穀物貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 03:58 UTC 版)
こうした黒海北岸のギリシア植民市 - ボスポロス王国 - の交易活動の目玉となっていたのが穀物、毛皮、奴隷の交易であった。特に黒土地帯と呼ばれる南ロシアの平原部で生産される穀物は食料自給率の低いアテネなどのギリシア都市へ輸出され、ボスポロス王国の経済を支える主力輸出品であった。上述した支配者達の征服活動の結果、黒海北岸の輸出拠点を全てボスポロス王国が抑えたことで巨大な利潤を上げていた。ギリシア向けの穀物輸出量は紀元前4世紀には10000トンを遥かに上回り、この食料輸出によってギリシア本国と重要な政治的関係を維持していた。特にアテネなどとボスポロス王国の間で穀物貿易に関する協定が何度も結ばれていることが確認されている。例えば、イソクラテスによると、サテュロス1世はアテネが穀物不足に陥った時、穀物輸出の権利をアテネに与えたと言及している。さらに、穀物の供給を約束したレウコン1世の子供たちに対しては顕彰碑文が刻まれた。このように、ギリシア本国の諸ポリスにとってボスポロス産の穀物確保は重要命題であった。ちなみにレウコン1世の治世にはアッティカ地方の諸ポリスの穀物輸入のうち半分以上をボスポロス王国が占めたという。
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