役割は変わっておらず、西本さんは「２人で一人前。どっちが倒れてもだめ」と語る。

　狭さ故に、棚には皿がびっしりと並べられ、時には炊飯器の上が作業スペースになる。ここでふと疑問が――。「西本さんはどうやってカウンターの中に入るのだろう」。店内を見回すと、カウンターの下に小さな扉を発見。なるほど、ここか。「カウンターを上げて出入りすると調味料や箸を置けなくなるからね。腰をかがめて出入りするのもしんどいけど」と、笑う。

　開業当初は近くに市役所があり、一帯も歓楽街だったため、忙しい日々だったという。しかし、市役所の移転後は周辺の活気もなくなっていった。それでも、２０年以上通っているという市内の吉中夏木さん（５４）は「特にとり天がおいしい。（西本さんは）元気もよくて、下町のおかあさんのような感じ」と、魅力を語る。「俺はこの店の味で育った」と話す常連客もいるそうだ。通っていた高校生が１０年後に立ち寄ったこともあり、西本さんは「誰かの思い出の味になってくれるのがうれしい」と話す。

温泉のガイドも

　実は西本さんは、観光客の“ガイド役”でもある。店の付近にも共同浴場が複数あり、「お客さんから共同浴場のことを聞かれることも多い」と、温泉帰りの地元住民らに営業状況などを聞き、近くの温泉のことは常に把握している。

　共同浴場ではどんなに湯が熱くても、水を入れたら地域の人に怒られることがあったり、湯船の縁に座ってはいけなかったりと、暗黙のルールがある。タオルの貸し出しや、備え付けのせっけん類もない。市外から訪れた人にそれらを丁寧に教え、タオルを忘れた人に、粗品でもらったものをプレゼントしたこともあった。西本さんは「もらいものはいっぱいあるから。せっかく別府に来たなら楽しんでほしい」と、優しい笑みを浮かべる。

　店を出ると、寒さに身震いした。「こんな日は温泉にゆっくりつかりたい」と思い、西本さんがすすめてくれた近くの温泉に足を運ぶことに。おいしい食事を終え、思い立ったときに温泉に行ける。別府は、そんな幸せな街だ。（大分支局　瀬戸聡仁）