1993年 - 1996年
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「Gargoyle」の記事における「1993年 - 1996年」の解説
1993年 4月 日本コロムビアよりVIDEO「タントラ・マントラ」でメジャーデビュー。 5月 4thアルバム『天論(てんろん)』発売。その後、Gu.屍忌蛇脱退に伴いKENTAROと与太郎が加入(与太郎は再加入)。 11月 ロンドン(マーキー)で日本人BAND初のヘッドライナーとしてライヴを行う。 1994年 2月 5thアルバム『月の棘 (つきのとげ)』発売。 1995年 3月 6thアルバム『natural (ナチュラル)』発売。 5月 インディーズ時代の貴重な音源を集めたCD4枚組BOX『異人伝 (いじんでん)』発売。(予約のみで完売) 1996年 6月 メジャーデビュー後の集大成となるベスト盤『borderless (ボーダレス)』発売。その後、日本コロムビアを離れインディーズヘ。 12月 メンバー自ら撮影、及び編集作業迄の全てを手掛けたVIDEO「絶滅種 (ぜつめつしゅ)」を発売。
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1993年 - 1996年
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「ピーター・アーツ」の記事における「1993年 - 1996年」の解説
1993年3月7日、オランダで開催されたTHE NIGHT OF THE SHOCKでモーリス・スミスと再戦し、4ラウンド終了間際に放った右ハイキックで失神KO勝ち。 4月30日、初開催されたK-1 GRAND PRIX '93へ参戦。優勝候補と目されていたが、トーナメント1回戦で当時日本では無名の選手であったアーネスト・ホーストに判定負け。 1994年4月30日、K-1 GRAND PRIX '94のGP1回戦でロブ・ファン・エスドンクにKO勝ち。4月30日、準決勝でパトリック・スミスにKO勝ち、決勝で佐竹雅昭に判定勝ちで、GP初制覇を果たした。 1995年3月3日、K-1 GRAND PRIX '95のGP1回戦でカークウッド・ウォーカーにKO勝ち。5月4日、準々決勝で後川聡之にKO勝ち、準決勝でアーネスト・ホーストに判定勝ち、決勝でジェロム・レ・バンナにKO勝ちを収めて、GP2連覇を果たした。 1996年3月10日、K-1 GRAND PRIX '96のGP1回戦でジャン・クロード・リビエールと対戦し、KO勝ち。5月6日、準々決勝でマイク・ベルナルドに3ラウンド、ベルナルドの左フックでKO負けを喫しリベンジを許した。なお、この試合はアーツにとってK-1のリングで初のKO負けを喫した試合となった。 なお、K-1での2戦目となる1993年9月4日のK-1 ILLUSION 風林火山 "林の章"におけるディーノ・ホームズ戦から1996年3月10日のK-1 GRAND PRIX '96 開幕戦におけるジャン・クロード・リビエール戦までの間にかけて記録した14連勝はK-1における最多連勝記録であり、またこの間、K-1以外で行った試合も含めると20連勝を記録している。 9月1日、K-1 REVENGE '96ではベルナルドとのラバーマッチに臨むもローキックが下腹部に入り1ラウンド反則負けを喫し、10月8日、K-1 STAR WARS '96ではベルナルドと四度目の対戦をするも、ベルナルドの右フックで3ラウンドKO負けの3連敗を喫した。
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